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カテゴリ:志木市の石仏
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志木市の石仏巡りも今日で一応の完結となります。最後は荒川河川敷の 馬頭観音群を見てみましょう。 秋ヶ瀬橋西詰北 荒川河川敷道路脇 ![]() 秋ヶ瀬橋の西詰から土手上の道を荒川を右手に見ながら進み、初めて河川敷に 降りてゆく道を下る。土手下の道を川上に向かって50mほど歩くと右手の水田の 手前に浮島のような場所があり、草の中にたくさんの石塔が並んでいた。 ![]() 中央に馬頭観音立像 元文4(1739)上部に梵字「ウン」合掌六臂。顔は風化の為 はっきりしないが忿怒相と思われる。塔の下部に施主名が刻まれているようだ。 ![]() 右側面 「奉新造立馬頭観世音」あとは隙間が狭くてうまく読めなかった。 ![]() 左側面 上部に年号。その下に武州入間郡下宗岡村 施主村中と刻む。 ![]() 向かって左側には五基の馬頭観音文字塔が並んでいた。今の季節は下草が伸びて ゆっくり銘を確認することが難しい。文政から大正まで年代は幅広い。 ![]() 右側にも六基の馬頭観音塔。天明から大正まで。左右合わせて12基になる。 ![]() 右手前の草むらの中にもいくつか馬頭観音塔があるようだ。全部で20基ほどに なる。この付近は馬の捨て場だったのだろうか? 菖蒲沼馬頭観音群 ![]() 土手下の道をさらに川上に向かって歩いてゆく。秋ヶ瀬橋と羽根倉橋の丁度 中間あたり、右手に馬頭観音塔が並んでいた。 ![]() 中央に大きな像塔。右に三基、左に四基。後は水田が広がっている。写真の 右奥に、土手下から川辺に向かって堤が伸びているのが見える。 ![]() 中央 馬頭観音立像 天和3(1683)三顔六臂の雄大な規模の馬頭観音像。頭上の馬も はっきり彫られている。光背右に武州入間之郡宗岡村念佛組。光背左上には年号。 左下に同行 三十五人と刻まれていた。 ![]() 右隣に馬頭観音塔 安政2(1855)正面中央に「馬頭観世音」両脇に造立年月日。 塔の右側面「為三馬菩提」その下に施主は個人名を刻む。 ![]() その隣 馬頭観音坐像 合掌二臂。白カビに覆われ年号は確認できない。左脇に 小日向とあるのは施主名だろう。 ![]() 右端 馬頭観音坐像 合掌二臂。こちらも白カビがひどく、詳細は不明。 ![]() 中央の天和3年の馬頭観音像から左、まず馬頭観音立像 真ん中に断裂跡がある。 一面白カビの中、小さいながらも三顔六臂で合掌、上右手には剣を持っている。 右脇に文字が見えるのは年号か?うまく読み取れない。左下に仲村氏と刻む。 ![]() 続いて馬頭観音文字塔 明治29((1896)正面 梵字「ウン」の下「馬頭観世音」 両脇に造立年月日。左側面に願主 細田氏、小日向氏2名の名前が刻まれていた。 ![]() その隣 庚申塔 全体に白カビがこびり付き、上部は一部剥落が見られるが、 日月 青面金剛立像 合掌型二臂。はじめは馬頭観音かと思ったのだが・・・ ![]() よく見ると足の下の部分に左から見猿、聞か猿、言わ猿が彫られていた。 銘文などは確認できなかったが庚申塔ということになるだろう。 ![]() 左端 馬頭観音立像。こちらも銘文は確認できない。塔の大きさ、像の様子は 隣の庚申塔とよく似ている。 ![]() ![]() 中央の馬頭観音立像の存在感は圧倒的だ。志木市の石仏シリーズの大トリは こちら。ゆっくりご覧ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.07.04 15:32:04
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