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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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4P目は中尾中丸薬師堂墓地の地蔵菩薩立像 享保8(1723)丸彫りの延命地蔵。重厚な蓮台、敷茄子が印象的。 緑区プラザイーストの南にある薬師堂墓地。こちらは2月5日の「庚申塔編」ですでに紹介した。敷地の南西の角、高いところに享保5年の丸彫りの青面金剛坐像の庚申塔が祀られている。写真左奥の建物は中丸自治会館。敷地の南東のあたりにも小堂が見える。 庚申塔の裏に無縁仏が集められていた。江戸時代初期の比較的大きな舟形光背型の石仏が多い。 個人の墓石なので、目立ったものだけ紹介したいと思う。前列左端 阿弥陀如来立像 寛文10(1670)光背上部に梵字「キリーク」この時期の石仏は長い年月の風雨にも耐え、当時の美しい姿をはっきりと現在に残しているものが多い。江戸城築城後に残った強固な石材、耐火性にも優れた安山岩が石仏、石塔の原材料として寛文期あたりから大量に流通したということらしい。逆に江戸時代後期の石仏は比較的脆い凝灰岩が多く、そのために風化が進み剥落などが多く見られる。 その隣 地蔵菩薩立像 延宝(1680)光背両脇に二つの戒名が刻まれていた。 前列右端 金剛界大日如来立像 寛文12(1672)一般の個人の墓石を建てるようになったのもこの頃からのようだ。墓石としては地蔵菩薩、聖観音菩薩、如意輪観音、阿弥陀如来などが多く、大日如来は少数派ではないだろうか。 敷地の南東、小堂の中に三基の石仏が北向きに並んでいた。 右端がスケッチの地蔵菩薩立像 享保8(1723)丸彫りで錫杖・宝珠ともに欠けることなく残っている。厚みのある敷茄子の右脇に造立年月日、左脇に中丸村施主十七人と刻まれていた。 中央 阿弥陀如来立像 天明8(1788)臼型の台の上に舟形光背を持つ阿弥陀如来像を載せ、その下は塔身部と台という変わった構成。塔の正面中央に「善光寺念佛三歳三月供養塔」両脇に造立年月日。「善光寺念仏」を調べても特にこれといったものはないようで、善光寺の如来菩薩を思いながら念仏を3年3か月唱えたものだろうか。塔の左側面に中丸講中廿三人、不動ヶ谷戸四人などの銘が刻まれている。 左 丸彫り重制の地蔵菩薩立像 文化3(1806)塔の正面中央に「奉造立尊像一軀」両脇に造立年月日。塔の右側面に三室村松木産 行年七十三、左側面に権律師浄真とあり、こちらは僧の墓石なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.05.18 20:15:27
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