2606081 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

一夢庵別館

一夢庵別館

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

K.Mark

K.Mark

Rakuten Card

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

背番号のないエース0829@ あだち充 「タッチ名言集 ~ 西村勇 ~ 」に、上記…
背番号のないエース0829@ カトリック 「聖バレンタインデー」に上記の内容につ…
はうリング@ 困ったものです。 はじめまして。 いつも、興味深く拝見さ…
pintu7923@ こんにちは。  掲載が停止したときには、今回の事態の…

Freepage List

Headline News

2010.11.13
XML
カテゴリ:民俗学
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第954話 「金打を打つ」

 金打(きんちょう)を打つとか金打したという言葉や用法に初めて遭遇したというか気が付いたのは、”竜馬がゆく(1962~1964:司馬遼太郎)”を読んでいたときのことで、竜馬がやたらとなんでもかんでも金打を打っている仲間達にうんざりしているあたりでした。

 もっとも、じゃあ竜馬は金打を打たなかったのか?というとそんなこともないのですが(笑)、確かに、金打を打つことで何かをやった気になって本来やるべき事が既に終わったかのような心理状態になるのも確かな話だったりします。

 実際、金打の風習は江戸時代に入ってから広まったようで、寝かせた状態で日本刀の鯉口を切って(少し抜いて)から刀を立てて鞘に音を立てて戻すときの金属音がそもそもの金打で、同時に音を立てることで金打を打つとした(これだと一人でも集団でも誓約できる)ようですが、鯉口を切った状態で互いの刀と刀を鍔(つば)の辺りでぶつけて金属音をさせる2人の間の動作が典型事例になったようです。

 つまり、だれかと口頭で約定を交わした場合など、相手が念押ししてきたら、金打を打って”がたがたこれ以上念押しするなら斬る!”と意思表示する意味合いもあったわけで、(少し)抜いた刀を打ち合うのも、俺が信用できないのならこの場で斬るという意思表示でもあり、履行できない場合は自ら腹を切る覚悟があるという意思表示でもあったわけです。

 ただし時代が下がると、かなり軽い意味合いになったようで、自分の大刀と小刀の鍔と鍔を打ち合わせて金打と称したり、相手と刃と刃を打ち合わせて金属音を出す行為さえ乱発するようになっていったようですから、こうなると、興奮して自分でカチャンカチャンとやりたがる人がいると五月蠅かったのではなかろうか?

 本来は、互いの約束を違えないことの簡易な契約確認の動作が金打を打つ所作だったわけで、武士の魂と魂を打ち合わせて宣約したことを違えれば、他に誰が知らない約定であっても生き恥を抱き続けることになり、武士にとってはかなり”重い”ことなのですが、幕末くらいになると、そりゃあもうあっちでカッチャン、こっちでカッチャンと酒でも入って少し興奮するとやっていたようですから、”その軽薄さはいかがなものか”と思った人は幕府側にも倒幕側にも意外と多かったようです。

 もっとも、金打の風習そのものは、武家に限った話ではなく、本来は”自分の魂を象徴するもの”であれば良しとされていたようで、女性ならば鏡(当時は金属を磨いて鏡としていた)、僧侶は鉦(かね)といった、自らを象徴する金属製のモノを打ち合わせることで金打を打ったとしています。

 ただし、本来は自分自身への誓いの約定が出発点のため、出家するときに女性が鏡などを割って家を出たこと ・・・ 不退転の意思表示というか自分自身に納得させる所作あたりがスタートだったのではないか?とも思われます。

 となると、金打の文字の意味とは離れますが、合戦の前に酒杯や水杯を交わした後、その杯を床に打ち付けて音を立てて割る所作あたりも初期の金打と考えていいのかもしれません。

 金銭的な合理性で考えれば杯を割る必然性は無いわけで、やはりそこには自ら退路を断って背水の陣で望む決意表明と、同時に杯を割った仲間との(仲間を捨てて逃げ出さないといった)暗黙の約定が成立していたと考えると、そもそもの始まりの一つと考えてもさほど的はずれではないのではなかろうか?

 また、誓約時に金属と金属を打ち合わせて音を立てる必然性も、ルーツが杯を割るときの音と考えると腑に落ちるのですが、誓約といえば、怪しい話で何度か解説している熊野誓紙(熊野牛王符(くまのごおうふ)、熊野牛玉符、烏牛王、おからすさん)が起請文(誓約書)や護符として知られていますが、神仏との誓約成立時に音を立てる風習は皆無に近いので、金打の風習はそのあたりとは無縁かもしれません。

 ちなみに、熊野牛王符を起請文として使うときは、牛王符の裏に約定の内容、いわゆる起請文を書くのですが、それによって熊野権現に対しても約定の履行を誓ったことになり、いわば熊野権現が約定の裏打ちをする役割になり、誓約を破ると熊野権現の使いとされている烏(一説には三本脚のカラス)が一羽(三羽という説もある)死ぬことになり、約束を破った本人も死んで地獄に落ちる ・・・ とされています。

 が、室町時代後期など、全国を支配する絶対的な権力というか勢力が無くなった戦国乱世の時代になると、大名同士の誓約に牛王符が用いられるようになり、本来ならば、室町幕府の将軍が裏打ちすれば良さそうな約定を熊野権現が行う事例が増えていったようです。

 興味深いのは、死期が近づいた豊臣秀吉が、五大老、五奉行に「熊野牛王符」を使った起請文を書かせて、誓約の内容は豊臣秀頼に対する忠誠だったようですが、御存知のように徳川家康が豊臣秀吉が死んだ後に反故にしたのは御存知の通り。

 ただ、”誰と誰との間の誓約だったのか?”と考えたとき、秀吉と家康の間の誓約なのか、秀頼と家康の間の誓約なのかで言い逃れの余地があるといえばあるわけで、誓約の相手が死んだ場合も誓約の内容が維持されるという保証はどこにも無いのではなかろうか?

 世の中には、利用価値があるか無いかだけで人とのつき合いを変える人が珍しくなく、例えば、親に絶大な権力や財力がある場合はヘコヘコとすり寄って膨大な借りを作っていても、その親が死んで子の代になった途端、子に対して”権力も金もねえお前なんぞに世話になることなんて無いから知ったこっちゃねえ!”とかなんとか捨てぜりふを吐いて借りを全て反故にする人は珍しく無かったりします。

 まあ、親に人を見る目がなかったというだけのことですが、豊臣VS徳川の抗争も規模が大きいだけで、やったことは似たような事ではありますし、欲得が絡んだ誓約というのはパワーバランスが崩れた時に履行させるのが難しくなるということでもあります。

 それこそ、女郎相手の熊野誓紙(江戸時代になると、女郎が馴染みの客に熊野誓紙を乱発することも珍しく無かったようです)でさえ、女郎に誓約の履行を迫った時に”女郎の商売は客を騙すこと、騙されたと騒ぐ方が馬鹿”といった具合に開き直られれば、下手に履行を迫った側が野暮天とされかねないわけで、端から”いつ反故にしようか?”とか”地獄に堕ちるなら堕ちてから考える”としている相手には焚き付けの紙くらいの意味しか無いとも言えます。

 だからこそ、紙に書いて誓えではなく、自分の魂や誇りといった形の無いものに誓った方がまだましという発想も出てきたのでしょうし、舌先三寸でどうとでも言い逃れることができる口約束だけに、その履行を怠れば”人としての評価が下がる”とも言えます。

 もちろん、法治国家の場合は、それが紙ナプキンの裏側にボールペンで走り書きされたことであったとしても、文書で残しておかないと法的な拘束力が無いことが多く、逆に言えば、うかつに誓約を文書で残さないことが要求される社会でもあります。

 逆に言えば、いかに約束事を反故にする人が多く揉め事が量産されているかということでもあり、いかに金打を打つことが儚い誓いであるかわかりそうなものではなかろうか?

 そして、仲間達が金打をあまりにカチンカチンとやっている姿が、竜馬にとっては女郎が熊野誓紙を馴染み客に乱発している姿に重なって見えたのかもしれませんし、実際、金打を乱発すれば”あれ?何時どんな約定を誰と交わしたっけ?”となるのは必定なわけで、金打を乱発すればするほど信用性は低下していったのではないかと。

 確かに、刀を立てて少し抜き、その状態で互いに鍔のあたりをぶつけあったり、音を立てて鞘に戻したりすれば格好は良いし、気分は高揚するかもしれませんが、あまりに頻繁に行っていれば、”お早うの挨拶”と大差が無くなっていくこともまた分かりやすい話ではあります。

 呪術的には、金属音をさせるということは、魔を払う効果があるというのが一般的な解釈で、鳴弦などもそうですが、鉦や太鼓で一定の音を立てることで空気を振動させて気場を変える事で迷いや混乱を絶つという解釈もできそうです。

 元来、武士というのは切り刻まれて内臓がはみ出ているような死体がごろごろしている戦場の死体の中で寝起きすることも要求される商売ですから、いちいち幽霊の類にひるんでいるようでは商売になりませんので、逆説的に神仏に加護を求めることも多くなり、”人を殺して南無阿弥陀仏”という状態になりやすいのかもしれません。

 もっとも、第2次世界大戦やベトナム戦争などで一ヶ所の丘を巡る攻防戦が長期化した場合、遺体を回収できないまま突撃が繰り返されることが珍しくなく、いわゆるハンバーガーヒル状態になるわけですが、日が暮れてくるとやはり出たそうで、慣れていないと”ソレ”に対して発砲する人もいたそうですが、慣れてくると”そんな場所でも寝てしまう”ようになるそうで、人は意外と慣れるものだそうです。

 まあ、自分がいつそちら側へ行くかわかったものじゃない状況下で、先に死んで死体になっている連中を怖れても仕方がないといえば仕方がないのでしょうが、そんな極限状態だからこそ、仲間を見捨てたり裏切って離脱した場合、上官であっても一気に”(生きている)人として”の評価が下落し、それなりの報復も覚悟する必要があったようです。

 その意味で、金打も、戦場という命のやりとりをしている極限状態の下で仲間同士がやれば意味があっても、平時にカチンカチンとやっても女郎の誓紙くらいの拘束力しか無かったでしょうし、人として信頼できる人というのは別に誓紙も交わさず金打もしなくても交わした約定を違えてこなかったから信頼されているとも言えます。

 また、えてして、自分の権利を声高に主張する人ほど、自分の責任の履行には口を濁すとしたもので、その手の人が権力や富を手に入れて得意になっても、ほとんどの人が(下手をすると身近な家族が一番)称賛も憧れもしない、財布やキャッシュカードと同等くらいにしか評価されない傾向が顕著なようです。

 結局、金打を激しく打つことなどよりも、実際にどう生きて行動してきたかの方が人の信用度になっているということで、その辺りは昔も今も変わらないことなのかもしれません。

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第954話:(2010/11/06)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.11.13 00:16:50
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.