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2012.12.12
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カテゴリ:宗教
怪しい話 4-570  「アブラハム騒動」

 ユダヤ教にとって新興宗教的な立場になる基督教の信者だちが旧約聖書を聖書としているのはともかく、なぜにイスラム教徒までも旧約聖書を聖書としているのか?というあたりが今回の主題になります ・・・ たぶん。

 ノアの三人の息子(セム、ヤフェト、ハム)の内の長男セムの子孫としてアブラハムが誕生するのですが、実はアブラハムというのは本名では無く、神から与えられた”多くの国の民の父”とでもいった意味の名で、実のところ、アブラハムが親に付けられた本名というのは不明です。

 アブラハムが、なぜアダムとイブをエデンの園から追放して二度と帰参を許さなかったどころか、生命の樹の実を食べられないようにケルビムまで配置するくらい警戒するような神様を熱心に信奉したのかは謎ですが、結果的に、我が儘な子供のような反応をする神様に翻弄される人生を歩むことになります ・・・ やっぱりねというかなんというか微妙なところですが。

 諸説あるのですが、エデンの園はどこにあったのか?というと、旧約聖書の記述を信じればですが、”4本の川が流れる場所”ということになっていて、具体的な川の名前としては、チグリス川、ユーフラテス川、ビション、ギボンということになっています。

 この内、チグリス川とユーフラテス川は現在もペルシャ湾へと流れ込んでいる大河として知られていますが、残りのビションとギボンに関しては該当する河川がありませんから、具体的にどこだったか絞り込むことは難しいのですが、大枠では現在のイラクやクエートがある辺りというか、バグダットからペルシャ湾にかけてのどこかにあったという説に人気があります。

 少なくとも、その辺りはノアの時代に大洪水の舞台となり、ノアの一家の乗った箱船もまたその近辺から土耳古のというかカスピ海が近いアララト山まで運ばれるくらいの天変地異に襲われたわけですから、チグリス川とユーフラテス川が残っているだけでも僥倖の様な気もしますが、まったく別の場所にあったエデンの園から移り住んで状景が似ていることからチグリス川、ユーフラテス川と名付けた可能性も捨て切れません。

 なぜならば、エデンの園の中央に”智恵の樹”と”生命の樹”が生えていたという説があり、少なくともアダムとイブの追放後はケルビムがエデンの園というか生命の樹を守っていることになっていますから、そんな人がうろうろしやすい場所にあれば、早晩、生命の樹の実を人類が食べてしまうか、具体的なエデンの園の場所や外から見た様子などが伝承されたのではなかろうか?

 というか、ノアの洪水で水没するような場所にエデンの園があったとすれば、大洪水でエデンの園も水没したハズで、土砂に埋もれてしまったとすればケルビムもその段階でお役ご免になっている気がしないでもありません ・・・ そうなると智恵の樹も生命の樹も既に枯れて石炭かなにかに成っていても不思議では無くなるのですが。

 まあ、日本風に言えば智恵の樹も生命の樹も御神木ですから、地中でも枯れずにいるのかもしれませんが、そもそものエデンの園がペルシャ湾岸とはまったく別の場所で、智恵がついた後のアダムやイブでも偶然を見方にしないと帰ることができない場所だったと考えておけばいいのかもしれません。

 エデンの園への復帰願が、世代を経る事に減衰してしていくことも、ペルシャ湾岸にエデンの園が無かったのではないか?という邪推の根拠の一つになっているのですが、ノアの洪水の後、バベルの塔を建設できるほどの技術と知識を得た人類ならば、その気があれば、擬似的なエデンの園を再現することくらい簡単だったのではなかろうか?

 その意味で、バベルの塔の建設を指揮したノアの曾孫のニムロド達の世代になると、エデンの園へ復帰するより、楽園から自分たちを追放し大洪水で根こそぎにするような神に頼らず、自分たちで楽園を造ることを優先する現実路線へと変化していたという解釈も可能になります。

 どこにあるのかわからないエデンの園に恋いこがれるより、自分たちが実際に寝起きしている都市をより立派に住みやすくしていくことにこそ努力を傾注しようとでもいった発想ですが、それを嫌ってバベルの塔の建設に神様が言葉を通じさせなくするという横槍を入れて、結果的に、相互の意志疎通を崩壊させたことで紛争が多発するようにもなったわけです ・・・ 聖書を素直に読めばですが。

 何か独自に建設的なことをしようとすれば神様が横槍を入れてくることを学習したためか、そんな根性の悪い神様が用意する”約束の地”がどのような代物かはわかりそうな気もしますが、形を変えたエデンの園への復帰願望が”約束の地”への信仰へとすり替えられていくことになります。

 冷静に考えれば、”約束の地”はエデンの園の他にあり得ず、仮に神がその他の場所を指定したとしても、エデンの園以外ならば、結局は自力でそこを住み良く変えていく必要があるわけですから、どこでも大差が無く、人口が増加すればやがて約束の地では養いきれなくなることも分かり切った話ではなかろうか?

 もっとも、カルデアのウルに生まれたアブラハムはそう考えなかったようで、”あの”が付き添うな神から”私の示す地へ行きなさい。そうすれば私はあなたを大いなる国民の祖としましょう。”と告知されると、指定された約束の地”カナン”に旅だっています。

 彼のカナン行きには、妻のサライと甥のロトも従っているのですが、アブラハムとサライの間には子供が長く産まれていなかったことから、ロトは事実上の養子というか後継者だったと考えると、その後の展開が分かりやすくなります。

 艱難辛苦の末にカナンに辿り着くと、神は”私は、あたなの子孫にこの地を与えよう”と告知するのですが、ここで肝要なのは神が素直に”あたなにこの地を与える”とは言っていないことで、どこぞの国の官僚の答弁のような言葉のレトリックがそこにはありますが、案の定というかやがてカナンの地を大飢饉が襲い、アブラハム達はエジプトへの移住を余儀なくされます。

 もっともエジプトへ行ったら行ったで、妻のサライの美貌にファラオや有力者たちが魅了されて一悶着が生じ、最終的にエジプトから追放される形でカナンに舞い戻ることになるのですが、カナンに戻ったら戻ったで甥のロトとの間で土地問題が勃発してしまいます。

 聖書によれば、アブラハムはロトに好きな土地を選ばせて自分は荒野で遊牧生活を始めたことになっているのですが、伯父にそういった生活をさせることをロトの側も良しとはしなかったのか、、”これ以上、つきあってらんねえ”と思ったのか、遠く離れた死海の南にあったソドムへ移住する選択をしています。

 かくして、ロトはロトで、其の後、ソドムの滅亡に遭遇し波瀾万丈の人生を送ることになるのですが、それはまた別の話ということで。

 事実上の後継者であったロトと袂を分かった後、アブラハムはエジプト人奴隷のハガルとの間にイシュマル(”神、聞き届け賜う”の意)という男の子を得るのですが、これがアブラハム86歳の時のことだったとされていて、現代の感覚だと確実に他人の種を疑うところですが、以前にも触れたように、ノアの頃は寿命が数百年単位だったものが次第に短命化していったという説があるように、当時の86歳は現在の43歳よりも若いくらいの感覚でいいのかもしれません。

 というのも、アブラハムが99歳になったとき、神はアブラハム(”多くの国の民の父”)という名を、その妻にはサライ(”高貴な女性”)という名を与えているのですが、同時に、二人の間に男の子を授けるという告知をしていて、翌年、イサク(”笑う”)が産まれているためです。

 まあ、それも誰かの子をこっそりと実子としたと解釈すればいいだけのことかもしれませんが、最初に男の子を産んだことで増長してサライを見下す言動が目に付くようになっていたイシュマルの立場が微妙なものになったことは言うまでもありますまい。

 いかに、イシュマルが長男だからとハガルが力説しても、エジプトからカナンに舞い戻った後に奴隷女との間に産まれた子で、それこそ糟糠の妻として艱難辛苦を伴にしてきた正妻が男の子を産んでしまうと居場所が無くなるのは時間の問題だったでしょうし、何よりも神様に忠実なアブラハムにとって致命的だったのは、神もサライの要望と同じように、ハガルとイシュマル親子を追放するように告げた ・・・ とされています。

 もちろん、それなりの財産を持たせての追放だったようですが、成人した後のイシュマルはエジプト人の妻を得て子を成してアラブ人の祖となったとされています。

 故に、イスラム教徒の主張としては、イシュマルこそがアブラハムの正当な後継者であり、その子孫であるアラブ人もまた神から繁栄を約束された民であるとなっているわけですが、イシュマル達が分派して以降の話はまた別の機会に。

 ちなみに、では残った次男のイサクが安泰だったのか?と言えば、神様の根性の悪さの典型事例として指摘する人が珍しくない、アブラハムに”生け贄としてイサクを神に捧げるように”という神の告知が下されています。

 ハガルと長男のイシュマルを追放した後に、年老いて得た次男を生け贄に捧げよと告げる神も神ですが、それに素直に従うアブラハムもアブラハムで、神からの告知があった翌日にはモリヤの山に登って祭壇を築き、イサクを生け贄として屠ろうとします。

 その愚直さに神様もあわてたのか、神の使い(天使ですな)が急行して振りかざした刀を止めて”その子を殺してはならない”と告げているのですが、それなら最初から命じるなと言いたくなる人は珍しく無いのではなかろうか?

 それだけの思いをしてアブラハムが神から得たものは、既に約束されていたカナンの地での子孫繁栄の再確認程度ですが、後のユダヤ教、基督教、イスラム教の信者たちがこの愚直なまでのアブラハムの行為をもって”信仰者の父”と呼ぶようになったとされています(溜息)。

 もちろんというか、母親のサライからすれば年老いてから得た愛息子を、さんざん尽くしてきた夫が未遂とはいえども簡単に生け贄に捧げたことはかなりショックだったようで、この生け贄未遂騒動から間もなく127歳の生涯を終えています。

 アブラハムはヘブロン近郊の洞窟を購入してサライを埋葬し、その後、イサクの成長と結婚を見届けた後に175歳で亡くなるのですが、その遺体はイサクによってサライと同じ洞窟に埋葬されたとされています。

(2012/11/16)





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Last updated  2012.12.12 07:43:56
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