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2012.12.17
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カテゴリ:宗教
* 楽天の規制の関係で一ヶ所オリジナルとは変えてあります。

一夢庵 怪しい話 4-572 「エジプト移住」

 カインとアベルの呪いなのか、中東界隈でも”兄弟は他人の始まり”なのか、なぜか旧約聖書には兄弟が殺し合いをする話が珍しく無いのですが、イサクの息子というよりアブラハムの孫にあたるエサウとヤコブの双子の兄弟の仲違いも殺し合いになりかけたのでした。

 生年月日で占う占術でしばしば話題になるのが”双子の運命の分岐”ということで、理論上は同じ運命を歩むはずの二人がしばしば天と地ほども違う人生を歩むことがある矛盾をどのように解釈するかということですが、二人を物理的に離して別々の場所で成長させることでそういった現象が緩和されることもまた知られています。

 五行理論でいえば一卵性の同性の双子は究極の”相克(そうこく)”の関係にあるわけですが、陰極まれば陽に転じるではありませんが、互いが”相似(そうじ)”であるがゆえに境目が無く、それこそどちらかが死ぬまでシンクロしていて、まさに”2人で1人”なバロムワン状態で終始した事例もあります。

 あれこれ事例を調べていくと、最終的に双子問題の根本的な原因は”自我の形成”へと辿り着くのですが、自分に酷似した存在を否定するか受け入れるかで、明暗が分かれ、互いの自我がある程度まで成長するまで物理的に距離を置いて接触する頻度を下げることで、少なくとも自分が自分であるために自分に酷似している存在を(殺傷することを含めて)否定するストレスを抱えずに済むことにもなります。

 もっとも、別に双子でなくても兄弟喧嘩は珍しい話ではありませんし、占術の類が双子でなければ100%的中しているわけでもありませんから、双子といえども同じ運気に乗るとは限らないと考えておく程度でいいと思いますし、それこそ後天的なささやかな経験の差でさえ運命を分岐させていくことも確かな話になります。

 まあ、双子問題に関しては言霊信仰が根付いている日本人が納得しやすいのは”名前が違う”ことで運命が分かれていくという考え方で、姓名判断が意外と整合性があることから考えても、その辺りが落としどころかもしれません(笑)。

 ところで、エサウが長子権をヤコブの豆料理と交換した段階で対価を伴う”契約”が成立しているわけですから、ヤコブが奸計を巡らせて実際に長子権を得たとしても、それに対して異議申し立てをする権利が既にエサウには無かったのですが、長子権は”親の財産を総取りする権利”と言い換えてもかまわない権利で、日本でも戦前の法律は長男に財産を一括相続させて”家長”とし、その他の姉妹弟には原則として何も相続させなくてかまわにことになっていました。

 正確には、何も相続していないが故に、”家長”に課せられる義務や責任とも無縁でしたし、”家長”は家族に対して対外的な(就学、結婚、就職、転居などに際して)責任を総て持つ制度でもあったわけで、一族の構成員がしでかした不始末の後処理もまた家長の責任であり義務になるわけですから、親の財産の大半を引き継がないのなら負担とデメリットの方が大きくなるとも言えます。

 戦後の民法では、長男相続が否定され、均等割り相続とでもいった方式になったのですが、それで何が起こったかといえば、”長男(長女)だからというだけで親の面倒を見る義務はない!親の財産を均等割りするのなら、親の面倒も均等割りだ!”という考え方の普及で、まあ、ごもっともとしか言いようがないかなと。

 そういった現実を前にして分かることは、長子相続というのは貧乏で過酷な環境下では一定の合理性がある制度ということですが、相続する財が大きければ大きいほど、”なぜ自分は相続できない?”と考える弟姉妹が出てくるのもごもっともな話で、ましてや双子の兄弟で能力的に大差が無いとなると揉めない方が珍しいのかもしれません(笑)。

 もっとも、ヤコブの場合は、まんまと兄のエサウを出し抜いて長子権を手に入れたものの、兄弟間で殺し合いになりかけたことで母方の伯父の下へヤコブが逃走し、事実上、長子権を放棄した形になり、伯父の下で14年以上働いて妻と財産を手に入れたことで、敢えて実家の財を欲しなくても良いだけの立場になり、エサウの側も親の財を相続して代替わりしてから一定の年数が経過したことで立場が安定し、互いに和解が可能になったようです。

 ただし、兄がまだ激怒しているかもしれないと恐れたヤコブは、兄と和解するために故郷へ戻る途中で使者を送って実家の状況を確認させているのですが、兄のエサウは400人もの人を集めてヤコブを出迎える準備をしていたそうですから、エサウの方も弟のその後の事が気がかりだったようです。

 ヤコブって酷い目に遭いすぎた?と思うのは、そういった情報を得ても、念には念を入れて、財産目当てではない意思表示を兼ねて多くの家畜を兄への贈り物として先行させているあたりからですが、不思議な騒動が起こったのは、その家畜を先行させた日の夜のことで、いわゆる”ヤコブと天使の力比べ”騒動が勃発したとされています。

 その夜、夜の闇の中で何者かがヤコブに襲いかかり、ヤコブは延々と襲撃者と戦い続けたのですが、最後にヤコブの股関節(正確には”ももの関節”)を外して動きを止めてから”お前は神と戦って勝った。これからはイスラエルと名乗るように”と告げて襲撃者は姿を消したことになっています。

 ちなみに、そのとき傷ついたヤコブを治療したのが四大天使のラファエルで、天使と格闘して勝ったヤコブもまた実は地上で人間になった四大天使のウリエルだったという説もあるのですが、、そういった俗っぽいことをやらかしたが故にウリエルは堕落者として批判されることがままあるようです。

 これまたちなみに、アダムとイブが去った後のエデンの園の番人は炎の剣を手にしたウリエルという説もありますし、最後の審判において人々の霊を裁きの場に導くのもウリエルの仕事とされています ・・・ 堕落しているかどうかは兎も角、ラファエルともども天上界の実力者であることは確かな天使と言えましょう。

 不思議な夜の後、ヤコブはエサウと再会して無事に和解に成功し、カナンの地へ家族全員で戻ってイスラエル12部族の祖となるのですが、2人の兄弟でも殺し合いになるのに、12人もいれば揉めない方が不思議というもので、12人の子供達の代にも揉め事が生じます。

 というか、ヤコブの代になると、約束の地だったハズのカナンからエジプトへと集団移住しているのですが、その背景としては、ヤコブの頃から次第にカナン周辺には巨大国家が勢力を伸ばし始めていて、西には当時の超大国であるエジプトが、北には鉄器の使用で知られるヒッタイトや騎馬を駆使するミタンニがあり、何よりも東のアッシリアやバビロニアの台頭は、風雲急を告げる状況で、そういった勢力に対抗できる規模の国が誕生していないカナン界隈が周辺諸国の草刈り場になるのは時間の問題だったとも言えます。

 もっとも、話の始まりは御多分に漏れず兄弟喧嘩で、ヤコブが14年間の労働と引き替えに手に入れた最愛の妻ラケルの産んだ(ラケルからすれば長子で)11男のヨセフを溺愛したことが喧嘩の根本原因とされているのですが、ヤコブからしてみれば、レアとの婚姻そのものが”不正”と”不義”の象徴のようなもので承伏しがたいところを押忍とこらえて更に7年働いてラケルと結婚できた経緯があるだけに、別の意見があるとは思いますが。

 ただ、そのヤコブの理屈は子供達からすればしったこっちゃ無い話ですし、基本的に長子相続が当たり前の地域で11男を長子よりも厚遇することに納得するわけもなく、ヤコブが可愛がれば可愛がるほど兄弟の中でヨセフが孤立していくことになったであろうことは想定の範囲内の話になります。

 そういった不穏な状況の下、兄たちは、牧羊をしているところにヨセフが”父の使いとして”晴れ着を着てやってきたときに、さすがにカチンときたようで、晴れ着を脱がせて涸れ井戸へ投げ込み、ヤコブにはヨセフが獣に襲われて死んだと報告してしまいます。

 さすがに殺すには忍びないと思ったのか、ヨセフを涸れ井戸から引き上げた兄たちは奴隷商人に銀貨20枚で売り渡し、ヨセフは奴隷としてエジプトへ売られていくことになるのですが、ヨセフはエジプトでファラオの侍従長のポティファルの下で働くことになりましたから、11男としてカナンでそのまま過ごしているよりチャンスと冒険には恵まれたと考えることもできます。

 視点を変えれば、そのまま実家にいれば、長子権を持つ長男以外の11名の兄弟が、荒野の真ん中でわずかに配分されるであろう羊を飼いながらいがみ合っている間に人生が終わりかねなかったところを、他の人生を選択できるチャンスをヨセフは得たわけで、それが例え後ろ盾も無い奴隷身分からの徒手空拳のスタートでもあったとしても、ラッキーといえばラッキーだったのではなかろうか?

 ちなみに、奴隷としてエジプト生活をスタートしたヨセフですが、イケメンだったのか、侍従長のポティファルの奥さんから誘惑されるのですが、そのお誘いを拒絶したことを逆恨みされて、”ヨセフに強○された!”と奥さんが騒ぎだし、ちょっとした騒動になってしまいます。

 まあ、状況から考えて薄々奥さんの狂言であることに気が付いていた人の方が多かったとは思いますが、奴隷を一人収監して適当に処罰すれば話が(その奴隷以外にとっては)丸く収まる程度の話でもあるだけに、あえて見ず知らずの奴隷のために火中の栗を拾うことになりかねない”真実”を無償で探求する人が出ることもなく、ヨセフはあっさり収監されてしまいます。

 しかしながら、此の辺りからが物語的に面白いところで、ヨセフは獄中で同じ牢に入れられた給仕長と料理長の見た夢を鮮やかに解いて注目を集め、夢占いの達人としてトントン拍子に出世の階段を上がることになります。

 聖書では、エジプトの宰相にまで上り詰めたことになっているのですが、さすがにそれは物語の域を出る話では無いものの、ある程度は行政上の裁量を任され、因縁のある奥様が手出しできないくらいの地位には出世したようで、それもまた王であるファラオの見た夢を解き、その対策を提案し、夢占いが的中し、その対策も功を奏したことが大きかったというあたりはあえて否定する必要もないのかもしれません。

 では、ヨセフが牢屋で給仕長と料理長が見た夢と、ファラオが見た夢をどのように解いたのかというと ・・・ 長くなっていまいリましたので、その辺りの話はまた別の機会に(笑)。

(2012/11/19)





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Last updated  2012.12.17 22:06:17
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