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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2009年01月02日
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 初詣に行き、拝殿に向かって行列が出来ているとうんざりするが、その参拝客が一々に二拝二拍手一拝をするのを見ると腹が立つ。親子連れで来て、父親が子どもに「こうするのが本当だよ」などと教えているのを見ると、後ろの人を見せて、他に教えるべきことがあるだろうと強く思う。
 神社本庁が悪いのか、テレビでマナーなどと称して紹介するしたり顔の輩が軽率なのか、そんなものを鵜呑みにして実践する者が軽薄なのか・・・、とにかく正月三が日で混雑している社殿で、二拝二拍手一拝をするなど、良識のある大人なら即刻直ちにやめてもらいたい。これは、混雑した場での重大なマナー違反であり、人倫にもとり、当然神の照覧するはずのない行為だと思うのだ。
 考えれば当たり前だろう。後ろで人が列を作っているのに、年に一回しか来ないはなはだ後ろめたい立場の人間に、正式な儀式上の作法など無用の長物でしかない。本当に正式にしっかりお願いしたいことがあるなら、ごく普通の日にやってきて、人っ子一人いない静寂そのものの境内で、ごくごくゆっくり正式の手順を踏んで神様に向き合えば良いのだ。神様もお暇だろうから、とっくり話しに乗ってくれるに相違あるまい。なぜそれをしないのか、そういった連中でも、話に行った先の人が多忙なようなら、「お忙しいようですから、日を改めてお伺いします」と言うくらいの常識があるだろう。人には出来て、神様にはしないというのは不都合以上に不遜ではなかろうか。
 もちろん私もその一人だが、何となくのやっつけで初詣に来ただけなら、賽銭箱に10円玉でも放り込み、バイトの巫女さんから縁起物を買ってさっさと帰れば良。もちろん、年に一度何となく挨拶に行くだけの、すでにして十分に無作法な我々が存在しなければ、神社も困る。奉仕者である神職が食えなくなれば神様も困るのだ。従って、正月の喧騒の中ドサクサに紛れてやって来て、お賽銭箱に小銭を放り込むくらいの無礼は大目に見てくれるどころか、あたたかな目でご照覧になっていることと信じたい。しかし、後ろに寒風の中待っている人がいるにもかかわらず、そこだけマニュアルどおりの儀礼にこだわるような、身勝手・手前勝手・自由勝手の気ままなお調子者の狼藉を、笑って見過ごすかどうかは知れたものではない、とかえって心配してしまう。
 少なくとも、人がひしめく都会では、人は他人に気遣って行動しなければならず、気遣った行動こそが粋とされてきたのだ(「江戸しぐさ」とかいう奴ですな)。後ろに人が待っていれば、儀式ばった事などにこだわらず、簡略に切り上げてこそ粋であろう。野暮天にはなるまい。謙譲心であり思いやりであり人として無くてはならぬものを、たかが一年に一回の神詣での些細の儀式手順で捨て去るなど、愚かしいことと言わねばならない。
 私は基本的に無頼漢であるが、礼儀は大切であり、儀式での作法は尊重されるべきものだと思っている。しかし、初詣は一般人の年中行事であって有識人の儀式ではない。例えれば、火事場でも守るべきは礼節であって儀礼ではないのだ。居住まい正しくなどせずさっさと逃げても許されるが、その際に女子どもを足蹴にして我が身だけが助かろうとするのは人として許されまい。人が多ければ、普段の礼儀より他の利となるべく行動するのが礼節であり、それが本当の気遣い、マナーであろう。
 つまらぬ形ばかりのノウハウなど二の次にして、より本質を見直すべきではなかろうか。






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Last updated  2009年01月02日 22時26分18秒
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