夜な夜な浮気オスと戯れるニッキ
ニッキは毎夜の放鳥を楽しみにしている。ポン・ラック・デコなどのオスが言い寄ってくれるのを喜んでいるのだ。これを見て、我が家の人間の年寄りが娼婦だと言うので、港のメリー(マリー、ヨコハマメリー)を連想した。
港は横浜港周辺のこと、メリーは顔を真っ白に塗りたくり白いドレスを着た娼婦の成れの果てのことだ。戦後進駐軍相手に娼婦を始め、十数年ほど前まで関内・伊勢佐木町近辺を徘徊し、夜の仕事を継続していた救いがたいホームレスのろくでなしだが、昼間にフラーリ、フラーリと歩いたりベンチにたたずむ風情に、何か哀愁を感じて好意的に受け取る人もいたようだ。好意的な受け止め方は、晩年になるほど、またその死後時間がたつほど強くなっているが、実際のところは、まともな人は完全に無視するか白眼視、小学生は「マリーを探せ!」と好奇心でからかいの対象としていただけで(本当に行ったかは知らないがそういった話題で騒いでいた級友がいたのは事実)、本人は習慣的にホームレス娼婦を続けていただけに過ぎない。いちおう晩年の10年ほどの期間も、頭がまともに動いていたと仮定すれば、特に褒められるべき点も、同情を寄せるべき点もないだろう(嫌な生き方ならとっくの昔にやめていたはずである。ああいった手合いは、娼婦になったきっかけなどを仲間内で記憶を共有するものなので【いいなと思えば自分の体験として、実は違うことすら忘れる】、近づいて話を聞いたところでデタラメが多いものだろうと思う)。
ニッキはまだ若いので、あの老娼婦とは違って元気はつらつだが、私の目にはあの白いドレスも茶けて見えたものだったので、何となくイメージが重なってしまうのであった。老いるまでこの生活を続けるのは、ニッキにとっては願ってもないことのような気もするが、そうはならないように飼い主の側で考えたいところだ。