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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2013年01月02日
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カテゴリ:文鳥動向の備忘録

若桜文鳥(イート・ミョー)
我が家の風雲児たち

 昨年、引っ越してからひと月ほど経った頃、衣装ケースいっぱいの本が、親類から送られてきた。前触れなし。半分は漫画。どういった意図なのかわからないが、その中にみなもと太郎さんの『風雲児たち』という漫画全20巻があり、何となく聞いたことがあると思いつつめくったら、あの大谷行部があの石田治部にハリセンかましていたので、ビックリしつつ、せっせと読み、さらにその続きである幕末編を、現在17巻まで買って読んでいる。
 幕末維新の前提として、江戸時代の外交史技術史、わけても北方探検と蘭学の発展を追っていくのだが、キーパーソンというか目立つ人物の一人に、最上徳内という、教科書的には地味な存在の人がいる。奥さんが旦那の徳内に合うために青森県の野辺地から江戸へ出てきて、浅草寺門前で津軽弁を炸裂させたりするのが印象的なのだが、ともあれ、少し調べたら、その人の墓が文京区向丘2丁目の蓮光寺にあるのを知った。地図を見たら、幼少の頃ブランコで遊んでいた大観音様の「裏」であった。・・・知らなんだ。
 さらに、一万円札の福沢諭吉の師匠である緒方洪庵のお墓が、その蓮光寺のさらに「裏」の高林寺にあるのを知って驚いた(千駄木からのあくまでも個人的な主観で「裏」と言っている)。幕末編で、お調子モンの弟子の諭吉の面倒を見ている人だ。もちろん存在は知っていたが、なぜ大阪適塾の蘭方医の大先生の墓が「裏」にあるのだ・・・。私は無知だったが、幕府に呼び寄せられて、将軍御典医となり、江戸で亡くなっていたのだった。
 で、運賃の高い埼玉高速鉄道に乗って直通の南北線本駒込駅で降り、ちょいと右折すれば高林寺だ。緒方洪庵の墓が境内のどこにあるのか知らなかったが、何となく奥の左手あたりに見つけてお参りする(私は「カニ文字」苦手ですが・・・)。奥の柵のむこうも墓で、おそらくそちらは蓮光寺のはずだが、もちろんよじ登って越えるようなことはせず(年寄り同伴)、ぐるりと回って蓮光寺の立派な門から中には入り、ローカルな最上徳内の墓が見つかるか不安だったが、勘が良いのか目端が効くのか、わりあい容易に門を入った左手に発見し、お参りした(私は寒いところも苦手ですが・・・)。
 風雲児たちのお墓参りを果たし(手を合わせただけです)、伯父にお年賀を渡し、そのまま東大の裏をてくてく歩き、亡くなった祖父が好きだった『日本盛』の自販機のあった酒屋がコンビニに変わっているのに気づき、中に入ったら、不思議と『日本盛』のカップ酒が売っていたので買い、母方のお墓にそれを掛けてお参りし、東大前から地下鉄に乗って帰った。墓参りについては、お腹いっぱいだ。

 我が家の文鳥風雲児たちの墓、野菜栽培用プランターの「文鳥墓苑」は、そのうちブロックか何かで一段高い花壇的なものにしようと思っている。一箇所で、それも庭にあるから、便利だ。






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Last updated  2013年01月02日 22時51分55秒
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