リオかくしり
手乗りにするためにヒナを親鳥から引き継ぐことを、『巣上げ』と表現する人がいる。私は、基本的に普通では理解しがたい専門用語やそれらしきものは、なるべく使用しないことにしているので、『巣上げ』も使用しない。
そもそも、巣を上げる、とは何だろう?日本語では、病気が快癒して普通の生活に戻る際、「床上げ」と表現することがあるが、これは病床を片付ける、布団を押し入れに上げて仕舞うところから来ているはず。となれば、『巣上げ』も、汚れた巣を親鳥から取り上げて片付ける意味なのであろうか?
しかし、『巣上げ』は辞書にない。試しにスアゲを入力すれば、『素揚げ』と変換されてしまう。つまり、昔から定着している言葉ではないようだ。いったい、この言葉はどこから来たものだろう?昔の繁殖農家なり繁殖家が使用していた専門用語なのだろうか?むしろ、誰かが勢いで言い出した造語を、専門用語と勘違いしたネット族が中心になって拡散させた最近の言葉である可能性もありそうだ。
もしそうであっても、『巣上げ』という言葉も定着するならそれはそれで良いとは思う。ただ、そうであっても、『巣上げ』は一部にしか通じない言葉に過ぎないので、せっかく一般的な感覚を持っているはずの初心者は、わざわざそんな言葉を使って《通》になった気持ちにならない方が良いと私は思う。《通》ぶって「生兵法は怪我のもと」を実践してしまうより、普通の言葉でいつまでも初心を忘れない方が、よほどケガ=飼育場の過失行為は少ないようには、思えてしまうのである。
「文鳥の家庭飼育にプロなどいるか!」、なのである。現在の家庭飼育は、文鳥を人間家族並に扱う以上、プロなど有り得るはずがないではないか(家庭の子育てにプロがいないのと同じ)。その日常生活の一部としての飼育での出来事を表現する際に、畜産動物なり経済動物なり観賞動物と見なした上で生じた専門用語の類を、さして必要性もないのに、わざわざ使用してやる義理など無いと、へそ曲がりは思ってしまうのである。
それはさておき、リオ。結構、うっとうしい男のようだ。
一日中カゴにしがみついて隣カゴをのぞき見し、放鳥時にはサクにまとわりつき、サクが飛ぶと一緒に飛び立ち途中で不時着する。サクもかなり変わった文鳥(さえずりダンスは好きだが交尾はせず産卵もしない)で、愛されるのを知らないというか、まとわりつかれるとうっとうしい気配を見せてしまう。
とりあえず、サクへの一方的な愛情のおかげで、リオの運動能力は劇的に向上しているので、しばらくこのままでいようと思う。
隣カゴ覗き=懸垂運動中
飛び立ち準備中=羽ばたき訓練