球形の夫(ノッチ)と板状の妻(イッツ)
文鳥に限ったことではないのかもしれないが、飼育本には、ろくなものが無い(断言!!)。
昔のものは、いい加減だし、そもそもプロ的な飼育しかわからない人が、家庭飼育との違いついては、わかっていないこともわからずに、飼い方を伝授するといった気負いが感じられて、微笑ましい。それはあたかも、知ったかぶりの小学生の坊ちゃんが、同級生にふた桁以上の足し算でも教えようと鼻を膨らまして頑張っているのを見るような感じだ。
最近のものは、文鳥の個性やその気持ちの洞察を試みる点は素晴らしいが、断片的な科学的な知識を、実に狭く底浅い上辺っ面だけの理解をして、軽薄さ全開でひけらかしているようにしか感じられず、とても微笑ましい。それはあたかも、ちょっとばかり知識人ぶった主婦たちの井戸端会議(自分勝手な解釈による知識とその場の雰囲気による無責任な迎合だけで成立している無駄話)を、ファミレスでたまたま近くの席に座ってしまい、否応なく聞かされているかのようだ。
このように書くとずいぶん上から目線で、嫌味を言っているように思われるかもしれない。しかし、新旧ともどもに、科学的で客観的な検証が不十分で、ほぼ独りよがりの主観に過ぎないと断じるしかないそれを、疑いもなく信じて実行した飼育初心者のリアルな弊害を聴かされたら、他人事でも笑ってはいられなくなる。
「そんなの読まずに、俺のでも読んで、文句あんなら言ってみろ。タダだし」と言いたいがために、『文鳥と暮らすための本』を始めたのが、・・・何と4年前の2010年春であった。書き上げて発表しようとぼそぼそと下書きをしていたものの、2011年の大震災で精神的余裕が失われ、少し落ち着いた晩秋になって思い出し、テキトーに清書してはじめの部分を公開した。その後少しずつ書き足して更新していくはずが、2012年になって引越しを考え始めてそれどころでは無くなり、引越しが決まったら、それどころも何もわやくちゃになってしまった。地獄の黙示録のような引越し後も、翌春までその後遺症が続く始末で、手付かずとなってしまった。
もちろん、覚えてはいたのだが、忘れようともしていたのだ。何しろ、文章をでっち上げるのは、それほど苦ではないが、写真をいじりだすと、くたびれてきてしまうのだ。ところが、、先ごろサクが亡くなり、後回しにしていたその他の文鳥たちの追悼ページともどもに、写真の整理に迫られ、そのおかげで、写真いじりに免疫ができた。そこで、このチャンスを逃さず久しぶりに『文暮本』を更新すべく、努力を始めた。・・・いつまで続くかわからないが、とりあえず夏までに1章を目標にしている(テキトーにいろいろ手を抜いてしまうつもり)。