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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2016年12月03日
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カテゴリ:文鳥動向の備忘録

オーチャードグラスの種が食べ物なのか思案するヒノ

 ヒノっぴもずいぶん我が家に染まってきたようだ。環境に慣れて人に馴れつつある段階、さらに馴れれば手の上に乗ってエサを食べるくらいになるはずである。
 しかし、それは人馴れた文鳥で、手のり文鳥とは違う。文鳥側が人間を、危害のない友好的な動物と認めるのと、そもそも同じ種類の生き物と見なしているのとでは、根本的に違うのである。かなり頻繁に、差し餌をして育てたが、毎日遊ばないので荒鳥になった、との話を聞くが、これは誤解である。遊ばない同種の生き物を友だちなり恋人と見なしていないだけで、これは変化可能だ。たまたま疎遠で口をきいたことがなかった人でも、何かの機会で話したら、気があって友だちになったり恋人になったりするのなど、普通に有り得るのと、まったく同じだ。

 さて、昨日の時事ネタで、天皇陛下のご譲位について触れたが、あれだけでは何なので、さらに有識者でご譲位に反対する有識者に対しての感想を述べたい。
 およそ諸氏のご意見は、明治時代の伊藤博文から変わらぬ問題意識の踏襲に過ぎず、何らの工夫もなくおよそ陳腐に思えた。そもそも明治の元勲たちは、戊辰戦争で自分たちが明治天皇を奉戴し錦の御旗を掲げて、徳川幕府方を攻め立てたが、その際、幕府方にもご皇族の輪王寺宮(後の北白川宮能久親王)を擁しており(上野寛永寺で彰義隊に担がれることになり、その後東北に移って奥羽越列藩同盟に推戴されている)、天皇家の権威が分裂する危機を実体験している。つまり、終身天皇という歴史上特異な明治以降のあり方は、明治草創期における当事者たちの危機意識を反映しているに過ぎない。そのような歴史的にピンポイントな危機意識を、平成の御代に共有するのは、並外れて非現実的な想像力を持たなければ不可能かと思う。有識者の中には歴史家もいらっしゃったが、そもそも、天皇家の在り方を見れば、譲位するのが当たり前であり、天皇が政治的権力を失い、その権威も形骸化した総じて平和な江戸時代には、譲位により大きな問題など起きていない。まして、国民主権で基本的人権の保証される自由民主主義社会で、天皇家による権力の分裂など、お笑い種にしかならない。現代でも旧皇族の出身者で、民間においてご活躍されている方はいらっしゃるが、例えばその方が男系男子だとしても、それを大義名分に天皇陛下として推戴して反乱を起こす者がいるだろうか?
 天皇陛下の存在理由が、一に存在することにあり、二に祭祀王として国家安寧を祈ることであったと考えられている方が多かったようだ。その点は賛成だが、祭祀王が高齢でも務まるとの発想は理解できない。祭礼の祭主は、健全でなければ務まらず、高齢となれば役割が果たせないのが当たり前ではないか。もちろん、宮中の奥深くでの行事など、周囲がテキトーに切り回していても、我々の感知するところではないが、天皇陛下ご当人が式次第に則ってなされるのが本来であり、これまであのような生真面目な方であれば、そのために精勤されてきたはずなので、ご高齢で式次第をこなせなくなるのは、精神的に大きな苦痛になっていると推察するのが、普通の感覚であろう。
 現在の矛盾の多い法制下では、天皇を政治から排除しながら、その政治とは関わりない天皇陛下の祭祀を、政教分離の考えのもとに、多くを私的な行事と位置づけている。したがって、崩御された際には、日嗣の宮たる次代の天皇陛下は、公私の役割が重なって、大変な事態とならざるを得ず、それを身を持って体験しているは、今上陛下だけである点を顧みれば、この問題の最大の有識者は陛下以外では有り得ないことくらいわかるはずだ。
 そもそも、天皇を現人神として神聖視し、国家神道として政教不可分な時代であっても、皇室典範の定めるところの終身天皇制と摂政の設置は、うまく機能しなかったのは周知の事実である。大正から昭和への移行の際に無理をして禍根を残し、それがため、昭和から平成への移行では用いられず、そのような天皇家の体験をもとにした今上陛下が、当事者として摂政制度を否定するのは、当然の論理的帰結ではなかろうか。それをわきまえず、ことさらに摂政の設置を求めるなど、たんなる教条主義で現実も歴史的事実も見ず、事実から論理を組み立てていないのではないかと、疑念が生じてしまう。
 天皇陛下の譲位を認めるべしとする国民の意見は、圧倒的多数で、それは「かわいそう」といった、何となくの『情』に基づくものが多いかもしれないが、天皇陛下のご意思は、『情』ではなく『理』として承るべきものである。むしろ、機能不全の法制度を金科玉条とし、曲げようのない『理』とするのは、偏った思想という『情』に流された誤解でしかないと、私は疑っている。口で天皇家の弥栄を唱えながら、機能不全を起こし、法律的に死文に等しい規定に頼るようでは、今後さらに現実との矛盾が広がり、御皇室の存続も難しくなってしまうのではないかと、大いに不安にさせられるのである。まして、進駐軍の作文と現憲法に疑義を呈し、憲法改正を唱えつつ、こうした面ではご都合主義に憲法を持ち出し改善を拒むような意見もあり、まったく感心できない。
 もし、国家安寧を祈るのは、その式次第の手順などどうでも良く、頭がボケてしまおうと足が萎え手が震えても可能なら、蝋人形に天皇と書いて置いていれば良いではないか?存在しない不敬罪など持ち出さずとも、一体、これほど、他人の仕事に対して無礼な物言いはあるまい。人としての誇り、人格を否定し、個人の自由を斟酌することもできないなら、自由民主主義としての国の基盤(国体)など破滅してしまうだろう。それが陛下であってすら、もしくはその国体の象徴とされる方に対してならなおさらに、個人として礼を欠くようなことはあって良いはずがない。その点の配慮はどのあたりに置き忘れたのかと、ごく一部の有識者の発言内容には呆れるばかりであった。
 当事者である今上陛下は、学識豊かで科学者でもあられ、それほどされる必要はないと思えるくらいにご公務に精励な方だ。そうした方が、おそらくは父祖のご遺訓をも踏まえ、国家国民とご子孫を慮ってしたご発言は、最大限に尊重するのは当たり前であり、ご譲位を法的にも矛盾なく行えるようにするのが、現在の課題のはずである。天皇の国政介入は憲法に禁じられている?天皇家に生まれたのが身の定めと、個人の自由も制限するばかりか、名目上私事としている祭礼権を後継者へ譲渡しすら認めないどころか、その私事に対する表現の自由すら奪うとは、たいした人権蹂躙で、およそ共感できない。
 寝とぼけた反対論など聞くだけ時間の無駄なのは、明らかとなった。もはや、粛々と、譲位を前提にした議論を進めるべきで、まともな有識者がご意見されているように、今上陛下には特措法で対応し、その前例を踏まえ恒久法制を整備すれば良い。何も難しいことなどない。寝言に付き合い愚図愚図せず、『拙速は巧遅に勝る』の例として、早急に、成すべきことを為すのみだと思う。





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Last updated  2016年12月03日 22時31分20秒
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