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カテゴリ:しらばくれた書きとめ
柔道の混合団体でフランスに負けたのは、客観的には、それが実力なので仕方がない。発祥の国日本以上に柔道が盛んなフランスの総合力が、一枚上なだけである。斉藤立さんには、目先の勝利にこだわり偉大な父の名を汚すことなく、それを高める柔道家になってもらいたい。何しろ、柔道を創り世界に広めた嘉納治五郎は言っている。「英才を陶鋳して兼ねて天下を善くす。その身、亡ぶといえども余薫とこしえに存す(才能のある者を育てその弟子が活躍し世の中を良くする助けになるなら、我が身が消えてなくなってもその評価は永遠に残るだろう)」、父の遺影に頼らず父の偉大さを知らしめる存在になりえるのは、あなただ。
その22歳の斉藤立さんが歯の立たない王者のリネールさんは、偉大な柔道家ではなく偉大なジュードースポーツマンとして名を遺すことになったのは、多少遺憾であった。 彼は個人戦準々決勝において、「ジョージア強豪、舌を出すリネールを蹴り上げ失格 パリ五輪柔道男子で一触即発にらみ合い」と、騒動を起こしてしまったのだ。その瞬間は毎日新聞の平川義之さんの報道写真の角度がわかりやすい(コチラ)。 つまり、 「やったぜ!おまえなんて相手じゃねえんだよ!!アッカンべ~」 としたのに対し、「テメェーざけんなコノヤロー!!」と脚をあげられているわけだ。35歳の世界王者がアッカンべーとはかわいらしいと思うのだが、そこに相手への礼はないだろう。相手のトゥシシビリさんが腹を立てるのは当然だが、投げられた体勢から軽く蹴り上げ、その後の映像を確認すると、抵抗せず倒れたリネールさんのほっぺをつかんで、 「オメェ~、なめた態度とってんじゃねーぞ!!こらぁ、舌切っちまうぞ、おらぁ」 などと言うのは(想像です)、チンピラ行為以外の何ものでもあるまい。 やはりここは怒りを一旦収めて、
「ムッシュ、私にベロ出すのは失礼じゃないですか?」 と諭して欲しかった(動画はコチラ。両者とも「俺は悪くねーよ」とポーズをとりつつ『やっちまったな』と後悔がにじむところが笑える)。 などと、感情の抑制を欠いて礼を失した人は、当面地元で英雄視されたところで、柔道家として尊敬などされはしない。強いだけ、強かっただけ、それだけでも大したものだが、それだけだ。競技者を引退し、畳の上で正座して、教え子にオレの真似をしろと言えようか?格闘家として優れていても教育者たりえず、それは、相手に勝って己の感情に負けた、結果なのである。 もちろん、自己顕示欲の発露としてのスポーツジュードーの側面があっても良い。しかし、自己鍛錬としての柔道精神が消滅することは有り得ず、その方向性の違いをいずれの国のいずれの競技者も包摂しているので、リネールさんはその欠如を自らの行動で示したことになってしまい、あいつは力が強いだけ、精神は弱い、と烙印を押されてしまう。 日本選手の場合は自己鍛錬の側面を尊重しなければならない伝統の不自由さを抱えている。しかし、日本の柔道家にリネールのような下品な行動をとる者はいないはずだ。そして、そうした柔道的礼儀が身に付いている日本の選手に対し、見下してあっかんべぇする外国人選手も、また、いないかと思う。そう、「そこだよ!」と、役所広司さん・・・ではなく、柔道を創り上げた嘉納治五郎なら言うだろう。自分の礼節をもって相手の無礼を制するのが、あるべき姿で、相手の無礼をとがめるより相手が無礼を働けないように自己の礼節を貫き、それを態度で示さねばならない。 そのような手かせ足かせを背負いつつ、強くもあらねばならない日本の柔道家の諸君の健闘を祈りたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024年08月07日 20時50分31秒
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