5児の母
私立の男子校出身者としては、共学になると言われたら喜ばねばならないもの、だと思っていたし、同級生で「共学ぅ~、やだぁ~」なんて言う奴はいなかったな。在校生、みんな共学賛成。ただ、自分たちの在校中にそれが実現するなどとは思わなかったし、教師もみな男で、理事もすべて男(お坊さん)という現状を見て、そのような夢がかなうとは思えなかった。
今さらながら、埼玉県教育委員会は公立の女子校や男子校を共学化する方向性を示した(記事)。これに対し、在校生のお嬢ちゃんお坊ちゃん及びバカな大人の代表としての一部マスコミが、「当事者の声を聞け!!」などと言うのだが、「君ら、普通は3年しか在校生ではないでしょ?3年で共学になるわけないでしょ?」と、諭してやるのが、まともな大人の役割ではないかと思う。これは在校生の問題ではなく、公教育としての在り方、の問題であり、現状のまま卒業する在校生など当事者でも何でもない。
念のため言っておくが、例え共学化が決まっても、もろもろ準備が必要なので、早くても実施は3年後新入生からで、今の在校生は残念なことに学校内で異性の「同級生」(3年生で同じ学び舎にいた上2年下2年は「同級生」)を見ることなく、男女共同参画社会の現代日本の社会に巣立ってしまった後となる。つまり、無関係なので、余計なことは考えない方が良い。何しろ、強烈な異性との出会いが準備があろうとなかろうと目前に迫っているのだから。
そもそも、『男女七歳にして席を同じゅうせず』は、(残念ながら)現在の民主主義国家において有り得ない。賢い女が調子に乗っても、腕っぷしの強い男が威張ってみても、単一の性で社会は成立し得ないので、性別にとらわれず各々の才能を生かせるような人材が求められ、そのためには席を同じくして学んでもらわねばどうにもならない。
高校時代を同性だけで過ごしたところで、社会に出ればごちゃまぜであり、その現実から3年間庇護するのは、その後の苦労を深めることにしかなるまい。「だから男は」「だから女は」などと言っている暇は、現在において無いのである。性別は差し置いて、個人個人を評価する感性を養うべきであり、その機会を、くだらぬ伝統や通りすがりの在校生の戯言で奪ってはならない。
埼玉県の教育長は「共学校を選択できるので課題は感じていない」そうだが、選択の余地など無い。男女共同参画社会に順応できる人を育てるのが、現代日本の公教育である限り、別学などあってはならないのである。「私立の別学を選択できるので公立は共学で問題ない」と、正論で押してもらいたかったが、共学化は必然にして最重要なので、揺るがず頑張って頂きたい。
で、チバちゃんだ。
漢らしい男から女傑となり、今や5児の母として頑張っている。1羽では「クチバシ」が足りないので、当然のように夫にも育児参加させている。夫のマツは子育ては妻任せだったのだが、すっかり教育されたようだ。やはり女傑である。