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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2024年10月12日
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ノーベル賞である。
 被団協が受賞したのは、当事者にお慶び申し上げるところで、それにケチをつける気はない。ただ、ノーベル賞なるものが、嫌いなだけである。
 もちろん、ボブ・ディランのようにせず、12月のスウェーデンという聞いただけでつらそうなところに、ダイナマイト王の命日に設定された授賞式へ行きたがる年寄りの気持ちはわからない。褒めてやるし賞金もやる、自己承認欲求を満たしてやったのだから、取りに来い、晩餐会をするからもちろん礼装で、ついでにもらったことを記念して講演をしろよ。などなど、ノーベル財団は、大金持ちが贖罪意識から勝手に始めたものでありながら、上から目線で鬱陶しい限りだ。
 本来なら、「あなたのご功績を称えます、賞金がさらなるご活躍の役に立つことを祈っております」とでも言って、ノーベル財団の事務職員がそっと持参するべきだろう。他人の、それも世界に資するお仕事をしている(とノーベル財団が勝手に認定した)人や団体に対して時間を奪って愚にもつかないセレモニーに付き合わせるなど無礼の極致だ。「おととい来やがれ!」と中指を立てる人がいないのは、世界の七不思議に数えて良いだろう。
 毎年毎年、受賞候補などとミーちゃんハーちゃんマスコミちゃんは大騒ぎするが、そもそもそれほど賞に値する人がいるなら、すべてに漏れなくさっさと授与すれば良いではないか。何を勿体つけているのであろうか。賞金が足りない?賞金などやらなくても良いだろう、経済的に困っているわけではないのだろうから。晩餐会の席がない?いらないだろうあのような催しは、大勢で食ってうまいのは鍋物くらいだ。

 私は、あのようなヨーロッパの貴族趣味の押し付けや、知性や教養の押し付けが、一般庶民から拒絶されると言う意味で多様性が進行しているのが、現代だと思っている。昔の庶民は、貴族趣味に憧れそれに近づこうと努力したのではなかろうか。今でも、フランスに留学してそういったものに憧れた人(例、舛添要一さん)が、美食家を気取ったり、美術愛好家を気取ったりして、その実、家族とファミレス通いをして、町の古本屋で美術の一般書を漁ったりするのが好き、と、およそ良い意味で庶民的だったりするのだと思うが、そういった感覚は薄まってきているのではなかろうか。「お高くとまりやがって、むかつくぜ」という、これも昔ながらに存在した庶民感覚が、いよいよ貴族趣味を呑み込んできたのだと思っている。
 それはなぜかと考えれば、結局、身分階級制社会が世界的に崩れ、情報化社会は例外を除き身分差別を超克しつつあるからだと思う。例えば、日本のアニメなどが世界的な共感を呼ぶのは、日本社会は貴族趣味が失われて久しく、その社会を反映した作品には、貴族趣味の要素が消えているからではないかと思う。例えば、テニスなどの授賞式で、海外のプレーヤーは物が落ちても自分で拾うような真似はしない。その方がエレガントだからだが、それは誰かにやらせる貴族趣味には相違ない。その点、日本のプレーヤーは、そそくさと自分で動いて片づけてしまう。例えば、日本のサッカー選手はナショナルチームでさえ、ロッカールームをきれいに片づけて帰り、ファンも客席の清掃をして、世界的な感嘆を受けているが、本来、それは清掃員の仕事である。
 私の大学時代の恩師は(出身は地元の有力者、つまり田舎貴族)、タバコの灰皿が汚れていても、それはその係の人に仕事を与えているのだ、といった発想をしていたらしいが、その係の人を楽にするために自分で使ったものは片づけるという庶民発想の方が、よほど普遍的なものだと思う。つまり、日本的で庶民的なふるまいが、奴隷根性のような否定的な見方を受けず肯定的に捉えられる、そのような庶民的価値観が、世界標準になりつつあるのだと思う。
 現在アメリカ合衆国では大統領選が行われているが、デタラメで非民主的なトランプの人気が衰えないことを、貴族趣味の人には理解が出来ず、CNNなどのメディアは「反知性主義」などと呼ぶ。しかし、わざとらしいしぐさや行動、爆発的に増えることを「指数関数的に増える」などと表現するのが、知性的であろうか?そういった、貴族趣味の価値観を押し付けて、それを嫌う者に「反知性主義」などとレッテルを貼っている方が、よほど多様性からは遠いのではなかろうか。

 ついでに、ノーベル平和賞を選考する貴族趣味に浸っている人たちが、「核兵器のない平和な世界」を信仰するのなら、およそ非現実的で、知性を疑わざるを得ない。もちろん、被害者である被団協のような人たちが核の恐怖を訴えるのは当然で、私も核爆弾など無い方が良いと思っている。
 ただ、現在進行している事態は、「核兵器のおかげで世界大戦は起きない」というこれも昔ながらのフレーズの方が、当たっていることを証明している。もし、プーチンのロシアが核爆弾を所有していなければ、とっくの昔にNATO軍と軍事衝突して、世界大戦の様相を呈していただろう。それに、そもそもウクライナが核爆弾を所有していれば、ロシアの侵攻はなかったのではなかろうか。
 スウェーデンが、たがのはずれた独裁者の脅威を感じて、中立路線を捨ててNATOへの加盟を申請中なのに、ノーベル財団は浮世離れしていると言わねばなるまい。
 ノーベル賞で、受賞者の承認欲求が満たされたところで、平和にはならないし、科学が振興するわけでもない。たまたま受賞した科学者の研究資金集めに資する意味では絶大だが、それに比肩すべき研究を行いながら、ノーベル賞を受賞できずに研究資金の枯渇に苦しむ研究者を助けたほうが、よほど効率的ではなかろうか。
 庶民的な知性を以て、考えたいものである。





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Last updated  2024年10月12日 14時32分42秒
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