|
カテゴリ:神社
「つきよみのみや」 と、ひらがな表記したのには理由があります。 皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)とも宮域外に 同じ 「つきよみのみこと」 を祀る別宮があります。 しかし、表記が異なるんです。 外宮の方は 「月夜見」、内宮の方は 「月讀」 と表記されています。 どちらも「暦」を連想しますが、月読尊は農耕の神とも海上交通の神とも言われます。 古代においては農耕のために「暦」が発達したと考えられますし、 航海においても暦は重要だったかも知れません。 「月読」と「航海」については、後述します。
豊受大神宮別宮 月夜見宮
■御祭神 月夜見尊(つきよみのみこと) 月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま) 昨年最後の記事は月読神社。 今年は月夜見宮からスタートです。 豊受大神宮(外宮)は早朝から大勢の参拝者が訪れていました。 宮域内にある別宮、多賀宮(たかのみや)、土宮、風宮でさえ 参拝者の行列が出来ていたほど。 しかし外宮の北、徒歩約10分の場所にある月夜見宮の森は ひっそりと静まりかえっていました。
今回はここに来るために伊勢に来たような気がしました。 樹齢7~800年はあろうかというクスノキにカメラを向けるのが夢中になって、 境内の撮影を忘れてしまったほどです。 天照大神や素盞嗚尊に比べると影の薄い月夜見尊ですが、 さすがは「三貴神」の一柱。 月夜見宮は他の別宮と違って市街地に鎮座しているにも関わらず、 周囲とは次元も時間も異なるのではないかと思うほどの静謐さ。 外宮参拝時には、是非この別宮にも参拝されることをお勧めします。
ここのすばらしさを、見たままの清々しさを うまく撮影出来なくてもどかしいほどです。 画像でお伝え出来ない分、言葉でカバーしておきましょう。 「素晴らしい場所です」
* * * * *
今回の伊勢で、最後の訪問地となったのが月讀宮。 やはり今回は月読尊さまに呼ばれたのかも知れません。 初めて神宮の別宮を回ったときは それぞれの本当の良さを分っていませんでした。 ここには四つの別宮が並んでいます。 ここも一見、同じようなお社が並んでいるように見えます。
四つの宮、東(向かって右)から順に別宮名と御祭神は 月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや) ■御祭神 月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
■御祭神 月讀尊(つきよみのみこと)
■御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
■御祭神 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
月讀宮 → 月讀荒御魂宮 → 伊佐奈岐宮 → 伊佐奈弥宮 この順番で参拝します。
上の画像は月讀宮と月讀荒御魂宮の屋根と千木。 手前の月讀宮の方が大きいことがお分りになるでしょうか。 一見同じように見える宮ですが、社格によって大きさが異なるのです。 ここの場合、四つの宮が並んでいるので そのことがよく分りますね。
ざっ ざっ ざっ 踏みしめる玉砂利の道。 左右に広がる鎮守の杜。 そして私以外に誰もいないこと(笑)。
ところで伊勢では、三貴神の一柱 素盞嗚尊の姿が見えません。 一般的には影が薄い印象がある月読尊の方が目立っています。
ここから先は、古代史に興味のある方のみお読みください。 そうでない方にはつまらないウンチクだと思いますので(笑)。
冒頭に書いた「暦」と航海について。 古代日本には、西洋のような「大航海時代」はありません。 それでも暦が重要な、長い航海はあったと考えています。 皇祖神である天照大神の「天(あま)」は、 神話を作る上で「海人・海士(あま)」が転訛したものではないかと思っています。 もちろん、私の個人的な考えであって 教科書などには載っていない考えです。 古事記の神話で、伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生みをする場面があります。 イザナギとイザナミが生んだ国(島)は次の通りです。
淡道之穗之狹別嶋(淡路島) 伊豫之二名嶋 (四国=愛比賣・讃岐・粟・土佐) 隱伎之三子嶋 別名:天之忍許呂別(隠岐) 筑紫嶋 (九州=筑紫・豊・肥・熊曽) 伊岐嶋 別名:天比登都柱(壱岐) 津嶋 別名:天之狹手依比賣(対馬) 佐度嶋 (佐渡島) 大倭豐秋津嶋 別名:天御虚空豐秋津根別(本州) 以上大八島国
吉備兒嶋 別名:建日方別(岡山・児島半島) 小豆嶋 別名:大野手比賣(小豆島) 大嶋 別名:大多麻流別(山口・屋代島) 女嶋 別名:天一根(大分・姫島) 知訶嶋 別名:天之忍男(五島列島) 兩兒嶋 別名:天兩屋(男女群島)
青字は現在の地名です。 別名を持つ(おそらく古い地名)のうち、頭に「天」がつくものがあります(赤字)。 本州を別にすると、 それは隠岐、壱岐、対馬、姫島、五島列島、男女群島で 対馬海流に沿った島々です。 (姫島は違いますが、九州沿岸の島) また、銅や鉄の時代以前に武器や道具に加工された黒曜石の産地も含まれています。 (それらのうち、「兩兒嶋」は男女群島ではなく、天草だと思っています) これら「天=海人・海士(あま)」族がやがて「国譲り」で九州に進出し、 その後は東征を進めて天皇家になったのではないかと想像しています。 こうして考えてみると月読(暦)と航海、 そして天照大神と月讀尊(暦、航海)の関係もつながって来るようにも思えます。 神話(古事記)が編纂された時代の勢力図を反映した結果なのか、 古事記の神話の中には、出雲系の神々も巧妙に融合されているように思います。 素盞嗚尊は三貴神の一柱とされてはいますが、 「須佐之男」とも表記されるように「須佐(出雲地方の地名)」の男かも知れません。 古事記での素盞嗚尊は高天原では暴れん坊ですが、 出雲ではヒーローですし大国主命とも深く関わっています。 そうして見れば大和から出た天照大神が鎮座した伊勢に、 出雲色が濃い素盞嗚尊が祀られていないことも当然なのかも知れません。 内宮・外宮、そしてそれぞれの別宮を含む「神宮125社」の御祭神を調べると もっと何かがはっきりするのかも知れません。
.
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[神社] カテゴリの最新記事
|