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2008年04月20日
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カテゴリ:田中清玄
田中http://kunyon.com/shucho/080211.html

「OB会」でした。それが〈行動的〉になったのは、野村 秋介さん、鳥海茂太さんと知り合い、「新しい日本を創る青年集会」運動を始めてからです。そのスタートが1976年です。 このお二人は5.15事件の三 上卓さんの門下生です。「若い人に訴え、新しい運動をやろう!」と始めたのです。「東北の青年は純朴だから、まず東北から始めよう」と二人の考えは一致し ました。勿論、「純朴な東北人」の私も喜んで参加しました。
 ですから、スタートは米沢市でした。それから仙台、会津若松、福島…と、東北地方を回って集会をやりました。又、合宿をやりました。
 この集会、合宿が基になって、いわゆる「新右翼」運動は軌道に乗ります。だから、鳥海さんは、民族派運動の「功労者」でもあります。
  なぜスタートが米沢かというと、鳥海さんの地元だからです。それに、鳥海さんが、そこで市会議員をやっていたからです。議員なら、地元に信用があるし、集 会をやったり研修会をやったり、そういうノウハウもある。慣れている。そう思って頼んだのでしょう。1976年6月米沢で第一回目の「集会」をやりまし た。何と32年前です。この1976年というのは大事な年です。記念すべき年です。私たちも、いや日本そのものも、どうしていいか分からない年だったので す。その時、山形から新しい運動を始めたのです。1970年前に左右の学生運動は終わっていました。そして、皆、〈戦場〉を引き揚げていました。就職した り、家業を継いだり、大学院に進んだり…と。私も、産経新聞に就職しました。でも、着実に運動を続けていた人々はいたんですね。1970年3月に「よど 号」ハイジャック事件があり、11月に三島事件がありました。この三島事件のあと、以前に右派学生運動をしていた人々が再び集まります。「東京マスコミ研 究会」を経て、1972年に一水会を作ります。でも、まだ、私は産経の社員でしたし、一水会は「サラリーマンのサークル活動」でした。略して、「SS」と 言われました。(本当は言ってないけど、今からそう呼ぼう)。SSの鈴木だから、「SSS」(スリーエス)と呼ばれていました。この1972年にはあの血 腥い連合赤軍事件があります。1974年には「東アジア反日武装戦線〈狼〉」の連続企業爆破事件がありました。そして私は、この74年に産経をクビにな り、この〈狼〉のことを取材して本にしました。『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)です。私の処女作です。男なのに処女作です。でも、この本は、右翼には総 スカンでした。唯一、評価してくれたのは野村秋介さんでした。この年、千葉刑務所を出たばかりてした。そして、「新しい日本を創る青年集会運動」をやろ う、となったのです。でも、この翌年(1977年)は、あの経団連事件が起こります。野村さん、伊藤、西尾、森田の4人が参加します。これに刺激され、 「新しい日本」の運動も、より活発になります。右翼の先生だけでなく、新左翼の太田竜さんなども講師にして、福島や山形の温泉で合宿をやりました。(太田 さんは79年8月福島合宿に来てくれました) その後、ずっと、この「新しい日本」運動は続き、その中から、地方議員になったり、教師になったり、ライ ターになったりした人が出ます。鳥海さんはだから、そうした人材を輩出した大本の人でしたし、新しい青年運動を作った「功労者」だったのです。戸川幸夫の 『高安犬』のモデルなんですよ。 鳥海さんの家は親子三代にわたる「勤皇の志士」です。おじいさんは自由民権運動をやり、お父さんは5.15事件の三上卓 さんと同志でした。そして戸川幸夫の直木賞受賞作「高安犬(こうやすいぬ)」の主人公です。最後の日本犬である高安犬を戸川さんと共に探し、見つけ、何と か子孫を残そうとします。鳥海茂太さんが子供の頃、(昭和11年の2.26事件の頃)、その高安犬にまたがってる写真も前に見せてもらいました。 又、 2.26事件の時に、この決起部隊は「天皇の軍か否か」「決起は正しいか否か」をめぐって戸川さんは鳥海さんのお父さんに詰め寄り、質問します。『ひかり 北地に』(郁朋社)にはその時の緊迫した情況が書かれています。戸川は「動物作家」といわれ、動物について書いた小説が圧倒的に多いのですが、この本だけ は異色です。かなり政治的なことが書かれています。 『高安犬』も、動物物語で、ここに出てくる「木村屋のパン」の主人が鳥海さんのお父さんです。実際、 パン屋でした。でも思想家です。そのことも、きちんと描いてます。1976年の米沢集会の時も、このお父さんは来てくれました。もっともっとお話を聞いて おくべきだったと思います。そんな家庭環境もあったのでしょう。鳥海茂太さんは拓大に入ります。そこで多くの憂国の士と出会います。三上卓さんは子供の時 から指導を受けてました。血盟団事件に参加した四元義隆さんにも知り合い、四元さんが経営する建設会社に鳥海さんは勤めます。そして、地元・米沢に帰りま す。

こういう方々が 三幸建設工業で 働いていたわけですが 自伝では そういうのが さっぱりみえてきません。右翼とは付き合いがない?ずいぶん さみしい噺じゃないですか?







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最終更新日  2008年04月20日 23時52分50秒
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