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白毛山凡人の写真俳句

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2022.03.19
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カテゴリ:寺社彫刻
転がって泥の勲章雪だるま

 先日、鉄腕ダッシュで雪玉を作ってました。大きな真っ白な雪玉でそれは見事な物でした。
私だって子供のころ雪玉を作りましたよ、ただし雪が降って雪玉が作れるのは数年に一度、もちろん転がして作りますが、地面の泥がついて白いのを作るのは至難の業、それでも誇らしげに胸張っています。でもすぐに溶けて次の日には泥の混じったただの雪の塊に・・・。
 さて、写真の雪玉造りを見てください、よく見ると紐を通して引っ張っています。これは物理学上不可能で雪玉は絶対に動きません。したがってこのように引くことはありません。このお堂には完成予想図が残されていて、それでは紐を全体に掛けていました。
 すると紐を通して引っ張るのは、彫工の創作ということになります。この作品は国宝に指定された妻沼の聖天堂奥殿の腰羽目の彫られています。聖天堂は残された資料から享保二十年(1735)本格着手。寛保元年(1741)奥殿上棟、寛保二年(1742)洪水で中殿と拝殿の中断、延享元年(1744)奥殿完成。宝暦5年再開、翌年拝殿上棟、宝暦10年(1760)社殿完成。大工は大隅流の祖、林兵庫正清とその子息正信が中心になって造ったことが分かっています。彫工の名ははっきり残されおらず、妻面を飾った鳳凰の裏に小沢五右衛門と後藤正綱の名が墨書に残されているだけです。
 下は桐生市の青蓮寺の欄間彫刻、裏に墨書で「延享元年九月吉日、東上州花輪村 石原吟八郎義武」と残されています。このことから聖天堂の彫工が石原吟八郎であることと上棟時には大工も彫工も仕事が残っていないことになります。
 実は林兵庫は花輪から山を越した隣村、現みどり市大間々小平の嵯峨宮を洪水の翌年、寛保三年に手掛け、延享二年には青蓮寺の須弥壇、延享三年には現熊谷の江南諏訪神社を手掛けています。
 江南諏訪神社は大工棟梁は林兵庫の弟子の内田清八郎、林兵庫は細工人として参加している他、彫工は石原吟八郎や小沢五右衛門の名もあります。
 小沢五右衛門は吟八郎の兄弟子の植村尚忠の弟子で宝暦十二年(1760)68歳で亡くなり、後藤正綱は同じく兄弟子の吉田徳章の弟子で宝暦二年(1752)58歳で亡くなっています。因みに林兵庫は宝暦三年に亡くなり、石原吟八郎は明和四年(1767)亡くなっています。
 江南諏訪神社では聖天堂と多くの職人が同じであることからも、一時中断したことは間違いなく、大工工事や彫り物は現場加工を残してほぼ完成していたことが分かります。



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Last updated  2022.03.19 15:35:25
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bonnto@ Re:春爛漫・・・(04/08) 笑子さん おはようございます。 よく見…
笑子♪@ Re:春爛漫・・・(04/08) こんにちは ベルゲニア、この名前は知り…
bonnto@ Re:春爛漫・・・(04/08) 太郎ママさん おはようございます。 割…
太郎ママ@ Re:春爛漫・・・(04/08) ああそうでしたか、この花がヒマラヤユキ…
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