カテゴリ:寺社彫刻
池の鯉ポチャリと跳ねて龍天に
下仁田にある諏訪神社です、大工は諏訪大隅流の矢崎豊前昭方、彫工は分かりません。 大隅流は妻沼の林兵庫正清が興した流派と伝わります、しかし諏訪大隅流は別系統の様で今調査中です。 宮彫師はもともと宮大工が担っていて彫工の職種は高松又八の頃からだといわれています。林正清の頃はすでに彫工が独立していました。 諏訪には立川和四郎富棟の立川流もあります。和四郎は大工棟梁の立川小兵衛に弟子入りし、腕を磨いたが諏訪に戻ったところ腕の未熟さを知って再び江戸にもどって中沢小兵衛に師事したという。 ただし彫工世系図によると、小沢五右衛門常足の門下生に「信州諏訪 和四郎」の名が見られることから小沢五右衛門の間違いではないかともいわれている。 小沢五右衛門常足は高松又八の系列での妻沼の聖天堂の彫刻に名を遺した常信の二代目にあたる。 どうも良く分からないが諏訪では大隅流も立川流も彫刻の流儀としているようであるがこの頃ははっきり分かれている。少なくも林正清は平ノ内大隅守応勝の次男で妻沼の名門林家に入って実の父から大隅流を名乗ったという、父は四天王寺太子流を名乗っていた。もちろん双方とも宮大工の流儀である。 下の二枚は同じ下仁田の清泉寺の欄間彫刻で欄間彫刻は諏訪神社より古く彫工は花輪の石原吟八の弟子の墨書きが残っている。良く分からないところだらけなのでこれから勉強です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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