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本日のメッセージとの関連で、再掲します。
★今日のフォーカスチェンジ♪ ---------------------------------------- 満たされているひとは、けっして人を攻撃しない。 これは、人間関係のトラブルに直面したとき、 私が使う、究極の「魔法の言葉」です。 誰かに、ひどい仕打ちをされたとき、 私たちは、ついつい、そのひとを非難したくなります。 実際、信じられないような、許せない行為をするひとも、 この世の中にはいるものです。 とりわけ、犯罪まで発展してしまったようなときの、 被害者のかたの痛みは、とうていはかりしれません。 ただ、それがおおきなトラブルであれ、小さな場合であれ、 (そして、罪をどのようにつぐなうかは別の問題として) ひとつだけ、忘れてはならないことがあります。 それが、 「満たされているひとは、けっして人を攻撃しない」 ということなのです。 単純に言ってしまえば、 「ああ、今日は気分爽快だから、 いっちょ、隣のやつを殴ってやろうか」 と考えるひとは、いない、ということなのです。 「私はなんて幸せなんでしょう。 今から、外にでかけて、放火をしてくるわ」 と思うひとは、いない、ということなのです。 私たちは、誰かから痛みを与えられると、 その相手の、何もかもを否定したくなるものです。 でも、どんな人間だって、生まれ落ちた瞬間から、 悪人であるということは、絶対にないのです。 そのひとの生きてきたプロセスのなかで、 どうしようもなく傷ついてきた部分があるのです。 それが、満たされない気持ちとなって、 他者にたいする攻撃へと転化してしまうのです。 もちろん、だからといって、 ひとを傷つける行為が、許されるわけではありません。 ただ、何か、そういう場面に遭遇したとき、 そのことを思い出すことができれば、 私たちは、そのひとを、 まるごと否定しなくてもすむようになります。 まして、ことが、日常レベルの問題であれば、 そのひとの満たされなさに気づくことによって、 問題解決への心のゆとりをもつことができます。 子どもたちとの対話のなかでも、 私は、よくこの言葉を使います。 「○○ちゃんが、こんなことをした。あんなことをした」 「そう。それはつらかったね。悲しかったね。 どうして、○○ちゃんは、そんなことをしたんだろう」 「わからない。○○ちゃんはいつもそう」 「もし、○○ちゃんが、毎日楽しくてうれしくて幸せだったら、 やっぱり、そういうことをしたかなあ」 「…しないと思う」 「○○ちゃんは、どんな気持ちなんだろう」 「~~かもしれない」 こんな会話をかわしたあとでは、 同じトラブルでも、 解決のプロセスが変わってくることが多いのです。 少なくとも、怒りなどの激情にまかせたままにして、 問題をさらにややこしくすることを避けることができます。 心の痛み(満たされなさ)という、 誰でもがかかえている心を共有していくことから、 私たちは、ふたたびつながっていくことができるのです。 ---第71号(2004年1月10日発行)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017.10.21 07:22:07
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