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テーマ:俳句入門(124)
カテゴリ:季語
《由緒正しき季語「花の冷」を否定する片山由美子》 片山由美子は「花の冷」について次のように書いている。 〈ところでこの「花の冷」だが、最近おかしいのではと指摘されることも多い。「花冷」は「花の頃の冷え」という意味であるが、「花の冷」では花が冷えているようではないかというのである。確かにそう思う。「花冷ゆる」と詠んでいる句もあるが、これはもう論外といわざるを得ない。それならば「桜冷」とすればよい、という意見も出てきたが、これは最初に問題にした「花」と「桜」の違いを考えれば、「花」を「桜」に置き換えれば済むというものではない。)(本書第一章「春の詞」「花冷」の項。44ページ。) しかし、「花の冷」「花の冷え」、「桜冷え」の例句は多い。 【「花の冷(え)」「さくら冷え」「桜冷え」の例句】 (花の冷え) 花の冷落柿舎は今西日なる 泊雲 山影をかぶりて川面花の冷 泊雲 花の冷え蛙も鳴かぬ夜なりけり 川端 茅舎 慇懃に袱紗をたたむ花の冷 丸山 哲朗 まとひ来る上千本の花の冷 山崎冨美子 宿題の雑巾を縫ふ花の冷 大久保憲一 甲冑の口がもの言ふ花の冷 松清ともこ 身を寄せて母の爪切る花の冷え 小久保八重子 金泥を溶く夜桜の冷えのなか はりまだいすけ 髭剃ってようやく馴染む花の冷え 上代 渓水 とも角もうどん屋さがす花の冷え 福元 啓刀 あかがねの大仏こそ花の冷 長谷川 櫂 (さくら冷え・桜冷え) 鮨百本刈り倒したるさくら冷え 火村 卓造 つくばひに漣立てり桜冷え 矢野 信幸 余生とは病むことなりし桜冷え 岩淵 晃三 一句目は『図說俳句大歲時記』春(角川書店、1964年)に〈『泊雲句集』(昭和9)では、「花の冷落柿舎は今西日なる」(大正4)を所出。〉とある。 泊雲は西山泊雲。〈明治〜昭和期の俳人/生年 明治10(1877)年4月3日/没年 昭和19(1944)年9月15日/本名 西山亮三/経歴 家業の酒造業を継承。明治36年、弟の野村泊月の紹介で高浜虚子に師事。「ホトトギス」の課題句、地方俳句欄選者で虚子に高く評価された。「ホトトギス」同人として「鬼灯」「樗」の雑詠選を担当。句集に「泊雲句集」「泊雲」がある。〉(『二〇世紀日本人名事典』より)。 このような由緒正しき季語「花の冷」に片山由美子は否定的見解を示している。川端茅舎のような超ビッグネームの俳人の作品をも含む俳句群を知ってか知らずか、である。これには首を傾げざるを得ない。
《〈「花冷ゆる」は論外〉と片山由美子はいうが・・・・・・」》 〈「花冷ゆる」と詠んでいる句もあるが、これはもう論外といわざるを得ない。〉 「冷ゆ」は自動詞ヤ行下二段活用だから、「え・え・ゆ・ゆる・ゆれ・えよ」で、ここの「「花冷ゆる」は終止形の「花冷ゆ」とあるべきだろう。 〈動詞の季語をなぜ連体形で挙げなければならないのか〉(本書227ページ)と言う片山由美子であるから、自分でもそうしてほしいものである。 風車廻らず差され花冷ゆる 長谷川かな女 花冷えて若者の歌胸に沁む 相馬 遷子 虚子庵へこたびは喪服花冷ゆる 大橋 敦子 花冷えてしきりに松へ来る雀 野村 喜舟 残花冷ゆ不況の瓦積み上げて 井上 哲王
杉田久女・竹下しづの女とならんで大正昭和期を代表する女流俳人であった長谷川かな女。「馬酔木」同人会長をつとめ、1969年に句集『雪嶺』で第9回俳人協会賞を受賞した相馬遷子(せんし)。『雨月』を主宰し、1979年に句集『勾玉』で現代俳句女流賞を受賞した大橋敦子。松根東洋城に師事し、昭和17年から51年まで句誌「渋柿」を主宰していた野村喜舟。 片山由美子は、これら泉下の先達たちの作品を「論外」のひとことで切って捨てるのだろうか。これらの先人の句の存在を認識した上で〈「花冷ゆる」は論外〉といったのだろうか。是非とも見解を聞きたいところである。
《「桜時」とはいわない、という片山由美子の誤り》 続きを見てみよう。 〈「花時の冷」というときの「花時」、これも「桜時」とはいわない。主要な季語である「花」と「桜」についての認識が必要である。選者として作品を選ぶ立場にある人にはよく考えてほしい季節の一つだ。〉(同前44ページ~45ページ。) 拙論〈片山由美子『季語を知る』を斬る(2)〉で見たように、片山由美子の〈「夏風」とはいわない」〉〈「夏雨(さめ)とはいわない」〉はじめ「○○とはいわない」いう断定のほとんどすべては明白な誤りであった。同じように、片山由美子のこの主張(引用の傍点部)も全き誤謬である。以下、論証する。 『角川俳句大歳時記』の「花時」の項の傍題の筆頭は「桜時」だ。これには多くの例句が載せてある。 【「桜どき」「さくら時」「さくらどき」の例句】 うき旅の我にはをかし桜どき 月居 硝子器を清潔にしてさくら時 細見 綾子 白粥を所望や京の桜どき 水原 春郎 さくらどき裏返しては嬰を洗ふ 平井さち子 胎の児の動き掌に聴く桜どき 藤谷 幸子 出会ひより別れの多きさくらどき 山本真津子
以上六句が『角川俳句大歳時記』の「花時」の項にある「桜どき」「さくら時」「さくらどき」の例句だ。 一句目、二句目は、前掲『図說俳句大歲時記』春にも載っている。 一句目の作者・月居は〈江戸中期の俳人。江森氏。別号、些居・竹巣など。京都の人。俳句を蕪村に、国学を荒木田久老(あらきだひさおゆ)に学んだ。後人の撰に「月居七部集」がある。宝暦七~文政七年(1757‐1824)〉〉(『精選版 日本国語大辞典』より)。 そうすると、「桜どき」は江戸時代以来の由緒正しき季語だということになる。であるのに、なぜ片山由美子は〈「花時の冷」というときの「花時」、これも「桜時」とはいわない。)というような誤った認識に至ったのであろうか。不思議なことである。 江戸時代から現代まで「季語として自然であるか、美しいかどうかという篩(ふるい)にかけられ」残ってきた季語(「桜どき」)について、〈「桜時」とはいわない〉と一方的に宣言してことたれりとする態度には納得がいかない。論証が欠けているように思う。 《「桜どき」「さくら時」「さくらどき」の例句2》 桜どき天に浮島あるごとし 柿本 多映 たましひのあしあとみゆるさくらどき 松岡 貞子 横十間川のまさしく桜どき 手塚 美佐 米櫃の底のぬくもり桜どき 井口 光雄 眠りみなこの世にさめて桜どき 赤松 薫子 桜どき真昼ゆつくり馬消され 榎本 晃男 児の名前さくらときめて桜どき 藤原 さち 真四角の穴あいてゐるさくらどき 谷 雅子 ここではこのぐらいにしておくが、「桜どき」「さくら時」「さくらどき」を季語にした句は、他にもまだまだ多く見いだせる。 《歳時記の二つ目の使命を果たしていない歳時記》 『合本俳句歳時記』第五版(角川書店)の「花冷」の項には、同第四版にはなかった次の叙述がある。 〈花時に感じる冷えを意味するので「花の冷」「桜冷」「花冷ゆ」などとせず「花冷」の形で使いたい。〉 これは本書の片山由美子の見解と同様である。 片山由美子の意見は意見として(それが批判すべき部分を含むとしても)尊重するが『合本俳句歳時記』第五版のこれを例句にまで適用した態度はいただけない。 歳時記には「作句の手引き」という側面もあるので、歳時記が自らの立場で「作句に関するガイドライン」を示すことはかまわないが、歳時記にはもうひとつの重要な使命があることを忘れてもらっては困る。 その使命とは、過去の名句や佳句、作句例を読者に示すことである。これは歳時記の歴史的使命でもあろう。
《「夏痩せ」の項に鷹女の名句が載らない歳時記》 〈季語とは何か、歳時記はどうあるべきか、その根本的なことが論じられる機会がほしい。〉(本書第五章。228ページ)。 片山由美子の「歳時記はどうあるべきか」論じあいたいという言葉を受けて、筆者はここで、筆者の考える歳時記の使命を述べてみる。 『合本俳句歳時記』第五版の「夏痩」の項には、〈「夏痩せて」「夏負けて」とは使わない。〉とある。これは歳時記の「作句の手引き」としての記述だと思うので、それはそれでいい。しかし、歳時記には過去の名句、佳句、作句例を読者に紹介するという、もうひとつの重大な使命があるというのは、先に述べた通りである。 俳句の初心者が歳時記として『合本俳句歳時記』第五版を選んだとき、例えば『よくわかる俳句歳時記』(石寒太編、ナツメ社)を選んでいれば出会えた三橋鷹女の名句〈夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり〉を知ることなく過ごすこととなる。 前者の「夏痩」の項には四つの例句がのっているが、多佳子の句も、鷹女の句も、真砂女の句ものっていない。後者の例句は三句だが、その中に鷹女のこの名句が入っている。 夏痩せて腕は鉄棒より重し 川端 茅舎 ころぶすや蜂(すがる)腰(ごし)なる夏痩女 芝 不器男 掌に熱き粥の清しさ夏やせて 橋本多佳子 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋 鷹女 神仏に頼らず生きて夏痩せて 鈴木真砂女 夏痩せて鯛のうろこを落としをり 小林 篤子 名曲に名作に夏痩せにけり 高柳 克弘 夏痩せて写楽の顎となりにけり 鶴見一石子 イエスほど今年の夏を痩せにけり 竹村 良三 これらは『角川俳句大歳時記』の「夏痩」の項の例句よりとったものである。『合本俳句歳時記』第五版には、収録できる例句にも限りがあろうが、せめて三橋鷹女の〈夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり〉の一句ぐらいは載せてほしかったと思う。 〈「夏痩せて」とは使わない。〉というのが、この歳時記の推奨する作句のガイドラインだ。それを示すのはいいが、過去の名句や作例を読者に紹介するという歳時記の第二の使命を果たすためには、歳時記たるもの鷹女の掲句ぐらいは、載せてしかるべきだろう。 【参考】 『合本俳句歳時記』第五版の「序」より 季語の本意・本情や、関連季語との違い、作句上の注意を要する点等を解説の末尾に示した。/例句は、「この季語にはこの句」と定評を得ているものはできる限り採用した。しかし、人口に膾炙(かいしゃ)した句でありながら、文法的誤りと思われる例、季語を分解して使った特殊な例など、止むなく外さざるを得ない句もあった。(二〇一八年一月、『俳句歳時記』第五版編集部)。 鷹女の〈夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり〉は、「人口に膾炙した句でありながら、文法的誤りと思われる例」には当たらない。〈「夏痩せて」とは使わない。〉というこの歳時記のいう「作句上の注意を要する点」に反するという理由だけで、過去の名句を抹殺するというのはとんでもない暴挙だと確信する。 朝顔に釣瓶取られてもらひ水 加賀千代女 『合本俳句歳時記』第五版が、子規の「人口に膾炙する句なれど俗気多くして俳句といふべからず」と酷評したこの句を、「朝顔」の項の例句に載せたのは、ひとつの見識である。そして鷹女の句を載せなかったのは、とんでもない不見識だ。
《片山由美子の文法的誤りを含む句が例句に》 「参考」に引用した方針によれば、「文法的誤りと思われる例」を、『合本俳句歳時記』第五版では例句には採用しないはずだ。 ところが、同歳時記の「葉桜」の項には次の一句が例句中にある。 葉ざくらや白さ違へて塩・砂糖 片山由美子 この句の出典は片山由美子の第二句集『水精』(平成元年=1989年9月)。この「違へて」は、文法的には「違ひて」とするのが正しい。 掲句の句意は「白さが違っている塩・砂糖」ということであろうから、ここは自動詞「違ひて」でなくてはならない。 「違ふ」には自動詞と他動詞がある。 自動詞(ハ行四段) は・ひ・ふ・ふ・へ・へ 他動詞(ハ行下二段)へ・へ・ふ・ふる・ふれ・へよ 他動詞なら「違へて」(たがへて)でいいが自動詞なら「違ひて」(たがひて)となる。ゆえに掲句は、〈葉ざくらや白さ違ひて塩・砂糖〉でなければならない。 暗さやや違へてつづく夜店かな 片山由美子 これは片山由美子の第六句集『飛英』(令和元年=二〇一九年九月二五日刊、KADOKAWA)所載の句である。句意は「(それぞれの店の)暗さがやや違っていて続く夜店であることよ」ということであろうから、この「違へて」(他動詞)は「違ひて」(自動詞)とするのが正しい。それぞれの店が隣の店との暗さを「違へて」(違うようにして)いるということはあり得ない。
《「違ふ」の自動詞・他動詞の区別を間違う人が多い》 「違ふ」は、活用が二つあり、他動詞なら「違へて」(たがへて)でいいが、自動詞なら「違ひて」(たがひて)となる。 ○畦を違へて虹の根へ行けざりし 鷹羽 狩行 ○夢の辻曲り違へて蜷の昼 柿本 多映 (右の二句とも「間違える」の意味だから他動詞で、正しい)。 ○夏帽のリボンたがへて姉妹 千原 叡子 (「違うようにする」だから他動詞で、正しい)。 × 秋立つや音を違へて稲と草 岸本 尚毅 (この句は変である。音が違っているのなら「秋立つや音の違ひし稲と草」とするべきだろう)。 × かき氷色をたがへて山崩す 富田 道子 (違う様にするなら他動詞で〇だが、それはないだろう。シロップがかかっているかき氷の色を変えることはできないから、これも「かき氷色の違ひし山崩す」とすべきだろう)。 【付記】 《片山由美子の文法的誤りを含む句が例句に》および 《「違ふ」の自動詞・他動詞の区別を間違う人が多い》の叙述は、松田ひろむ代表のご教示も得て書き上げた。(つづく)(文中敬称略)(「鴎座」2020年4月号)
<松田ひろむの補足>鬼貫の「桜時」を知らない片山由美子 1、「花の冷」は荒井類があげる以外にも例句はあまりにも多い。 『季語別鷹羽狩行句集』(ふらんす堂)に片山由美子の師の鷹羽狩行に「花の冷え」があるが、それを彼女はどう評価するのだろう。師の句でもあえて否定することもあってもいいだろうが、その場合はそれなりの説明があるべきだろう。 耳たぶに生きものの冷え花の冷え 鷹羽 狩行(『七草』1981年) 山窪に膝抱く花の冷えならず 鷹羽 狩行(『長城長江集』1985年)
また「575筆まか勢」からビッグネームのみをあげる。 醍醐より夜をとふ僧や花の冷え 飯田 蛇笏 風炉運び炭生けくれぬ花の冷 後藤 夜半 花の冷えと花の重たさの下をゆく 篠原 梵 能郷の鬼面たのしや花の冷 角川 源義 おのずから仮面落ちたり花の冷 橋 閒石 二三分の花の冷こそ身に応ふ 岸田 稚魚 太田川水浅くして花の冷え 佐藤 鬼房 我が家まで勤めもどりの花の冷え 右城 暮石 水も洩らさぬひとと対きあふ花の冷え 桂 信子 花すぎて花の冷えある昨日けふ 上村 占魚 葬りの日裾よりのぼる花の冷え 中村 苑子 水清の訃に肩落す 花の冷え 伊丹三樹彦 うどん屋を探して歩く花の冷 稲畑 汀子
2、<桜冷え>にも鷹羽狩行の句(『季語別鷹羽狩行句集』)。 千体仏はめこむ壁の桜冷え 鷹羽 狩行(『八景』1964年) <俳句情報検索>では 遠国や真正面より桜冷え 柿本 多映 桜冷え吾にそむきし血が額に 栗林 千津 雲棲める蛇笏の山河桜冷え 橋本 榮治 がある。 古典では、 うしろから冷々(ひやひや)したる桜哉 一茶(七番日記) がある。これは「桜冷え」ではないが、状況はまさに花冷、桜冷のように思える。以下括弧内は、原句にある振り仮名(ルビ)である。
3、<花冷ゆる>は<俳句情報検索>では 花冷ゆる雑役の指太くなる 藤木 清子 花冷ゆる戦艦大和忌日かな 和田 知子 があり、また小生の師の古沢太穂『火雲』にも、 嫁が泣きし世花冷ゆる日のいじり臼 古沢 太穂 がある。
4、「桜時」は、鷹羽狩行にも、鬼貫にもある。 片山由美子は「桜時」とは言わないとするが、彼女の師の鷹羽狩行にもある。(『季語別鷹羽狩行句集』 さきがけて駅の灯の点き桜どき 鷹羽 狩行(『十一面』1992年) 前述のように師の句でもあえて否定することもあってもいいだろうが、使わないという「桜時」を使った師の句になにも触れないのはフェアではない。 鞍上(あんじやう)に人もおぼえず桜時 鬼貫(仏兄七車) この鬼貫の句は1934年(昭和8年)改造社『俳諧歳時記』(春)にも掲出されている。見出し季語は「花時」で傍題に「桜時」「花の頃」をあげる。 芭蕉(1644-1694)と同時代の鬼貫(1661-1738)であるから、桜時はまさに俳諧の歴史を負った季語である。 鬼貫の他に、次の句がある。(『古典俳文学大系』) 雨はれや帯も定(さだ)めぬ桜時 含粘(枕屏風) 長閑(のどけ)さは桜時分の心かな 其定(其角十七回) 飛騨(ひだ)人(びと)も誘へもろ衣さくら時 池田-知堂(其角十七回) 思ひ入る人か桜の時分なり 甲府-羽揺(其角十七回) 走る駒は誰(だれ)が油断ぞ桜時 逍遥館-荷風(手折草) 其定、羽揺は「桜時」ではなく「桜時分」であるが、そんな言葉もあった。片山由美子のように桜を否定するのなら、「桜時分」ではなく「花時分」ということになる。 「毛吹草」に「花の時分」を「花時」というとある。 どうやら花と桜の対立と共存は俳諧の初めからあったといえるようだ。 はれぬべし花の時分(じぶん)の癖日和(くせびより) 荷兮(橋守) おく山も花の時分は吉野かな (毛吹草) おもしろう藍に酔うたる花時分 安東 次男(昨) 荷兮(1648-1716)は、芭蕉と同時代で名古屋蕉門であったがのちに離れた。 最後に<俳句情報検索>でヒットした「桜時」。ビッグネームのみをあげる。 束子の水きつぱりと切り桜どき 井上 雪 やはらかき衣着て集ふ桜どき 朝倉 和江 東京を蛇の目に走るさくらどき 澁谷 道 一身に一個のこころ桜どき 宇多喜代子 知覧より低空飛行桜どき 橋本 榮治 さくらどき白き帯しめ吾は狐 中西 夕紀 人泊めて鏡を磨くさくらどき 八牧美喜子
以上、荒井類を補足したが、片山由美子は小生より一回り以上も若いものの、インターネットはまったく使えないように思える。それでは現代の俳句は分からない。 (画像は花冷え。https://driver-times.com/driver_work/driver_biz/1055578) (補足の補足) 千体仏はめこむ壁の桜冷え 鷹羽 狩行(『八景』1964年) を追加した。(2020年7月11日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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