夜回り先生の講演(3)
夜回り先生の講演(3) ある九州の女子高で、一人のリストカットを繰り返す女の子と知り合いました。「先生、助けて!」僕は、どうしていいかわからなかった。生まれて初めて会ったリストカッターでした。「よし!先生、勉強してみる」「一緒に生きてみよ」この問題に取り組み始めました。そして、愕然とした。暗い日本中の部屋で明日を見失い自らを傷つけ死へと向かう、夜寝れない子どもたちが多数、存在することに気付いたからです。それから私は、7年前の2月10日に勝負に出ました。「夜回り先生」という本を出し、私個人のメールアドレスと自宅の電話番号をメディアに一斉に公開しました。6名のスタッフが、24時間1年365日、電話とメールに対応する。「死にたい、死にたい、助けて!」「リストカットが、やめられない、助けて!」「痛い!痛い!血が止まらない、どうしょう!」「親に虐待されてる」「覚せい剤が、やめられない」「大麻がやめられない」・・・・・・・・・・・・・・・・。無限に続く相談メールに応えてきました。多いいときには、十数台のパトカーが、うちの事務所から要請で神奈川県警を通して所轄の警察から送り込まれます。一人の子も死なせないはずの戦いでした。でも、ダメでした。残念ながら、この7年間の闘いで、6名が殺人を犯し、102名が心を病み。自殺、○事故死、病死しました。一人の子を失う度に自分を責めた。あの時、こうやっていれば、もっとこう出来たのではないか。何度、この闘いをやめようと思ったかわかりません。それでも闘い続けてきたのは、関わった子どもたちの8~9割が、笑顔になって昼の世界に戻ってくれた。私が潰れそうになるたびに、その子たちが僕にくれる「ありがとう」の一言。それが力でした。こんなことが、ありました。7年前の3月末です。京都の21歳の女の子から、こんなメールが着ました。「夜回り先生、水谷先生ですか?これから私は死にます。最後に先生の声、聴きたいなぁ。」電話番号が書かれてありました。電話をしました。水谷:「もしもし、夜回り先生水谷だょ、どうしたの?」女の子:「あっ、夜回り先生って、ホントにいたんだ!じゃ、これから死ぬから・・・・」水谷:「ちょっと待ってくれ!先生、せっかく電話したんだ。何が、あったか教えてくれないかぁ」女の子:「いいよ、私ね、小さい頃から過敏性腸炎とパニック障害。緊張したり、人に囲まれるとね、ウンチ、オシッコお漏らしするし、トイレが近くなる。だから、幼稚園・小学校・中学校ずっと、いじめられていたんだ。でも、中学校2年までは、学校に行けたんだよ。」「私、ひとり娘。父さん・母さん、うんと優しい。いい、優しい先生にも、いっぱい会えた。でも、中学2年のね、4月に新しく来た英語の先生が、『お前はなぁ、前の授業も前の前の授業もトイレに行ったまま、帰ってこない。今日ぐらい座ってろって!』・・・・・・・一生懸命、我慢してたら、猛烈なお漏らし。その日から、猛烈ないじめ。『ウンチ!オシッコ!くせぃ!くせぃ!あっち行け!』。すぐ、学校に行けなくなった。その頃から、リストカット始めたんだ。