信じ抜く 教育本部が開く未来~ 第7回 特別支援教育と“理想の社会"
信じ抜く教育本部が開く未来 第7回 特別支援教育と“理想の社会" 関係者にとって、それは“悲願"とも言うべきニュースだった。 本年1月、日本政府が国連の「障害者の権利に関する条約」を批准したのである。これにより「生涯に基づくあらゆる差別の禁止」や「障害者の社会への参加・包容の促進」等の措置が求められることになった。 2007年(平成19年)9月に署名してから、障害者に関する国内法の整備を経て6年余り、世界で141番目の批准であった。 「2007年といえば、前年の学校教育法改正を受けて、障害者教育の分野においても転換点となる年でした」 教育本部の斉藤実・学校教育部長は振り返る。従来の「特殊教育」から「特別支援教育」への移行がなされたのだ。具体的にどう変わったのか。「誰もが等しく学び暮らす権利を保障される『共生社会』の実現へ、大きく舵を切り始めたのです」 特殊教育では「どんな生涯があるか」によって、盲・ろう・養護学校等に学ぶ場所が振り分けられていた。 特別支援教育では「どんな教育的ニーズ(必要性)があるか」に着目する。一人一人の違いを大切にし、彼らの自立や社会参加に向けて、個々に応じた多様な手立てや支援が求められるようになったのである。 「障害者の権利に関する条約」にうたわれた共生社会の実現の上で、教育が果たすべき役割は大きい。 この課題に教育本部の友は、どう向き合っているのだろうか。「精神の心音」耳を傾けよう 生命の共鳴から全ては始まる教育の本質とは 「特別支援教育といっても“特別な人だけに必要な教育" ではありません。全ての人に“関係がある" と捉えるべきでしょう」 創価大学の加藤康紀準教授に話を聞くと、キッパリとこう返ってきた。長年、特別支援教育の現場に携わってきた経験を基に、その研究に取り組んでいる。 通常学級に在籍する児童・生徒で発達障害の可能性があり、特別な支援を必要とする人数の割合は全体の約6・5%といわれている(2012年、文科省調べ)。40人学級であれば2人以上は在籍している計算だ。 だからといって、この数字は「授業に全員がついてこられなくても仕方ない」と、大人を諦めさせるためにあるのではない。 特別な支援を必要とする子どもにとって、“学びやすい環境"とは、ほかの子たちにとっても学びやすい環境になるはずだ。 たとえば、言葉で言われても理解が難しい子どものために黒板に絵を描いて伝えたり、視覚刺激に過敏な子どもにあわせて余計な掲示物を外して授業に集中しやすいようにしたりと、工夫の仕方は無数にある。 「特別支援教育について真剣に考えることは、教育そのものの本質を考えることにも通じるはず。教育とは本来、全ての子どもが持つ『無限の可能性』と『価値創造の力』を引き出すためにあるのですから」 では生涯のある子どもたちのニーズを捉えるには、どうすればいいのだろう。 障害に関する基礎知識は当然、必要であろう。その上で──加藤准教授は創大創立者の言葉を引用しながら、次のように語った。 「子どもの言葉の表現からねその奥にある『精神の心音』を、教育者自らが、“関係あること"“大切なこと"として、“よく聞く”ことです。生命の共鳴とも言うべき安心と信頼の共通基盤があってこそ、子どもは心を開きます」 「そのために、創立者は『教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のような慈愛の深みがあってこそ、可能となる』と語られています」知的障害の娘が教えてくれた大切なこと教師の一念こそ 特別支援学校で子どもたちと向き合ってきた渡辺丈夫さん(群馬池田総県教育部長)は、「心音」を聞くことの大切さを生命に刻んできた一人である。 大学院を卒業した1977年(昭和52年)の春、盲学校に赴任した。といっても、与えられた仕事は盲学校の「教育史」の編纂である。実は渡辺さんの専門は特別支援教育ではなく「日本史」。その腕を買われた形での配属だったのかも知れない。 転機は83年(昭和58年)。次女の有美さんが知的障害との診断を受けた時だ。 他の子と比べて言葉の発達が遅い。自分で歩けるようになると、勝手に外へ飛び出し、近隣の人にまで心配をかけてしまう。 「この子の将来はどうなってしまうんだ・・・」 妻の美津子さん(支部副婦人部長)と共に何度、眠れぬ夜を過ごしただろう。自分たち両親が健在のうちは、まだいい。しかし、しかし──「叶うならば有美がなくなる次の日に、私たちを死なせてください」。思い詰めるあまり、御本尊に対する祈りも、いつしか悲壮なものになっていた。 84年8月、渡辺さんは東京・日本武道館で行われた「全国教育者総会」に参加した。当時32歳。 そこで紹介された池田名誉会長の提言「教育の目指すべき道──私の所感」に触れたのである。 「教師の胸中の一念の中にこそ、青少年の限りない成長も、時代変革の活力も秘められている」──この師の大確信が、一人の青年教育者の心に灯を点じた。 そうだ。教師である自分が諦めてどうする。娘は多くを語らずとも、心の底で“成長したい”“輝きたい”と叫んでいるはずだ。他の子たちだって、きっと! 渡辺さんの祈りは変わった。「子どもたちの心の声に、どこまでも耳を傾けられる自分にしてください」 ◆◇◆ 忘れられない生徒がいるという。「場面緘黙(かんもく)症」の中学生ね正伸君(仮名)だ。 小学4年までは特に支障なくコミュニケーションができていたという。アキレス腱の伸びが悪くなる病気を持っていることから、「のろま!」等とののしられ、いつしか学校で話すことができなくなってしまったのである。 中学生になると同級生から激しいいじめに遭う。さらに朝のあいさつができないことで教師から強い叱責を受けたことが重なり、中学2年で不登校に。そして渡辺さんの特別支援学校に転校してきたのである。 正伸君は極度の対人恐怖症の傾向があった。最初は彼の大好きな「日本史」を1日1時間だけ学習することに。ここで渡辺さんの専門が生きた。緊張のため、ほとんど頷くだけの彼。それでも渡辺さんは、じっと待つ。いつか必ず、彼が心を開いてくれるようにと祈り、信じ抜きながら。あふれる詩心 次第に、質問に対してメモ用紙に答えを書いてくれるように。さらに、小さな声で話してくれるまでになった。口元に耳を近づけてやっと聞こえるような、か細い声。それでも彼が家族以外の人と会話ができたのは数年ぶりだという。 ある日──「正伸君。これまでひどく心を傷つけられることを言われて、本当につらかったね」と優しく語りかけると、彼は、絞り出すように言った。 「・・・つらかったです」 渡辺さんは涙をこらえ、ほほ笑んだ。「大丈夫。一番苦しんだ人が一番幸せになる権利があるんだから」 数少ない言葉のやり取りの中で、渡辺さんは正伸君の胸の奥に、豊かな詩心の世界があふれていることを感じ取る。 「詩を書いてみたらどうだろう」。そう提案すると驚くほどの量の詩が、奔流のように彼の筆から生まれてきた。その作品の一つは、18歳以下を対象に全国から創作詩を募集する「矢沢宰賞」で、1500点以上の応募から5人だけに与えられた奨励賞に輝いたのである。 自信を得た正伸君は、特別支援学校の高等部に進んだ。「前に進む勇気を、渡辺先生がくれたんです」と最高の笑顔で──。 感謝の思いを込め、正伸君は「希望の種」と題する一詩を詠んだ。 養護学校の土に 僕の心の中にある 希望という架空の種を そっと蒔いた 僕の希望は 高等部を卒業すること その希望に向かって 一歩ずつ 足を踏みしめながら 長い坂を歩いていく 大輪の希望の花が 咲くのを信じて がんばっていこう ──渡辺さんは今、しみじみと感じている。皆からかわいがられる有美さんの存在が、多くの新たな出会いを結んでくれたことを。彼女の笑顔が、皆を元気にしてくれたことを。人間にとって最も大切なことは、学歴でも経済力でもない。何よりも、心の豊かさであることを。 そして──「その豊かな心を育む環境とは、ほかならない、私たち教育者自身であることも」。【取材を終えて】 取材を終え、思い起こした説話がある。「須梨槃特」という釈尊の弟子の物語だ。 須梨槃特は物覚えが悪く、たった14文字の仏の教えを暗唱するまでに3年も要するほど。自分の名前すら忘れてしまうこともあったという。 当然、他の弟子たちが行う複雑な修行についていけず、よく彼は仲間に揶揄された。とうとう、ある時、実の兄までもが匙を投げた。「もう家に帰れ。お前は修行をしても無駄だ」と。そして須梨槃特は、兄の手によって釈尊の教団から追い出されてしまう。 がっくりと肩を落とし、道端に立っていると──近づいてくる人がいた。釈尊だった。仏は、優しく須梨槃特の手を取って連れ戻す。ほこりまみれの彼に一枚の足拭き布を与え、こういった。「これで拭きなさい。また一緒にがんばろうじゃないか」 とはいえ、須梨槃特が甘えてしまっては何にもならない。ここで釈尊は絶妙な形で修行の指針を与える。 「このほこりまみれの布を、『清らかなもの』だと想像してごらん」 もはや布自体は汚れている。清浄とは、ほど遠い。だが仏教には「清潔」とか「不潔」といった外面的な差別にとらわれるな、という教えがある。 “真の清らかさ”は心の中にこそある──と。 須梨槃特が、それを理解していたわけではない。それでも師の慈愛が込められた布を見ては“あのときの感動”を思い出し、師の指針を実践し続けた。やがて修行が楽しくなり、ついに仏の悟りを得たのである。 機根や気質は人それぞれ異なる。「100人」いれば「100の個性」がある。仏は、この「違い」を尊重した。一人一人の違いを的確に捉え必要に応じて多彩な例えや言葉を駆使して教えを説いたのである。 それは、「万人が等しく尊極の生命を具えている」という仏法哲理に裏打ちされた、大海のような慈悲と智慧の発露であったに違いない。 ふと思う。教育本部の友が今日まで貫いてきた実践もまた、同じではなかったか。 誰もが自分らしく輝ける“理想の社会”といっても、その地道な積み重ねの先に見えてくるものなのだろう。