カテゴリ:歴史
直後の神戸の惨状がいまでも目に浮かびます 仕事とプライベートの両方の用事で 震災直後の神戸を何度も訪れました 学生時代、JR六甲道駅近くで下宿をしていました 木造二階建てのその家は、二階への階段を残して 見事に全壊していました 表の道路に面した万代塀の上に、ボクが作った 下見板張りの塀が無傷で残っていました お世話になったおじさん夫婦は無事でしたが 同居していた娘さんがひとり亡くなりました ボクがお世話になっていた当時、中学生だった 一緒にテレビでローハイドなどを観ていました おじさん夫婦は、徳島に嫁いでいたもう一人の娘さんに 引き取られて、その地で生涯を終えられました ボクも何度か徳島にお二人を訪ねて 昔話に花を咲かせたものです 少しはお二人の慰みになったでしょうか 6千人を越える方が無くなり 多くの人の運命を変えてしまいました 大きな出来事でしたね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんにちは。
私は当時会社が西宮で住まいが芦屋でした! 友人を2人亡くし1週間避難所暮らしでその後は仮設住宅の建設に携わるなど復興に必死になりました。 その後桜が咲く頃に交通事故で全身打撲、右腕複雑骨折で手術になり本当に波乱な一年でした。 いつまた同じような事が起こるか考えるといたたまれません。 (2021/01/17 09:14:41 PM)
こんばんは(^^)
いつ誰の身の上に起っても 不思議ではありませんが 何度も たまりません(>_<) 世界中でも 苦しむ方々を見るのは 忍びないです。 が ビッグジョンさんは 大切な身近だった方を亡くされたのですね。 おじさん御夫婦は 何度も会いに来て下さるビッグジョンさんに 娘さんのことを一緒に話すだけでも 慰められ 供養になった事でしょう。 私は 友達の要請で 震災数日後 神戸方面へ行きました。全く風景が変わって 歩く場所も瓦礫 埃が舞い上がり、迷いました。 遠くのスーパーまで見透せて 電車からの風景は 悲惨でした。 あの風景は 忘れることができません。 (2021/01/17 09:48:12 PM)
あれから26年、それぞれの記憶が蘇りますね。
そう言う形で震災とかかわって居られましたか。JR六甲道周辺は被害の大きかった場所でしたね。 私は三ノ宮で勤務していましたがビルが半壊して、事務所が元に戻るのに7ヶ月かかりました。 (2021/01/17 10:05:03 PM)
コメントをいただいたみなさんへ!
コメントをいただいたみなさんは関西在住ということで、それぞれに何らかの関与があり、忘れることが出来ない記憶をお持ちのようですね。 災害に備えるというのは、言うは易し・行うは難しの代表例みたいなものだと思います。 また災害が起きた時にどれだけのことが出来るか、これもまたそれぞれの事情によると思います。 どちらの場合も、出来る範囲で悔いのない行動をとれたらうれしいですね。 (2021/01/18 02:28:07 PM) |
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