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ラッコの映画生活

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2008.06.17
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カテゴリ:ヨーロッパ映画
4 LUNI, 3 SAPTAMINI SI 2 ZILE
Cristian Mungiu
113min
(桜坂劇場 ホールBにて)

432_0.jpg

凄い!。内容も形式も演技も、物凄い映画。この映画について、「1987年、チャウセスクの独裁政権下で、・・・であったという背景を知らないとこの映画はわからない」等とどこかに解説があった。そもそもチラシにも内容をバラし過ぎ。しかしこの映画は何の予備知識もなく見るべき映画なのではないかとボクは思う。観ているうちに段々わかってくる過程がいい。もちろん自分もビラや予告編で余計な知識を持って見たけれど、そこが残念だ。そんなわけで、以下何をどう書いてよいものやら悩んでしまう。後半では、既に観た方に向けて、あるいは観てないけれどかまわないという方に向けて、予備知識バレ&ネタバレで書かせていただくことにして、まずは何を書くべきやら・・・?。

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映画はブカレストなのだろうか?、大学の寮の一室で始まる。ルームメイトのオティリアとガビツァ。何かの準備をしている様子。金魚鉢の置かれた窓辺のテーブルのビニール・クロスを外し、畳んでトランクに入れたり。ふだんの毎朝の風景ではない様子。「いいわ、わかった。」といった短い言葉が交わされるが、いったい何のことなのかわからない。でもなんとなく尋常でない緊迫した雰囲気が既に伝わってくる。何かの準備に活発に動き回るのはオティリアで、ガビツァの方はただうろうろしているだけで行動が定まらない。寮内は当然のごとくの闇商品取引の場でもあり、オティリアは石鹸を買い、タバコのケントを探しているがマールボロしかない。化粧品だ、ピルだも取引されている。そんな大学寮内での日常、あるいは当時のルーマニア社会の日常、そこに我々観客は引き込まれる。そしてこのオティリアとともに緊張と激動の彼女の1日を我々はともにする。

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残念ながら自分はソ連崩壊前の共産圏の国々をちゃんと訪れたことはありません。ただ1回アエロフロート(当時ソ連航空、現在ロシア航空、たぶんイリューシン86M型機)で成田⇔フランクフルト間を往復したことがあります。12月・1月のことだったのですが、帰り経由地モスクワ・シェレメチェヴォ空港の滑走路が凍結ということで、レニングラード(現サンクトペテルブルク)に連れて行かれた。自分を含めて乗客のほとんどはソ連のビザなんて持ってないからソ連入国は出来ないのだけれど、トランジットロビーに食堂がない。何時間も乗客を待たせるのだから食事を出さないわけにもいかない。それで一人一人パスポートと引き換えに臨時入国証を貰って(と言っても係官が預かったまま)入国し、そちら側のレストランに連れていかれた。食事が済むと逆手続でトランジットロビーに戻る。その後のことを一応書くなら、そこから使えるようになったモスクワ空港へ。そこでまた何時間か待たされて、成田に12時間遅れで到着。疲れたけれど面白い体験でもあった。共産ソ連の官僚的人々の世界を実体験させてくれたのだから。だからこの映画を見ていても、同じような空気として感じられた。もちろん自分が体験したのは身に何の危険もない単なる西側一乗客でしかないけれど。オティリアが予約したはずのホテルに行くシーンとか。フロントでケントの箱とIDカードを重ねて出す。そういえばアエロフロートの別の便でモスクワで待たされた乗客は、添乗員が機転でクロスのボールペン1本を賄賂(?)に交渉してホテルで休んでいたと言っていた。

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(以下ネタバレ)
ここで冒頭に書いた「1987年、チャウセスクの独裁政権下で・・」ということなのだけれど、人口増加による国力の強化や労働力のために、当時のチャウセスク独裁政権は避妊も中絶も禁じていた。もちろん違法に中絶などしてバレれば刑務所行きということになるのだろう。ちなみに共産政権と中絶禁止を結びつけてはならない。ポーランドはカトリックの強い国であり、自由化されてから中絶が禁止されている。だからあくまで中絶禁止はチャウセスク・ルーマニアの話であって、共産国一般の話ではない。実はガビツァはその違法な中絶をしようとしていて、オティリアがそれを助けるという物語であることがわかってくる。ここではとりあえず中絶の是非については触れないで話を進めよう。

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実を言うと、このガビツァっていう娘はボクの嫌いなタイプ。何にも出来ない弱々しい、頼りなさそうな風で、自分でもそう思っているのかも知れないけれど、実はかなり自分中心で、したたかだ。日本でも見かけるあのいけすかないタイプの女。まあだからこそオティリアという人物を描けるのかも知れないし、若い娘のこの不自由な社会での切羽詰まった思いが浮き彫りにできるのかも知れない。ガビツァは気の進まないことはオティリアに頼り、東奔西走するオティリアは彼女の話が違ったことで振り回される。でもオティリアにあるのは兎に角計画の実行なのだ。

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そしてやっとガビツァの待つホテルの一室へもぐりの堕胎医を伴ってやってくる。しかしここでもまたガビツァの嘘がバレる。妊娠2ヶ月と堕胎医にも言っていた彼女だったが、実は映画の題名にもなっているように既に4ヶ月、3週と2日だった。そして堕胎医も女ではなく男だった。結果普通以上の高額の料金を要求されるけれど、そんな金はガビツァにはない。堕胎医もそこに付け込む。何も具体的に口にはしない堕胎医の要求する金とは別のものを、オティリアは支払う決心をし、服を脱ぎ始める。ガビツァは部屋からロビーに出てしまう。落着かずに戻ってくるものの、バスルームに籠って、部屋の音が聞こえてこないように水道を流す。支払いが終わると、ガビツァにラミナリアか何かの機具の挿入を施し、堕胎医は帰って行った。

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次のシーンがいい。オティリアはこんなときに行きたくもない恋人の母親の誕生パーティーに行く。長い1カットなのだけれど、居並ぶ親類とテーブルに着いた彼女が写される。ちょうど彼女の向かいの人物の視線の固定カメラで、あたかも観客はその席に座って同席しているような感じだ。語られるのは、この共産社会で上手く地位を得ている人々の自慢話といった体のもので、オティリアを他所者としてバカにしている風でもあり、そんな下らない話に彼女はうんざり。その窮屈感を観客も味わわされる作りだ。早く抜け出してホテルに戻りたい彼女だ。二人になったとき「私が妊娠したらどうするの?」と恋人に問うが、その答えに彼女が感じるのは男の無責任な身勝手だけだ。彼女は恋人を振り切ってやっと抜け出してホテルへ。

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この後の詳しい展開は書かないけれど、最後は機具による人工早産を終えたガビツァが安堵してホテルのレストランで食事をしているところに、すべての事後処理(これにはちょっとショッキングな映像もあり)を終えたオティリアがやってくる。彼女は謝るでも礼を言うでもない。ただちょっと気まずそうだが黙々と肉を食べているだけだ。そんな彼女を見つめるオティリア。向かい合ってテーブルに着いていた2人を横から撮っていたカメラの方に、オティリアが顔を向ける映像で映画は終わる。映画の中に入ってオティリアの1日を一緒に生きてきた観客は、彼女の視線で映画を見ている観客に引き戻される。バトンは観客に渡され、観客自らが考えることを提起される。

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演じた現代のルーマニアの若い役者は、どうしてホテルでオティリアがあそこまでのことをするのかが解らないと監督に言ったという。監督は1968年生まれだから、この映画の舞台である1987年には18~19才で、映画の主人公たちと同年代だ。そんな監督は「そういう時代、社会だった」と言う。たかだか20年でそれを現代の若者は既に解らないのだ。

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オティリアを動かしたものは、フェミニズムでも、友情でも、体制への批判・挑戦でもたぶんない。そういうものを含めて社会の状況全体なのだと思う。その閉塞感の中で「自分を感じる」、あるいは「生きている」実感なのではないのだろうか。そんなオティリアをアナマリア・マリンカが実に名演だった。


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Last updated  2008.06.28 05:38:09
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