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【無相心三昧】
さて、また、アーナンダよ、比丘は無所有処についての想いに集中することなく、非想非非想処についての想いに集中することなく、無相心三昧による独住に専念する。かれの、無相心三昧に向かう心は、躍進し、喜び、確立し、信に向かう。 かれはこのように知る。 (すなわち)あったのは、無処有処についての想いによるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。あったのは、非想非非想処についての想いによるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命あるものであることを縁とすることによっている、ただこの不安だけである。 かれは(このようで)ある。 「空であるものは、この想いにあるもので、無所有処についての想いに向かうものである」と知る。 「空であるものは、この想いにあるもので、非想非非想処についての想いに向かうもの「である」と知る。 「あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命あるものであることを縁とすることによっている、これだけが、空ではないものである」と(知る)。 以上のように、そこ(A)に全くないそのもの(B)によって、そこ(A)を空であると見る。なおまだそこに余ったものがあるとき、在るところのそれを、「それはある」と知る。このように、かれには、アーナンダよ、この、如実であって転倒なき清浄な空性が顕現し存在している。 【命を縁として、身体によってのみ六処をもつ】(無作) さて、また、アーナンダよ、比丘は無所有処についての想いに集中することなく、非想非非想処についての想いに集中することなく、無相心三昧による独住に専念する。かれの、無相心三昧に向かう心は、躍進し、喜び、確立し、信に向かう。 かれはこのように知る。 (すなわち)この無相心三昧は作られたものであり思念されたものである。何であれ作られたものであり思念されたものは、無常であり滅する性質のものであると知る。 かれは、このように知って、このように見て、欲の煩悩から心が解脱し、生存の煩悩から心が解脱し、無明の煩悩から心が解脱する。解脱したものについて、解脱したという知がある。滅尽したのは生まれることである。完成したのは、清浄行である。為したものは、為すべきことである。ふたたび、この状態(この世)に戻ることはない、と知る。 かれはこのように知る。 (すなわち)あったのは、欲の煩悩によるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。 あったのは、生存の煩悩によるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。 あったのは、無明の煩悩によるもろもろの不安であるが、それらはここにはない。 あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命あるものであることを縁とすることによっている、ただこの不安だけである。 かれは(このようで)ある。 「空であるものは、この想いにあるもので、欲の煩悩としてあるものである」と知る。 「空であるものは、この想いにあるもので、生存の煩悩としてあるものである」と知る。 「空であるものは、この想いにあるもので、無明の煩悩としてあるものである」と知る。 「あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命あるものであることを縁とすることによっている、これだけが、空ではないものである」と(知る)。 以上のように、そこに全くないそのものによって、そこを空であると見る。なおまだそこに余ったものがあるとき、在るところのそれを、「それはある」と知る。 このように、かれには、アーナンダよ、この、如実であって転倒なき清浄な空性が顕現し存在している。 【清浄であり最高にして無上な空性】 アーナンダよ、過去の時において、清浄であって最高にして無上な空性に達して住していた沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住していたのである。 アーナンダよ、未来の時において、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているだろう沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているだろう。 アーナンダよ、今現在、清浄であって最高にして無上な空性に達して住している沙門やバラモンたちは、みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているのである。 それ故に、アーナンダよ、ここにおいて「清浄であって最高にして無上な空性に達して、わたしは住しよう」と、このように、アーナンダよ、学習すべきである。 このことを語ったのが、尊師であった。心かなえる尊者アーナンダは、尊師によって語られたことを大いに喜んだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013.09.13 12:43:26
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