254167 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

brog

brog

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

katu6448@ Re:ティンバルカ(09/15) 正直な所、何を言っているのか? 最後はテ…

Recent Posts

Archives

Freepage List

2024.04.23
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
当麻寺は元々は三論宗の寺で、現在は真言宗と浄土宗の寺となっています。
法号は禅林寺というのですが

禅林寺を調べてみると、京都に同じ名前の寺があります。

当初真言宗の道場として出発した禅林寺は、中興の祖とされる7世住持の永観(ようかん)律師(1033年 - 1111年)の時に念仏の寺へと変化を遂げる。
永観は文章博士の源国経の子として生まれた。11歳で禅林寺の深観(花山天皇皇子)に弟子入りし、東大寺で南都六宗のうちの三論宗を学ぶ。三論宗には奈良時代の智光以来の浄土教の思想があるが、浄土の教えに感動した永観はやがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。
師深観の跡を受けて禅林寺に戻るのは延久4年(1072年)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、東五条の悲田院の近くの薬王寺に阿弥陀像を安置して、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。さらに当寺の境内にも悲田院(薬王寺)と施療院を建立し、梅の木を沢山植えて病人に薬用としてその実を与えた。

禅林寺を永観堂と呼ぶのは、この永観律師が住したことに由来する。なお、「永観堂」は漢音読みで「えいかんどう」と読むが、永観律師の「永観」は呉音読みで「ようかん」と読む。

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。
この像については次のような伝承がある。(見返り阿弥陀像)
永保2年(1082年)、当時50歳の永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。

この記述です。阿弥陀仏の周りを念仏を唱えながら旋回するというのは、前にも書きましたように般舟三昧(はんじゅざんまい)です。

心を集中することによって諸仏を眼前に見ることが出来る境地のことです。
「十方現在仏悉在前立定(現在の仏がことごとく前に立つ精神集中)」の意で、その略語たる現在三昧を音写して般舟三昧と言う。また、諸仏現前三昧(しょぶつげんぜんざんまい)ないし仏立三昧(ぶつりゅうざんまい)とも意訳される。

まさに永観が阿弥陀様に出会ったことをこの左向きの仏像は表しているのだとおもいます。

おそらく中将姫も同じ様な事が出来る方だったのではないかと思えるのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.04.26 09:14:08



© Rakuten Group, Inc.