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2009.08.13
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カテゴリ:健康・ダイエット
     ☆ 日本国は9月2日に条件付きで「降伏」 ☆

日本は「大東亜戦争」を戦い、敗戦という形で「終戦」を迎えました。
この戦争をアメリカ合衆国(USA)は「太平洋戦争」と呼んでおり、占領後は、日本には
「大東亜戦争」という呼称そのものの使用を禁止しました。

さて、1945年9月2日、USA・戦艦ミズーリ号上で、日本国は連合国と降伏文書に調印し、終戦(敗戦)となりました。

その結果、「日本軍」は無条件降伏しましたが、
「日本国」は無条件降伏ではなく「ポツダム宣言」の条項を条件として「降伏」しました。
このことについては「降伏文書」に明記されております。

 8月15日は、日本が「ポツダム宣言受諾」の意向を連合国に通告し、その事実を、天皇がラジオ放送で公表した日に過ぎません。
この時点では、戦争は終了していません。

その後、日本は主要な連合国と「日本国との平和条約」(サンフランシスコ講和条約)を締結して、ソ連とは「日ソ共同宣言」、中国とは別途特別の法的処置をとり(日中共同声明)、賠償問題その他の戦争に関連する請求権を一括処理することで、すべて完全に決着済みです。

       ☆ 悲劇!北方領土 ☆

「終戦」は、日本と連合国とが「降伏文書に締結した」9月2日です。
しかし、日本人は、8月15日に「戦争が終わった」と錯覚し、日本軍は全ての戦線で武装解除していました。
この空白の18日間に起きた数多くの「日本の悲劇」の最大のものが「北方領土」問題です。

1945年8月8日、ソ連は「日ソ中立条約」を踏みにじり、日本に宣戦布告を行いました。
その大義名分は、
「平和の到来を早からしめ、今後の犠牲と苦難より諸国民を解放し、かつドイツの如き危険と破壊から日本国民を救う唯一の方法」という欺瞞に満ちたものでした。

まず、ソ連軍は8月18日の夜に「北千島」最北端の占守島に上陸し、攻撃してきました。

この島で「撤退」を待っていたのが、池田末男大佐率いる戦車第11連隊と他の部隊でした。
大佐は、ソ連軍への対応策を師団司令部と大本営とに確認しますが、大本営は、既に降伏していて指令を発することができません。

そうしているうちに師団長から「撃退命令」が出されました。
この戦闘で日本の戦死者は池田大佐を含め95名、ソ連側は500名を越えました。
ソ連政府機関紙イズベスチャは、次のように報じています。

占守島の戦いは、満州、朝鮮における戦闘よりはるかに損害は甚大であった。
8月19日は「ソ連人民の悲しみの日」である。
                              以上

8月23日に占守島は占領され、「北千島」最南端の得撫島は8月31日に占領されました。
 
これと同時に、ソ連は、8月16日から侵攻した樺太(南サハリン)を占領して、ここから「南千島」(北方領土)に侵攻しました。

その結果、8月28日には「択捉島」が、
9月1日には「国後島」と「色丹島」とがソ連によって「軍事占領」されてしまいました。
この間、日本側・日本軍は一切、抵抗していません。
日本は「既に8月15日、終戦を迎えた」との思い込みがあったためです。

そして「歯舞諸島」の場合。
ソ連・北太平洋艦隊指令長官が9月2日に発した「侵攻の準備をせよ」が、その命令を受けた末端の部隊が「侵攻せよ」の命令と勘違いし、侵攻を開始してしまい、結果、9月4日・5日に、およそ四つの島からなる「歯舞諸島」を無血占領してしました。

この「歯舞諸島」占領は、「9月2日の終戦」後のことですから、不法の疑いが大きい。

しかし、「択捉」「国後」「色丹」「歯舞」で、日本側がソ連軍の攻撃に全く抵抗しなかったのは、国際法上、単なる「戦闘放棄」と見做されます。

これらの島が、日本国の固有の領土であれば、日本がソ連軍に対して「抵抗」「戦闘」するのが国際法の常識ではあります。

更に、日本の「無策」は続きます。
つまり、サンフランシスコ講和条約で、日本は「千島列島」を放棄しましたが、この「千島列島の地理的範囲」の確認を怠りました。

その結果、ソ連は、この「千島列島」には「北千島」と「南千島」とが含まれいると断定します。
一方、日本側は、「千島列島」には「南千島」は含まれていないという立場で、日本の「固有の領土」との主張です。

しかし、同講和条約を、ソ連は締結していませんので、問題が複雑になってきます。

下記の参考図書から引用します。
「いずれにしても放棄された千島列島がどの国に帰属するかは、連合国内部の問題であって、日本の関知するところではない」。   (引用終わり)

これらのことから得られる教訓は、大変、大きい。
まずは「戦争は始めたら、負けてはいけない」。

「平和!」「平和!」そして「反戦!」更には「戦争放棄!」を唱えれば、「戦争は回避」されると、多くの日本人は錯覚しています。
しかし、「戦争」は国際法上、合法的な「政治」の延長であり、複数の主権国家が存在する限り、避けることはできません。

更には、というよりも本質的には、紛争の種蒔き・育成、そして融資・兵器の押し売りを行い、その成果である「戦争」「テロ」を助長する「死の商人」が暗躍、跋扈しているのですから、「国際法上の戦争」をしっかりと学習すべきです。

「戦争」と「テロ」の違いも、ここから学ぶことができます。
最近の例では、USAのイラクに対する武力行使は「戦争」行為ではなく、「不法な攻撃」つまり「国家テロ」です。

 USAは、特定の国を「テロ支援国家」「ならず者国家」「圧制国家」と非難しますが、
そのUSA自身が、「テロ国家」「超ならず者国家」「超圧制国家」であることも「応用問題」として知ることができます

国際法でも、各国政府がその国民に「国際法」を「学習」させることを義務付けています。
日本では、これが全然、行われていません。

国際法、特に「戦時立法」を学び「戦争」を知った上で、「平和」を唱えましょう。

現状では「日本政府そして日本人の怠慢」でしかありません。
このままでは、日本の国益と日本人の生命・財産が「合法的に」失われていきます。

因みに、昭和天皇・裕仁は、国際法、大日本帝国憲法を熟知しており、

「裕仁が始め、裕仁が指揮を執り、裕仁が止めた」大東亜戦争が、

「9月2日に終戦を迎えた」ことを認識していたようです。

「さすが、元首兼最高司令官」と言いたいところですが、
裕仁は、「死の商人」同様、なかなかの商売人でした。


    ☆ ドイツは「降伏」が認められず「征服」されました ☆

日本と比較されることが多いドイツの場合を見てみます。
降伏当時、連合国は、ドイツ国家を正式に代表する政府は存在しないと言う立場を取りました。

すなわち、「ドイツ軍」の代表者が「降伏文書」に調印し、軍隊として「無条件降伏」をしました。
しかし、上記の理由から「ドイツ国家」としては「降伏」さえ認められず、一方的に連合国に「征服」されました。
つまり、ドイツ政府は敗戦によって壊滅され、主要連合国4カ国の軍政下となりました。

その後、1949年、西ドイツ・東ドイツの国家が誕生しました。
ここのポイントは、戦前・戦後を通じて、ドイツには国家としての継続性がないということです。

更には、征服されてしまったので、戦争を法的に終結させる「ドイツとの平和条約」を締結していません。
ですから、現在、ドイツは各国・各方面から果てしなく要求される戦後補償に、対応せざるを得ない状況にあります。

     ☆ 連合国による日本の占領は、当初から「征服」☆

「降伏」は契約であり、勝者・敗者ともに、その契約を遵守する義務があります。
しかし、「征服」は勝者の一方的な行為です。

下記の参考図書から引用します。

マッカーサー自身も、当初は「降伏文書」と「ポツダム宣言」とを併せ読めば、当然、日本の
「降伏」は一種の契約であると理解していた。

しかるに、日本占領実施の直前にマッカーサーが米国政府から受け取った指令は、「降伏文書」の契約的性格を否定し、日本は国家として「無条件降伏」したものと総括し、マッカーサーに対して米国の政策を一方的に実施するために無制限の権限を与えるものであった。
(中略)

つまり、マッカーサーとしては、最初は、この「占領」が秩序をもって大過なく実現できるとは毛頭考えていなかった。
(中略)

ましてや、このたびの日本進駐は、「降伏」の契約的性格を米国が一方的に否認して、あたかも「征服」であるかのように占領を強行する話である。
日本政府には重大な異議があるだろう。 
                                  引用終わり。

占領当初、マッカーサーの予想は当たり、日本政府からの「異議」はありましたが、その後はマッカーサーが驚くほど、日本政府・日本人は占領軍に従順でした。
つまり、占領軍・マッカーサーは「降伏文書」「ポツダム宣言」を無視して、つまり、国際法を違反して「日本征服」政策を断行していきます。

具体的には国際法では、占領下にあっては、その非占領国の基本的な法律を遵守しなければなりません。

しかし、占領軍は、日本の最も「基本的な法律」である「大日本帝国憲法」までも、変えさせるという蛮行を行いました。
この国際法違反の「日本国憲法」など、直ちに「無効宣言」をして「破棄」すべきものであります。

更には「日本との平和条約」と引き換えに、USA は「日米安保条約」を日本に押し付け、引き続き、日本を「占領」し続けてて、今日に至っています。

「日本国憲法」と「日米安保条約」とを破棄しない限り、日本は、USA(を実効支配している商人)に「永遠に征服され続ける」ことになります。

                   
☆ 参考図書 ☆

色摩力夫著「日本人はなぜ終戦の日付けをまちがえたのか」黙出版 2000円

「占守島」での攻防につきましては、箕輪孝久氏著の「祖国を守った防人たち」から要約引用させていただきました。
詳細は「北千島占守島の五十年」(図書刊行会)をご覧下さい。











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Last updated  2009.08.14 08:52:35
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