このコンチェルト・ロンドは、1960年頃、現在のFM東京がFM東海と言って実験放送を始めた頃、クラシック音楽番組のテーマ音楽として採用されていました。その後、この軽快で馴染みやすいコンチェルト・ロンドは小学校の運動会用の音楽として、今でもよく利用されている様です。
モーツアルト自身はこれをロンドと呼んでいる。主音と属音の交替からどんなものが生じるかを考える人にとっては、それは小さなユーモラスな奇蹟である。
-「モーツアルト」その人間と作品 アインシュタイン
1781年ザルツブルク大司教であるコロレドと喧嘩別れをして、ピアノ演奏家・作曲家としてウィーンで自立することになります。
当初、圧倒的人気でウィーン市民を魅了することになる訳ですが、このコンチェルト・ロンド K.382がウィーン聴衆への最初の貢ぎ物となりました。
ウィーンのシンボル、朝日に輝くステファン教会です。1500年頃には完成していますので、モーツアルトも10年間こんな姿を見ていたのだと思います。
この曲はピアノ協奏曲の体裁の様式を守ってはいませんが、それはウィーン市民の趣味に合わせたものだと言われています。
しかし、聴衆というのは飽きやすいものでして5年後の1786年頃からは、人気に陰りが差して、1788年頃からは困窮生活に陥ってしまった様に伝えられています。
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良く知られている第1楽章は5分以上掛かりますので、短いのですが優雅な第2楽章 Adagio をブレンデルの演奏でお聴き下さい。