所謂、積読の資料棚を観ていましたら、何件も特許出願願やら公開特許公報の写しが出て来ました。
1990年代は、将来を担うとされる新技術開発を担当する部署に転籍し、国家プロジェクトにも参加することになりました。
当時のNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の2大プロジェクトは使い捨てだったエネルギーの省エネを中心としたムーンライトプロジェクトと水素時代を目指したサンシャインプロジェクトでした。
当時は、企業の技術は特許を出願して、公開すると共に先願権利を積極的に守って行こうとするのが主流でしたので、社内の特許グループからは、出願要請が来ていたもので、上記写しに押印してある根本氏とは随分懇意になったことを思い出しました。
共同出願人の西尾氏は、東工大出身の俊才、新技術全般、特に水素吸蔵合金やらメタルハイドレートについては、社内随一の知見があったのです。
平成7年で1995年のことで、頭脳が劣化して追いつけなくなりましたが、随分昔のことで懐かしく思い出しました。将に「光陰矢の如し」とはこんなことなのでしょう!