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加藤周一の「三題噺」に触発されて訪れたのは、20才代のことで、もう50年以上も前のこととなります。
1.「狂雲森春雨」 一休宗純の晩年の恋人盲目の森女との「官能人生」 2.「詩仙堂志」 石川丈山の隠棲生活を「日常人生」 3.「仲基後語」 富永仲基の独創的な思索の生活を「知的人生」 三者の孤独な人生の極限の姿を、見事に豊かに書き分けられていた記憶がありますし、読んでみたらと知人に貸した積りでしたが遂に戻って来ず、我が家にはありません! 石川丈山は、徳川家に仕える譜代武士の家に生まれ、大坂夏の陣に参加、軍令に反して抜け駆けをした為、家康に賞されず、浪人となり妙心寺に隠棲した。 元和3年(1617年)林羅山の勧めによって藤原惺窩に師事し儒学を学び、文武に優れると評判になり、病気がちな母を養うために紀州和歌山の浅野家に仕官し、浅野家の転封に従って安芸広島に赴き、13年後、母が死去し引退を願い出たが許されず、強引に退去し京に出て、寛永13年(1636年)に相国寺の近くに睡竹堂をつくり隠棲した。 更に、洛北に凹凸窠(詩仙堂)を寛永18年(1641年)に建てて、終の棲家と定め、洛東の隠者・木下長嘯子の歌仙堂(三十六歌仙の肖像を掲げていた)に倣って、中国歴代の詩人を36人選んで三十六詩仙とし、狩野探幽に肖像を描かせて堂内四方の小壁に9面ずつ掲げた。そのため凹凸窠は詩仙堂の名で知られるようになった。 この画像はネットからの借り物で、著作権有無は確認しておりませんので、問題あれば削除となります。 作庭に長じたとも言われ東本願寺枳殻邸、一休寺酬恩庵の作庭を手がけたとされ、詩仙堂の庭も見事な庭となっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.19 08:56:15
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