テーマ:徒然日記(22880)
カテゴリ:Books
彼の代表作とされる「武蔵野」に続き、27才で書き下ろした「忘れえぬ人々」は、人生の過ごし方を考えさせてくれる不思議な作品です。
独歩は1907年に肺結核に羅症、しかし皮肉にも、前年に刊行した作品集「運命」が高く評価され、独歩は自然主義運動の中心的存在として、文壇の注目の的になりましたが、不幸にして36才で夭折となりました。 簡潔な短編であることもあり、全文では無いのでしょうが、私の高校時代の国語教科書に掲載されていたのです。 多摩川二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中程に亀屋という旅人宿がある。丁度三月の初めの頃であった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、沙無きだに寂しいこの町が一段と物寂しい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。 ・・・ 七番の客の名刺には大津弁二郎とある、別に何の肩書きもない。六番の客の名刺には秋山松之助とあって、これも肩書きがない。 大津とは即ち日が暮れて着いた洋服の男である。やせ形な、すらりとして色の白い処は相手の秋山とはまるで違っている。秋山は25か6と言う年輩で、丸く肥えて赤ら顔で、目元に愛嬌があって、何時もにこにこしているらしい。大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの田舎の旅宿で落ち合ったのであった。 ・・・ 美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手にしゃべって、現今の文学者や画家の大家を手ひどく批評して十一時が打ったのに気が付かなかったのである。 ・・・ 大津は故ゆえあって東北のある地方に住まっていた。溝口の旅宿で初めてあった秋山との交際は全く絶えた。ちょうど、大津が溝口に泊まった時の時候であったが、雨の降る晩のこと。大津は独り机に向かって瞑想に沈んでいた。机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの『忘れ得ぬ人々』が置いてあって、その最後に書き加えてあったのは『亀屋の主人』であった。『秋山』ではなかった。 小説「武蔵野」で知られる作家・国木田独歩(1871~1908)が今年、生誕150周年を迎える。独歩は小学校時代を山口県岩国市で暮らし、20才前後の2年間、柳井市で過ごした。 独歩は千葉県生まれ。裁判所職員となった父は山口県内の各地で勤務した。東京専門学校(現・早稲田大)に進むため上京したが中退し、92年には柳井市に住む。 独歩は柳井市を離れた後、大分県の私塾で教えた。94年に東京へ行く途中に1ヶ月程柳井に滞在後は、東京で新聞社の記者などをしながら作品を次々に発表、36才で神奈川県にて亡くなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.12.01 08:39:21
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