テーマ:徒然日記(22784)
カテゴリ:Opinion
昨日で満80才となり、何とか80才でリンパ腺癌を羅症し他界しました母の行年に追い付きました。親の年齢を超えて生きるのは子供の目標だと思っていましたので・・
母は4人姉弟妹の次女、静岡県の中都市で生まれましたが、指物師であった実父が夭折、実母は妹のみを手元に置き、他の3人は他家の養女・養子として手放す決断となりました。 従って、義務教育とされる尋常小学校が終わると働き始めた様ですが、在学中は驚く程の秀才で他生徒にも一目置かれていた様です。 東京で、栃木県から働きに来ていた父と知り合い結婚、穏やかの家庭の人となりました。 しかし、1950年頃から父がギャンブル依存症となり家庭を顧みなくなりますと、代々木ワシントンハイツに家政婦として働き生活費を工面、その内30坪の我が家の空き地を利用して学生用のアパートを建設することになりました。 大学進学する学生が多くなり、都内でアパートが払底するとの情報を、区役所等から得ての決断でしたが、担保が少なく銀行からの借り入れは無理で、町の高利貸からの借金で建築する大きなリスクとなりましたが、思惑は成功して借金の返却も終わって、豊かな家主に変貌したのです。 その区域がマンション建設の地上げ計画となり、売却して秦野市に引っ越し、東海大学は都内渋谷区から秦野市に大きなキャンパスを造営しましたので、それを見込んでアパート経営を拡大、それが図に当たって生活が楽になり、ギャンブル依存症で厚生年金の納金が滞っていた状況を事後納金で解消、父との和解を図ることとなりました。 父親が夭折すると言う不幸な家庭生活を忘れず、子供達に同じ思いをさせたくないとの人生哲学があったのでしょう。 父のギャンブル依存症は止むことは無かったのですが、少し控えることで治まった様で、母の死後も父は悠々とギャンブル生活を満喫出来た様です。 私が奨学金を高校から授与され、大学進学を果たした時は、自分が果たせなかった学業を励んでくれと激励してくれたのです。 もし、母がいなかったら、工学で身を立てることも出来なかったと感謝するばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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お誕生日おめでとうございます。
盛大なお祝とはいかなかったようですが、健康なのが何よりですね。 立派なお母様ですね。 息子もそれにこたえて東大を出てIHIに就職と、まあまあの人生でしょうか。 奥様に先立たれたのが悔やまれますね。 東京はコロナが流行っているようですからご自愛ください。 人混みの中を出歩かないのが一番です。 (2022.01.16 10:34:11)
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