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あの日から少し時が流れたけれども、どうしても事実を受け入れることができなくて、自分の気持ちの整理がつかなくて、書こうか、書くまいか、迷ったけど、書こうと思う。
ここに書いて、この気持ちを忘れないで、有言実行をしたいから。 大好きだった先輩が死んだ。 亡くなった美容師のTSUNEさんは、僕にはじめて「起業」ということを教えてくれた人だった。 大学生のときに一緒にバスケをしたのが、最初の出会い。 当時、TSUNEさんは、20台で、青山にある有名な美容室で働いていた。 ずっと、自分の店を持つんだと言っていて、それから程なくして、僕が大学5年のときに、ほんとに起業して、恵比寿に自分の美容室を開業した。 資金繰りはぎりぎりで、TSUNEさんは、文字通りお店を「建てて」いた。 もともと別の用途に使っていたマンションの内装を、TSUNEさんと仲間みんなでぶっ壊して、美容室にした。 僕も工具をもって手伝いにいき、邪魔になっている壁をぶち抜いたり、むき出しになった壁にペンキを塗ったりした。 TSUNEさんに、「お前、空手やってるんだから、この柱、蹴りで壊してみろよ。」といわれて、ほんとに思いっきり蹴って、足を痛めたのも、笑える思い出だ(※当然柱は蹴りでは折れません)。 当時の写真を友達が探して送ってくれた。こんな感じでみんなほこりだらけになって汗を流した。 作業が終わると、銭湯に一緒にいって、ラーメンをおごってもらった。 「俺も自分の店持ったから、このくらいケーヒで落ちるよ。」と言っていて、 それ以来、「ケーヒで落とす」というのは、起業したかっこいい男が使うフレーズとして、僕の中の憧れになった。 事業計画や資金計画は、TSUNEさんの友達の社会人たちが寄ってたかって作って、銀行にプレゼンしてお金を借りていた。 「僕も柱を蹴ってるだけじゃなくて、いつかこういう知的な貢献がしたいなあ」と強く思ったものだ。 僕が社会人になって、仕事がきつかったときも、TSUNEさんに励まされた。 別に言葉で言われたわけじゃないけど、「プロとしての基準を絶対に落とさない」仕事への厳しい向き合い方は、TSUNEさんが働く姿勢を見ていてわかった。 僕はサラリーマンだったから甘えてもよかったのかもしれないけれども、TSUNEさんが基準を落とすことは、お店の存亡に直結する。 だから、僕も負けたくないから、歯を食いしばって働いた。 ハーバードにおける起業家の定義は、「自分が持っているリソースを超えたことを、いろいろな人の力をもらって、実行すること」 TSUNEさんは、まさにこれを地で行っていて、彼の周りにはいつもなにか一芸に秀でた人たちが集まって、いろんなことをたくらんでいたものだ。 これに加えて、TSUNEさんから教えてもらった、僕にとっての起業家の定義は、 「夢を持って、その夢を絶対にあきらめないこと。そして基準を落とさないこと。」 あとは、「いくつになっても、趣味のいいイタズラをときどきやること。」 これはちょっと起業家とは違うか。。。 なので、僕にとって尊敬する起業家とは、ビル・ゲイツでもなく、ジェリー・ヤンでもなく、TSUNEだ。 亡くなったのは、9月の中旬で、理由は、心不全だそうだ。 朝お店で倒れているのをスタッフの人が見つけて、でも救急車が来たときにはもう亡くなっていたそうだ。 9月の終わりごろ、友達から知らされた。 人生でこんなに理不尽で残酷なことがあるなんて、思わなかった。 人間いつ死ぬかわからない。 その中で、今、唯一確実に言えることは、 だったら、一日一日思いっきり生きてやる、ってこと。 TSUNEさんができなかった分も、僕がまとめて思いっきり生きてやろうと思う。 僕は、TSUNEさんを見習って、夢は絶対にあきらめないし、基準も絶対に落とさない。 僕はTSUNEさんに比べたら、ふにゃふにゃ生きてますけれども、それでもアメリカに来ていろいろなことを学んでいるし、将来進みたい方向性もはっきりしてきたのに、そういうことを彼が生きているうちに語ることができなかったのは、本当に残念だ。 だから、日本に帰国したら、二人でいろいろな話をしたいから、真っ先にその店に向かう予定だ。 * * * ご冥福を、心からお祈りします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 11, 2007 08:50:19 AM
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