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2011年3月11日午後2時46分頃、宮城県沖で発生した大地震は「東北地方・太平洋沖地震」と命名され、マグニチュードは最終的には8.8で。日本の歴史上最大の地震だと言う。震源地は三陸沖で震源の深さは10キロで宮城県栗原市では震度7を記録した。そして、午後3時15分頃茨城県沖でも震度6弱の地震があり、震源の深さはおよそ80キロでマグニチュードは7.4であった。その巨大地震の津波警報を知ったのは、和歌山県那智勝浦宇久井半島での海岸から上がった時だった。海岸から岸壁の階段を四苦八苦して登った時、サイレンが聞こえ始めた。遊歩道の整備作業の人に訊ねると、「火事だろう」と言うが、「たぶん」と笑った。互いに笑うから大事とは思わない。でも、ビジターセンターで、東北に地震があり、そのための、津波警報と教えられ、直ぐに、三重県は大津波警報だと教えられた。そして、ビジターセンターは高い場所だから大丈夫と女性職員は笑い、偶然にも、海岸から上がってきた幸運を共に喜んだ。
津波警報は聞いたことがあっても、大津波警報を聞いた覚えはない。ビジターセンターを出て、宇久井半島から町に向かう道路の海岸の見える場所には早くも車の縦列だ。海岸の様子を見ながら国道に出るつもりで、海水浴場のそばの道路に向かうと、進入禁止だ。それにしても、津波警報への対応の早さに驚くばかりだ。海岸を上がり、ビジターセンターに到着する時間と、ビジターセンターで女性職員と話をした時間は、そんな長い事件ではない。その間に、海岸部の道路の進入禁止や堤防のゲイト閉鎖なども行われていた。
国道を走っていても、海岸の見え、安全と思われる場所には、人が集まっている。消防車や道路パトロール車が頻繁にすれ違う。津波警報の和歌山から大津波警報の三重県に入ると、いよいよ津波が間近に迫るような気がした。途中の紀宝バイパスの海を見下ろす場所には、多くの人が群れていた。御浜町の海岸には防波堤工事現場で作業員の慌ただしい片付け風景があった。それでも、家に着くまでは、大地震の実感はなかった。テレビをつけ、被害状況を知り、つまみの映像を見て、大地震再確認した。そして、長いこと連絡もしてなかった尊敬する大先生に安否確認のメールをした。仙台の都市部の高層マンションにお住まいの大先生だから、地心の被害などは無縁とは知りつつ、無意識にメールをしていたといった方が正しい。
テレビ報道では、現在のところ、津波の最高の高さは7メートルと言う。北海道から徳島に至る太平洋側に大津波警報だ。太平洋側のその他の地方は津波警報だ。そして、岩手、宮城、福島と、多くの犠牲者が出ている。そして、東京では帰宅難民の出る可能性もあるという。運転中止の交通機関、運転再開のニュース、でも、運転見合わせの交通機関も多いと、紀南地方の山間部でも、地震の報道はリアルタイムだが、東北地方への電話はつながらず、東京への電話もつながらない。
日本中何処で地震が起きても不思議ではない地震国日本だ。東南海地震の心配されるこの地方も、地震が何時起きても不思議ではない。和歌山県内陸部で小さな地震が頻発して地震の心配だ。心配をしても始らないが、心配しないわけにもいかないような、地震はそうしたものかも知れない。人間の心配など、地震には殆ど無力であり、人間に出来ることは少ない。被害の軽減策ぐらいしかないが、出来ることはやっておくしかない。そして、今回の地震に対しては、
地震の犠牲者がこれ以上増えないことを祈るしかない。政府の迅速な救済対策を願うしかない。自衛隊の出動が速やかに行われ、被災地の人々を失望感から救って欲しいと願うしかない。全ての救済対策に躊躇することなく行われ、法的に問題のあることでも、超法規的な処置で行われ、被災者の救出活動が迅速に行われることを願うしかない。
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最終更新日
2011.03.11 22:22:40
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