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カテゴリ:今日の一言
66回目の終戦記念日、
66回目の広島長崎の原爆記念日に続き、 66回目の終戦記念日がやってきた。 あの忌まわしい戦争が終わってか66回目の夏だ。 あの忌まわしい戦争と言ったところで、 その忌まわしさを知っている人はもう少ない。 忌まわしさの中にひっくくられる戦争の悲劇。 輪郭も色彩もぼやけつつある66回目の終戦記念日。 66年前の歴史となり、遠い昔の出来事になった終戦の日。 しかし、66年を目前にして明らかになった真実がある。 66年目にした初めて公開される極秘資料がある。 66年目にして始めて口を開いた老兵がいる。 66年の歳月が一気に消えて、66年前の今日が蘇る。 父を失った悲しみが、子を失った悲しみが、 恋人を失った悲しみが蘇る日。 しかし、戦争を知らない私の戦争への思いは空想的。 ある種の既成概念が作り出す戦争概念がつくる空想の悲劇。 戦争概念のイメージ線上の残忍無比の出来事。 でも、今年は少し違う。 でも、今年の戦争記念日は、 去年までの記念日とは違う思いになる。 原爆記念日も、終戦記念日も、何時もの年と違い現実的。 東日本大震災の津波の後の光景が戦争的破壊力と重なるから。 福島原発事故が広島、長崎の原爆の被害と重なるから。 日本人だけで3百人以上の人が死んだ、 あの戦争の終戦から66年目の今年は、 その戦争への違ったが日本人のを捉える。 単なる歴史的な事実としての検証的な視点から、 現実的視点へ変わった今年の終戦念日だ。 歴史ではなく、現実としての戦争を考える終戦記念日。 日本人も、そして、敵国の人々も、 兵士も、一般人も、 犠牲になった人々の冥福をただただ祈る終戦紀南日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.15 11:22:20
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