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のろのろ台風12号の暴風域は広く、そののろのろぶりから、紀伊半島は長い間暴風域であった。驚異的な雨量出、雨量記録が幾つも塗り替えられ、紀伊半島中央部から東紀州にかけての多雨地帯は、土砂崩れや川の氾濫で大災害となった。
一般的に私たちが考える表層土砂崩れではなく、深層土砂崩れと呼ばれる山肌を断層ごと深く抉り取るような土砂崩れで、大量の土砂が川に流れ落ち、また、谷が埋められ土砂ダムができた。 紀伊半島中央部の大峰山系から熊野灘に流れる川はこぞって氾濫した。そして、太陽の土砂が運ばれた。氾濫した川の周辺は土砂で埋まった。住宅は土砂に埋まり、畑も田んぼも、そして、空き地も全て土砂で埋まった。 また、大量の流木も運ばれ、その流木が橋を破戒し、ガードレールをひん曲げ、家の壁を突き崩した。東日本大震災の大津波の後の風景が那智川の周辺にあった。日本最大の名爆那智の滝、世界遺産那智大社への道路は寸断され、那智の滝から流れ下る那智川の氾濫は、大津波の後と重なる風景である。 日本有数の降雨地帯紀伊半島、水害には強いといわれた紀伊半島南東部。水害は素の地に起きた。年間雨量の3分の2が3.4日で降った凄さは、NHKのクローズアップ現代でも、「降り止まぬ雨」と表現した。 振り続けた雨が止んだとき、私は不思議な開放感を味わった。まだ、図付近の川の氾濫を知らなかった。開放感に誘われて車を走らせ、やがて大災害を知る事になる。想像をはるかに超えた大災害が、降り止まぬ雨に感じない鈍感さを今更ながら思う。そして、被災した知人の家で見た泥の色は地獄の色かと思った。 家の中 正面に新宮那智勝浦道路 災害復旧は皆の力で。被災地からも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.09.12 13:05:27
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