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カテゴリ:江戸珍臭奇譚
見廻り同心真壁平四朗は「極楽園に疑義あり」という上申書を上司の与力新藤啓之介を通して奉行に提出した。 『岡っ引き傘屋の弥平次が調べたところ、極楽園では、不審な死が多々ある。極楽園では年寄りを監禁同様にして虐待している。最後の楽園などどいって法外な金子を取り、金貸し金造まで使って、庶民から金を巻き上げ、預かった老人はほったらかし、ついには預けたその家族を騙し苦しめている』と、、、、、上申書をだせば、幕府も極楽園を調べるだろう。お絹をどうするかはそれからきめればいい、と考えた末のことだった。 だが、上申書を読んだ時の老中首座、水野忠邦は、にんまりと含み笑いをこぼした。なるほど、松永信濃の守義道め、苦し紛れとはいえ、旨いところへ眼をつけやがったな。 飯森藩のこの仕組み理に適っておる。今、重要なのは幕府の財政を立て直すことである。子供も産めない老婆や田畑を耕すことのできぬ年寄りになんの意味があろう、そういう年寄りを始末できなければ、藩の財政は浮かばれない。百姓にしても邪魔な足手まといがなくなれば、米の収穫も上がるというもの。 これは、藩を潰す改易より良い方法かもしれぬ。全国の藩に養老施設を作らせ、老人を一か所に集める。生かさすも殺すも、各藩の財政状況次第だ。 さすれば、各藩の財政は健全化に向かい、上納金も増やせるというもの。庶民はそういう施設があれば、死を待つだけの親に苦しめられることもなく、気が咎めることもあるまい。 これからの幕府を支えるのは子供だ。老人よりは子供に力を注ぐ。冷たいようだが、それでよいのだ。人間と云うものいつかは死ぬ、死を間近にしたものが、生きている者やこれから産まれてくる者を犠牲にしてはならぬ。 理にかなった施策じゃ、いつか、そのうち、世の中は、子が犠牲になって親の面倒を見る愚かしさを知り、老人を施設に預けて自分が幸せになろうとする時代がくることだろう。 だが、この案は老中首座、水野忠邦の力を持ってしても幕閣の賛意を得られず、実を結ぶことはなかった。徳川家慶は、父の家斉が隠居してからも大御所として君臨し、政治に口出ししてきたことを恨んだこともあったが、今の自分があるのも徳川家という家系があったればこそであることをよく解っていた。 江戸幕府の祖、神君徳川家康を東照大権現様と崇め、日光東照宮へ参拝するのもそのためであった。老人を粗末にしてはならない。親は子を産み育て。子は親の面倒を見る。ごく当たり前のことよ、親を捨てるなどという風潮が蔓延すれば、徳川幕府も危険だ。 五代将軍綱吉様の時代には、捨て子、捨て老人、捨て牛馬を禁ずというお触れがあった。子犬を捨てたって、江戸引き回しの上斬首、獄門だったのだ。親を捨てるなどと云うことは言語道断だ。 十二代将軍徳川家慶は各藩に姥捨山があるかどうか早急に探索するよう、隠密同心に申し付けた。その上で、姥捨て山禁止の触れを出した。信濃の国飯森藩にも当然のごとく、幕府隠密は潜入していた。 (つづく) 作: 朽木一空 ※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。 またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.14 22:12:57
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