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2015.10.10
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カテゴリ:江戸珍臭奇譚 
大夕焼け.jpg

いよっ!さすがは遠山の金さんの巻

「地虫の熊五郎一味、遠島を申し付ける、ひったてえ!」
 遠山の金四郎こと、北町奉行遠山左衛門尉影元の裁定に評定所にはどよめきがおこった。
 本所の悪と呼ばれていた、地虫の熊五郎は、旗本の次男坊である鬼瓦の早乙女重四郎を切り捨てた男である。評定所にいた誰もが、打ち首獄門の刑に処されると思っていたからだ。
 耳から顎まで髭に覆われて、頬に刀傷のある厳つい顔の熊五郎でさえ獄門の露となって消えるのを覚悟していた。だが、この裁定に江戸の庶民は拍手喝采を送り、瓦版が町に舞った。
「やったっやった、やったの助だよ、さすがは江戸っ子奉行の遠山の金さん、お江戸の政事(まつりごと)も腐っちゃいねえ、これで胸のつかえがとれて、すかっとしたぜ!」
 というのも、早乙女角二郎という男は鬼瓦のような面相をした強面の旗本の次男坊で、同じ境遇の旗本や御家人の次男三男坊と徒党を組んでは本所深川の町で悪さを繰り返していた鼻持ちならない男だったのである。旗本や御家人の次男三男坊は、長男が死ぬのを待って、家督を継ぐか、他の旗本に養子にでもいかなければ、一生兄一家の世話にならなければならない、冷や飯食いの厄介者で、大概は心は鬱屈し、世を拗ねて、腐っていた。
 早乙女角二郎も同様で、部屋住みの身で、家では厄介者、兄は千石の直参の大身旗本であったが、その台所事情は厳しく、あちこちの商人に借金をして遣り繰りしていた。角二郎は兄に小遣いをせびるのも気が引けた。
「ちくしょう、なにか面白えことはねえのか!」悪仲間とつるみ、鬼瓦組と名乗り、鬼の面をつけ、抜き身の刀を振り回し、そこのけそこのけ鬼瓦組の角二郎様のお通りだいとばかりに、我が物顔で町を闊歩していた。
 気に食わない者は蹴飛ばす殴る切りつける、小遣い稼ぎに、やりたい放題の無頼を繰り返しては鬱憤を晴らしていた。屋台の店に始まり、蕎麦屋、居酒屋、料理茶屋、岡場所、矢場、被害にあった店は数知れない。
 鬼瓦組の早乙女角二郎味が来たというだけで、店を壊されてはたまらない、大抵の店の主人はそっと紙に包んで銭を渡した。逆らった岡場所では三日三晩遊び続け、最後にはこの店の酒は水で薄めてある、遊女の態度が悪く、武士を侮辱していると、難癖をつけ、無銭飲食、無銭売春をして、大手を振って帰るという始末である。
 遠山影元も金四郎という名のごとく四男で、若い頃には、本所深川で放蕩に明け暮れた時期もあり、早乙女角二郎の気持ちもわからぬではなかったが、遊びと悪とは違う、町民を泣かすことはしねえ、似て非なるものだった。奉行所には店の主人や町名主からも、何とか取り締まれないのかと、苦情がきていて、北町奉行遠山左衛門尉影元もなんとかせねば、江戸の風紀が乱れるばかりだと気を揉んでいた。配下の同心があまりの乱暴狼藉に諌めたこともあったが、
「同心ごとき、不浄役人は黙っておれ!」と、一喝される始末。
 町同心が取り締まることができたのは、百姓町民それに無宿者、旗本御家人以下の武士だけでである。まして、早乙女角二郎の家は南町奉行鳥居耀蔵の遠縁にもあたる直参旗本の名家であった。とても手出しはできなかった。遠山影元は早乙女角二郎のあまりの乱暴ぶりに、若年寄りや、南町奉行の鳥居耀蔵にも、苦言を呈したが、けんもほろろにいなされた。

 その鬼瓦組の早乙女角二郎が地虫の熊五郎にばっさりと、叩っ切られた。早乙女角二郎が熊五郎の子分の石松の娘おきみが働いていた、深川猿江町の『ますや』という、料理屋でいつもの馬鹿騒ぎをした挙句、あろうことかまだ年端もいかない十三のおきみを手籠めにしようとし、それを止めよとうした、おかみのお蝶を蹴飛ばし、なお襲いかかるのを、居合わせた石松がもめた末、早乙女角二郎の抜いた刀が逆に角二郎の腹に刺さったというのが真相だ。
 瓦版屋が、常日頃の恨みを晴らすかのように「さあさあ、てえへんだ~!てえへんだ~!」と、面白おかしく脚色して、熊五郎が鬼瓦の角二郎を叩き切ったという絵草紙を江戸中にばら撒いたものだから、熊五郎が角二郎を叩き切ったという顛末になってしまった。
 だが、そこは子分思いの熊五郎、子分の不始末は自分の不始末ということで、自身番に自ら早乙女角二郎を切ったと申し出た。地虫の熊五郎も本所の悪として名を売られた、やくざには違いなかったが、賭博や用心棒などをしていて、素人には手は出さなかった。悪ではあっても良いところもあり、子分を大事にする男ぷりで、義理と人情に篤い男だった。
 北町奉行遠山左衛門尉影元にしてみれば、地虫の熊五郎が鬼瓦の早乙女角二郎を切ってくれたことに内心ほくそ笑んだ。岡っ引きに調べさせ、悪いのは早乙女角二郎のほうで、しかも、切ったのは、子分の石松であったこともわかっていた。
「これで江戸の町も少しは物騒じゃなくなるだろうぜぃ」
 遠山影元は地虫の熊五郎に感謝したい心持であったが、それをおくびにも出さず、厳しい表情で、地虫の熊五郎一家に遠島を申し付けた。
 この裁定に南町奉行の鳥居耀蔵は筆頭老中水野忠邦にに異議を申し立てたが、遠山びいきの徳川家慶将軍は「よいよい」と、にんまり笑い、評定は覆されることなく却下された。鳥居耀蔵は地団駄を踏んで、悔しがった。
 鳥居耀蔵は前任者の矢部駿河守定謙を陰謀の罠に嵌め、足を引っ張り、追い落として、その後釜に座ろうとして、筆頭老中の水野忠邦に懇願し、南町奉行の職を手に入れた男だ。したがって、鳥居耀蔵にしてみれば、なにがなんでも水野忠邦の天保の改革を推し進めなければならない義理があった。
 だが、北町奉行の遠山影元は庶民いじめの改革推進には甘かった。改革に異議を唱えているかのような遅鈍であった。だが、将軍徳川家慶は遠山の人情裁定を評価しており、それが、鳥居耀蔵にとっては我慢のならないことであった。
 遠山など、高々500石の弱小旗本の出である、それに比べれば自分は7500石の大旗本でり、昌平坂学問所の大学頭(だいがくのかみ)の林述斎という父を持つ由緒ある家柄である。それなのに、同格扱いにされ、江戸市民に人気があるのは許しがたいことだった。
 いつか、必ず、遠山を追い落としてやる。鳥居耀蔵の心の中には常に遠山影元を追い落とす魂胆が渦めいていた
「遠山はずるい男だ、庶民の人気取りばかりしおって」そこが、今回の熊五郎の裁定にもでていた。
 まして、切られた早乙女角二郎の家は鳥居耀蔵の縁戚に当たる家である。少なからずその恥は鳥居耀蔵にも降りかかった。この事件でも遠山の金さんだけが江戸の人気者になってしまったのである。北町奉行遠山影元と南町奉行鳥居耀蔵の確執はその後もずっと続くことになる。

(つづく)

作:朽木 一空

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最終更新日  2015.10.10 17:02:43
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