浅草花川戸町 七軒店
老忍、礫の退四朗の巻 5
捨てる神あれば拾う神あり、
渡る世間に鬼はなし、とはよく言うが、
拾ってくれた神様の腹をつついてみたら、
悪の虫が蠢いていたんじゃ、、、
それでも、、、鬼じゃなくて神様ですかねえ、
「ないないない、金もなければ、女房もいない、どこが、天下泰平だ、ああ、面白くねえ、町人以下、百姓以下の身分の武士だ!」
徳川家の家来である、旗本、御家人の次男坊、三男坊は養子の口でもなければ、家督を継いだ兄から貰うわずかな小遣いだけで毎日を暮らす惨めな部屋住みの身分でる。すべきこともなく、自分の存在も示せず、明日という日に希望を持てず、不満と、鬱憤を溜め、吐き出すことができずに悶々として暮らしていた。
武士でありながら、武家社会からはみ出た、いわば武家社会の身分制度の犠牲者でもあった。虐げられた無職者(ぶしょくもの)の行き場のない若い者の捌け口は、酒、女、博打、等の悪所だけでは発散しきれずに、旗本奴という傾奇者の不良集団を作り、江戸の町民にも牙をむき、暴れた。 またそこで、世間から嫌われ者になり、排除され、益々反発し、凶暴、狂暴になっていった。底なし沼の沼底を這いずりもがく、溺れ犬の有様であった。
赤田家の次男坊、背が六尺を超える大男の赤田左膳はその愚連隊の頭目であり、旗本奴とよばれ、江戸の庶民から蛇のように恐れられ、嫌悪されていた。
女物の継ぎはぎした着物を重ね着した者、獣の皮を腰に巻いた者、立髪大髭の者、常識外れの突飛で派手な身なりをした半端者を従え、蕎麦に虫が入っていた、酒を水で薄めたななどと、、いちゃんもんをつけて飲食代を踏み倒し、武士の面子を潰したと、岡場所の女にはタダ乗りし、気に食わなければ、因縁をふっかけて商店から金品を強請り、奪う、やりたい放題、狼藉三昧の集団であった。
それでも旗本の身分なので同心も岡っ引きも手を出せない。「不浄役人めが!!」で、一括される。世間の決まり事など糞食らえ、武士の秩序も糞くらえ、糞食らえ、糞食らえ節を唸り、怒鳴り、不満鬱積の顔で町を闊歩する。
その赤田左膳に兄の赤田右膳から、呼び出しがきた。しぶしぶ八丁堀の同心屋敷に一月ぶりに帰ってきた。700石の旗本、赤田家の兄の右膳は南町奉行鳥居耀蔵配下の見廻り同心だった。
その赤田右膳の弟の左膳が傾奇者で、江戸の町のあちこちで諍いをおこしていては、当然のことながら、兄の右膳は奉行所内でも肩身が狭く、同心としての面目も立たず危惧していた。左膳は覚悟を決めて、同心屋敷の敷居を跨いでいた。
また、矢のように飛んでくる、小言、叱りの言葉を、耳を塞いで聞かねばならぬのだろうか?それとも、とうとう、弟を捕縛して、入牢させ、遠島にでもするつもりなのだろうか?
「それもしかたなかろう、悪さの果ての宿命だ。所詮、江戸に俺の居場所などありやしねえ、生きてく、場所も価値も、認められない、部屋住みの厄介者なのだ。どうなろうとかまいやしねえや」
覚悟はしていた。散々兄者に迷惑もかけた。兄嫁の紗枝殿は左膳の顔を見るのも嫌だったろう。
下城したばかりなのか、兄の赤田右膳は黒巻羽織の同心の服装のままで対座した。左膳をきっと睨むと、ぶっきらぼうに話しかけてきた。
「左膳、お前の乱暴狼藉のお陰で、儂までお役御免になるところだったのだ。だが、よいか、お前にはついに、八丈島送りという裁定が奉行の鳥居様より下されたのだ」左膳も覚悟はしていたが、いざとなると、不安で足に震えがき、唾を飲み込んだ。
「左膳、八丈への島送りの者で、帰れた者など無きに等しいのだ。島抜けした奴は荒波に砕かれ溺れ死に、島に残った者も大概は野垂れ死にだ。残念だが因果応報というやつじゃの、、」
「兄者、兄者の力で何とかならぬのか、鳥居様に取り入ってはもらえぬのか」
「うむっ、そこでだ、左膳、助かる道が一つだけある」
「兄者、なんでもする、八丈島送りだけは勘弁してくれ」
「よいか、いま、江戸では老中首座の水野忠邦様が、風紀取り締まり、質素倹約、奢侈禁止、など綱紀粛正の天保の改革を進めているのは左膳も知っておろう」
「天下の悪法ですね、おかげで江戸の町では閑々鳥がないてますよ、江戸っ子は怒ってますよ」
「黙れい!この天保の改革は幕府財政の立て直し、生活の規律を正し、身分制度を守り、しいては、徳川幕府、武士の世の中を安泰にするための、施策なのだ。このまま放っておけば、商人は図に乗り、武士は商人に頭が上がらなくなり、百姓は村を捨て、無宿者が溢れ、世は乱れ、やがて徳川幕府は立ちいかなくなるのだ、わかるか、、、老中水野様の懐刀の南町奉行の鳥居耀蔵様が、先頭に立ってご改革の旗振り役で頑張っておられるのだが、北町奉行の遠山影元様などは、何を考えているのか、改革に真剣に取り組んでおらぬのだ。わしら見廻り同心も江戸八百八町を取り締まっているのだが、何しろ手が足りんのだ。とくに、悪所には手が回らぬ。賭場、岡場所、出会い茶屋、やくざが絡む場所には与力同心もなかなか手を出せぬ、そこを、見廻ってもらいたいのだ。風紀取り締まりに力を貸せ、というのが鳥居様のお考えだ。」
「うむぅ、、あの鳥居耀蔵様のねえ、、、、、」
「何を悩んである、お前が、八丈の島送りにならぬためには、鳥居様の手足となって働くことしか道はないのだ。わかったか、とにかく、明日、下谷の鳥居様のお屋敷に出向け!鳥居様直々にお会いになるそうじゃ、よいな」
犯罪人の罰の免除と引き換えに、奉行所の密偵や影の手下となって働くという噂は聞いていたが、まさか、自分がそうなろうとは思ってもいなかった。島送りになって死に果てるか、江戸の庶民に妖怪と呼ばれている鳥居耀蔵の影の手下になるか、、、、左膳にはどちらの道も棘の道のように思えた。捨てる神あれば拾う神あり、その神様が妖怪とはね、、、
(つづく)
作:朽木一空
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