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カテゴリ:昭和歌謡ラプソディー
~恋というものは 不思議なものなんだ~ その通り、布施明さんが歌うとおりよ、逢っているときは なんともないが さよならすると 涙がこぼれちゃう。 逢うたびに うれしくて 逢えば 又せつなくて 逢えなけりゃ 悲しくて 逢わずに いられない それというのも 君のためだよ 僕のこの胸も 恋にふるえてる 僕は君だけを 愛し続けたい (布施明 恋) まあ誰でもだ一度は経験して見て、嘘だってことがわかるのよね、どうして私のような見栄えの悪い女に男のひとが惚れたのか、それが理解できないのよ。頭もよくない、金もない、話も面白くない、優しくもない それでも、 「みつこさんが好きです」と、真顔でいうあの人がいたのです。だから、恋は盲目という、恋は病(やまい)だという、恋は迷い道だという、恋心は騙され心、嘘心だという。 いったい私の様な女のどこに魅力があるというのか、錯覚にしてもひどすぎるのです。持てないあの人は美人を追うのを諦めてみたが、一度は恋というものをしてみたかっただけなのかしら、恋をしてみたかっただけなので、相手は誰でもよかったのかもしれない、あの人は、恋するという経験をしてみたかっただけなんだ、その相手がたまたまわたしだったんだわ、でも、あの人は恋なんてしていなかった。 そもそも恋なんてものはこの世にありゃしなかったのだ。あったのは恋という幻、妄想.幻影、迷妄.、迷夢. 幻覚、幻象、虚像、空想.、幻想.、夢想だったのだ。みんな、恋が嘘っぱちだってことは知っていて遊んでいたんだわ。 恋という病、恋という騙し屋、恋という夢芝居に浸ってみたかったんだわ。恋ははしかのような病で、誰でも一度は罹る。誰でもかかりたくなる病だから厄介だ、そして失恋という甘い儚い花のような悲しみも味わってみたかったのだ。 それをしないと青春がなかったみたいな淋しさに包まれてしまうから、なんだ、恋は自分で自分の心をおちゃらかす病だったんだ。でも、恋の病に負けて死んでしまう人だっているから気を着けなきゃ、病に気が付くのが早いか遅いか、三十歳か五十歳か七十歳か、どっちみち夏の日のかき氷なんだから、やがては溶けて消えてしまうものなのだ。 夏の扉を開けたが青春とのお別れになるんだわ。そうよ、永遠に続く恋なんない、儚いからこそ恋なんだ、燃え尽きるから恋なんだ、ねえ、どうして私なんかに惚れたっていうのよ、自分の恋の病は自分の中にしまっておいて頂戴、あたし、凄く迷惑してるんだから ~恋は神代の昔から~なんて歌もありましたよね、 恋をしましょう 恋をして 浮いた浮いたで 暮らしましょう 熱い涙も 流しましょう 昔の人は 云いました 恋ははするほど 艶が出る 恋は死ななきゃ なおらない (畠山みどり 恋は神代の昔から) 作:深田みつ子 下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.21 15:07:17
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