施設内での虐待について
日記に書こうとして下書きしていて途中だったものをupします。(21日/記)17日の北海道新聞のHPに老人ホーム側「虐待なかった」札幌という記事がある。今朝の朝刊では、これに関連して、告発した職員に対して施設側や仲間達からの圧力があり、とても居辛い状況になっているということが報じられている。その記事を読んで、「さもありなん」と思った。施設内での職員による入所者への虐待(に近いこと)は、結構多い。というよりは、多かれ少なかれあるのではないかとすら思う。私の祖母が老人施設や病院にお世話になっている時も、施設職員の暴言に近い言葉、心無い言葉を、何度も見聞きしている。しかし、本人はもとより家族も、その人の更なる報復を恐れて、それを指摘することはまずできない。また、心ある職員が見かねて上司にそれを指摘したりしたなら、職場内いじめが発生することも目に見えている。かくして、施設内での虐待は見逃されて、あたりまえの光景として化していくのだ。以前、施設に出入りするボランティアが、家族の愚痴を聞いてそのようなことを施設長に指摘したことがあった。個人攻撃になったら困るし、職員全体の資質向上を願ってのことだったので、個人名は伏せたそうだ。ところが結局は、職員はもとより入所者や家族を含めての「犯人探し」のようになり、施設内部を疑心案偽の渦に巻き込み、本質に迫る解決には至らなかったようだ。一時的には特定の職員は少しおとなしくなったようだが、時間の経過と共に元の木阿弥。その経緯を見聞きしていて、結局は「事なかれ主義」が強化されてしまったような虚しさを感じた。人間社会は、ほおっておくと必ず、強いものはどんどん強く、弱いものはいよいよ弱くなってゆく傾向がある。だから、それを防止するためのシステムや、チェックする仕事を位置づけなくてはならないのに、システムがあっても機能しないことが多い。弱い立場のものは結束力で仲間と助け合って、強いものの理不尽に立ち向かうしかないのに、なぜか仲間同士の足の引っ張りあいも多い。そのようなことを見聞きすると、本当に悲しく情けなくなる。虐げられたもの、いつも我慢を強いられているものは、ストレスや怒りを内部にためこんでゆく。それが限界点に達して暴発した時、何も気付かなかったような顔をして、「本人の資質に問題が・・」などと言う人は、それで強者の側に立ったと安心しているのだろうか。ともあれ、施設職員による入所者への虐待は、決して許されることではない。誰もが虐待される立場になりうるのだということを心に問いかけながら、この問題を考えて欲しいと思う。