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カテゴリ:みつめるもの
1111 でした そうか~やっぱり、テーマは扉。それもふたつ。 そう心に留めて飛行機に乗り込みました。 そう、扉はあるのだ。ふっとしたところに・・・つらつらと散文長にて「扉」について。 8年前、高校以来やめていた絵を20年ぶりに再開して、最初は人や書籍や音楽等々色々なものからインスピレーションをもらいました。特にデビューしたての宇多田ヒカルの声の響きは素晴しく、デビューアルバムは間違いなく千回以上繰り返し聴き込みました。そして絵を1枚描きました。そのまんま「first love」 そして、同じ頃に強く魅了されていたのが スティーブン・キング作「ダーク・タワー」でした。 主人公のガンスリンガーであるローランドが、ある目的のために荒野を旅して暗黒の塔に至る壮大な物語です。 それはつい3年ほど前に完結しましたが、キングが34年かけて紡いだ物語を、私はついに昨日の節分に読み終えたのでした万歳(現在行方不明ですが「暗黒の塔~ローランドと赤い薔薇~」というタイトルの油絵も描きました。イメージが毎夜、夢に出てくるくらいに鮮烈でした) その物語では、「扉」がキー。要所要所に「扉」があり、次元を、時空を越えて登場人物達が命を賭して様々な状況を乗り越えていきます・・・ その扉の生きたイメージが私の中にあります。 そしてもうひとつは、漫画のナウシカの話です。 世界の破滅の流れを止めることが出来ず絶望したナウシカが、死んで森となるオウムの群れと共に自らも死を選んだ後に、再び現世に戻ってくるシーンがあります。 それは、ナウシカの夢の中とも、別次元とも言える場所でのナウシカの内なる虚無や闇との戦いと統合を超えての再生の場面です。彼女は暗い森を虚無と共に歩きつづけ、そして暗い森を越えて、現実に帰還します。 森をその道とし、境界とし、その「扉」として・・・現実と内なる世界との狭間に立つものとして。 そう。きっと、そういうことなのだと。 森は扉を隠している。ここでは本物の森も、夢やイメージの中の森も、作られた森も・・・すべて「森」という本体とつながっているような気がします。 そう、聖地を歩いていてふっと、あぁここ開いてる・・・と感じることがあります。光が満ち、風が清々しく吹き、とっても静かな空間です。意外と小さい。 たとえば三輪山山中や、貴船神社の近くの岸辺。明治神宮の森や、宮古島のガジュマルの木の影やそこここで・・・あぁきれいだなぁと、かすかにキラキラ光る粒子のようなものをみつめます。この世のものとも思えない光景です。(長くはなく、場所はいつも移動しているような気がします) 屋久島の森。 たくさんの観光客用に整備された遊歩道でも、いささかもその気は失われていません。ましてや、深く分け入ると森の中全部が異次元のような気配もありました。 こんな扉。 こんな場所。 こんな向こう側。 デジカメ下手で、かなり手がぶれていますが雰囲気を感じてくださるとありがたいです 扉はどこへ通じるか・・・おそらくは、自分の魂の望むところへ。 一番トップの写真は、濃く深い緑と水の気配に満ちた森の中にあった、一輪の椿の赤です。 それはまるで、モノクロの画像の中に一点だけ浮き上がった生きたもののようで、その花びらの中にこそ、本当の扉が隠れているような、そんな妄想も浮かびました。 扉から、私はどこへ導かれたのか・・・立春の日に。私は今、軽い酔っぱらいのようです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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