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カテゴリ:瑠璃光記
最近、新しい筋肉を使っています。 事を起こす時に、または暮らしていく中で、無理しない、無理を意識して、極力無理しなくなって、ずいぶん楽になってきて最近思うのは、「無理しないこと」と「楽にあること」は、まったく違うことなんだなぁ・・と。 無理して当然、無理しないと自分はどんどん怠けてしまうので、ちょっと負荷をかけた方が自分は成長できると、若い頃に思い込みの暗示がかかっていたのかもしれません。 体調を崩した時に 「無理はしないように」と人にいわれて初めて、「自分は無理をしてやっと普通。無理しないといけない」と思い込んでいたことに気がついてビックリでした。 自虐的、自己評価が低いなんてもんじゃない。 そうやって、追い込んでやってきた経過もあるので、ある意味牽引の原動力にはなっていたのかもしれませんが。 でも、もうやめました。 だって、身体がついてかないそうやって自分を叱咤激励して来たつもりでしたが、もう違う方法がいい。いやはやよくやって来ました。まぁ可愛い奴です自分。 だから、今まで使っていなかった、回路を開いているような日々。 苦手だった、淡々と同じ事を繰り返すこと、淡々とその場を守り、維持する単純作業。 単純と言いながら、実は丁寧にみていくとちっとも単純でもなければ、同じことでもないのですが。 そんなことに気がつかされながら、実は意外に楽しいです。 鉱脈を掘り進んでいるかのよう。 掘り起こしているのは、自分の内なる世界でもあり。 だから、新しい回路が開いて行く最中なので、日々、筋肉痛の連続です。 しかし、とても 「楽」です。 生きるって面白いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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