まずタイトルが気に入りました。
そして時代モノっぽいのを感じさせる表紙絵もなかなか。
閻魔大王の代理人
高橋由太
閻魔大王の代理人 幻冬舎文庫
高橋由太
まず読んでみて感じたのは
主人公・蓬莱一馬が阿呆すぎるってことでした。
読んでてイラッとすることが何度も。
そして
「なんだか他で読んだような気がする...」
ってデジャビュ(既視感)的な感覚もありました。
とういうかすぐに思い出したのが 十二国記 でした。
緋色の瞳を持って生まれた一馬が異界に連れて行かれ、そこが等活地獄だったんですけど、実は一馬は等活地獄の王で迎えに来たのが金髪イケメンの金色(コンジキ)で正体は獣(野干)。
王が不在だと世界は闇に閉ざされ民は困窮する。
一馬の行動がどうにも自分勝手というか破れかぶれというか
「主人公としてどうなんだコレは?」
って最初から最後まで思ってました。
一番アジのあったキャラは貂蝉(チョウセン)でした。
名前で気付いたかもしれないですけど、あの三国志演義に登場する有名な女性です。
名前だけなら呂布も登場しました。
あといろんな作品で悪女ぶりを披露している妲己も登場。
最初はケモミミ娘で語尾に「ニャン」がついてましたでした。
それが最後のほうになると語尾が「だっちゃ」に...
ファンタジー的に面白いキャラなんですけどね~妲己って。
酒池肉林の語源で白面金毛九尾の狐で超悪女。
これで内容がもっと面白く濃かったら最高だったのにな~と感じましたが、これは続編が出ても買うかどうかはかなり微妙です。発売したらとりあえず立ち読みしてから検討します。
あと一応、野干・貂蝉・妲己 の簡単な説明も。
野干(やかん)とは漢訳仏典に登場する野獣。狡猾な獣として描かれる。中国では狐に似た正体不明の獣とされるが、日本では狐の異名として用いられることが多い。
唐の『本草拾遺』によると、「仏経に野干あり。これは悪獣にして、青黄色で狗(いぬ)に似て、人を食らい、よく木に登る。」といわれ、宋の『翻訳名義集』では、「狐に似て、より形は小さく、群行・夜鳴すること狼の如し。」とされる。
他の中国文献でも、「形小さく、尾は大なり。よく木に登る。狐は形大なり。」、「胡犬なり。狐に似て黒く、よく虎豹を食らい、猟人これを恐れる。」などと説明される。
(Wikipediaより抜粋)
貂蝉(ちょうせん)は、小説『三国志演義』に登場する架空の女性。実在の人物ではないが楊貴妃・西施・王昭君と並び、古代中国四大美人の一人に数えられる。
『三国志演義』第八回から登場。幼少時に市で売られていた孤児で、王允が引き取り、実の娘のように諸芸を学ばせて育てられた。朝廷を牛耳り、洛陽から長安に遷都するなど、暴虐の限りを尽くす董卓を見かねた王允が、董卓誅殺を行う為に当時16歳とされる養女・貂蝉を使い、董卓の養子の呂布と仲違いさせる計画を立てた。
王允はまず呂布に貂蝉を謁見させ、その美貌に惚れさせる。次に呂布とは別に貂蝉を董卓に謁見させ、董卓に貂蝉を渡してしまう。怒った呂布が王允に詰問すると、「董卓には逆らえない」と言い繕い、その場を円く納めた。その後、呂布と貂蝉が度々密会し、貂蝉が呂布のもとにいたいという意思表示をする。2人が密会していることに董卓はいったん怒ったが、腹臣の李儒の進言により貂蝉を呂布の元に送るように言う。だが、一方で貂蝉は董卓にも「乱暴者の呂布の元には行きたくない」と泣きつき、董卓の下を動こうとしない。それに怒った呂布が王允と結託し、董卓を殺害した。2人の間に貂蝉を置き(美人計)、貂蝉を巡る両者の感情を利用し2人の関係に弱点を作り、そこを突く(離間計)、これが「美女連環の計」である(「連環の計」は二つあり、赤壁の戦いにおいても、船同士を環(鎖)を連ねて動けなくするという、文字通りの計略が見られ、それと区別するため「美女連環の計」と言う)。
董卓亡き後の貂蝉は呂布の妾となったが子ができなかった。(第十六回)下邳の攻防戦では、陳宮に掎角の勢を進言されこれに従い出陣しようとした呂布を正妻の厳氏ともに引き止めている。下邳陥落後の貂蝉については記述がない。
(Wikipediaより抜粋)
妲己(だっき)は、殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)の帝辛(紂王)の妃。帝辛に寵愛され、末喜などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。
本となる『史記』「殷本紀」では、帝辛に寵愛され、妲己のいうことなら、帝辛は何でも聞いたという。師涓に新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作らせた。賦税を厚くして鹿台に銭をたくわえ、鉅橋に粟を満たし、狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした。沙丘の苑台を拡張して、野獣蜚鳥をその中に置いた。鬼神をあなどり、沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた。酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし(酒池肉林)、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした。
その後、妲己は周によって攻められた際に武王により殺されたとされる。また『国語』では、帝辛が有蘇氏を討った際に有蘇氏が献上したのが妲己であり、己が姓、妲は字であるとしている(この頃女性は字を先に、姓を後に書く風習があった)。妲己を字と見なすのは後世の誤解である。
『列女伝』巻7孽嬖傳 殷紂妲己では、炮烙の法を見て妲己が笑ったとされている。比干が「先王の典法をおさめずに、婦人の言を用いていれば、禍のいたる日も近いでしょう」と諫めた。すると、妲己は「聖人の心臓に七つの穴があると私は聞いております」と答え、比干の心臓を取り出させて観賞した。紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、小白旗に掛けられた。「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評論された。
『漢書』外戚列伝の顔師古注には、「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。その言を帝辛が用いて民を苦しめた」とある。
(Wikipediaより抜粋)