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カテゴリ:本棚から
『昭和16年夏の敗戦』 猪瀬直樹著を注文した。総力戦研究所 をテーマにした本。
総力戦研究所は、
最近は、昭和前半期閣議決定等 みたいのもインターネットから簡単に参照できるようになっているのね。どういう経緯で、閣議決定に至ったか、肉を盛りつけていくとおもしろい読み物になるのだろうな。公的な記録を再構成して、歴史を語り直す。 そういや、WikiLeaks が cablegate を発端に締め出しがすごいことになっている。Amazon から閉めだされ、PayPal からも閉めだされて資金調達を制限され、DNSからも閉めだされ FQDN でアクセスできないやの世界になって、世界各国の政府を敵にまわすと、こういうことになるのだなぁ。インターポールからも指名手配だし。 ネット上での動きについては、NetCraft を見るとおもしろいかもね。
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何事につけても新しがり屋の日本人が、時代遅れの精神生活を送っているのはどうしたわけか。
日本人には、意思がない。だが、恣意がある。 だから、意思を恣意と間違って解釈することになる。 すると、以下のようなことが起こる。 西洋文化の輸入も、意思がなければ支障をきたす。 意思の自由は考えられるが、恣意の自由は考えられない。 恣意の自由は、<自由のはき違え> となり、自由主義の普及も難しい。 意思は自由主義・個人主義の友人であり、恣意は利己主義は不自由主義の友人である。 不自由を常と思えば不足なしか。 政治指導者の意思決定はなく、その恣意決定は受け入れない。 意思の表明は成り立つが、恣意の表明は成り立たない。 日本人の声明発表はうつろに響く。その形式的な声明には、実行の意思がないからである。 そして、きれい事というか、空理空論には現実対応策が欠落している。ああ、むなしい。 意思があれば、罪もある。 殺意があれば、殺人罪である。 殺意がなければ、たとえ人は死んでも、死刑執行人は罪に問われることはない。 (2010.12.06 07:07:02) |