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再出発日記

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カテゴリ未分類

2021年09月04日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
見ようによっては、とても怖い写真。







最終更新日  2021年09月04日 13時58分19秒
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2021年08月14日
カテゴリ:カテゴリ未分類


「ごはんを残したら、一生懸命に作ったお百姓さんに申し訳ないのよ」
こう言われて育った私は、今まで好き嫌いや食欲無くて、食事を途中まで食べて残したことは数えるぐらいにしかない(もしかして病気を除くと一度も無い)。
食事を残さないことを信条にしていたので、当然好き嫌いは無くさないと実現できない。よって、私には好き嫌いはない。そもそも「ヌタ」等の苦手な食べ物は最初から近づかないようにしていた(今は好物です)。

母親は身体が弱く、子供たちには健康に育ってほしいと強く願っていたので、何はともあれたくさん食べさせるという教育方針を貫いたようだ。お陰で、子供は悉く肥満気味になった。一長一短ではある。

これが「せっかくあなたのために買ったのに、勿体ないから食べなさい」と言われていたならば、「親のいないところでは残して良いんだ」「お金を自分で使うことができたなら残して良いんだ」とか逃げ道を発見したかもしれない。

「お百姓さんに申し訳ない」という言葉は逃げようがない。しかも、うちは兼業農家だったのでイメージも明確で説得力があった。しかも、高校生の時に観た「七人の侍」で、左卜全が用心棒獲得のためになけなしの米を侍のために用意していて、それが溢れた時に一粒一粒拾っていた場面を観て、最初の鑑賞後はこの場面が1番心に残ったほどに頭の中に刷り込まれてしまった。大人になっても、これは私の信条になり、悪いことにバイキングでも、職場の賄いでも、「残してはいけない」信条が発動してしまい、生活習慣病は私を困らせている。

こういう「教え」は、現代で一般的にはしていないようだ。(喩えが悪いが)不登校が当たり前のように、「残す」ことも認められているようだ。
果してそれは正しいのだろうか。
私は「無理してでも食べる習慣」は、つけるべきだと思うのである。






最終更新日  2021年08月14日 10時50分35秒
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2021年08月01日
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柔道週間が終わった。
日本柔道に5個の金メダルをもたらし、混合団体では銀メダルを獲得した。絶対視されていた団体で金を取れなかったのは、柔道の神さまが慢心を諌めたからかもしれない。技での決着を重視する今回のルール改正は、いずれにしてもこれからのしばらくは日本に柔道黄金時代をもたらすだろうと、私は思う。

私は、この前夢を見た。
マンガ原作になりそうな内容だった。
誰か描いてくれないかな。


大野がゆきずりに不良に絡まれている少年を助けようとする。助けたつもりが刺されて仕舞い、そのまま死亡。大野は金メダリスト大野だった。少年は、公に私に、「コイツのせいで日本の宝がなくなった」と言われる。

少年は柔道部に入る。目標は初めから、大野が目指すはずだったオリンピック三連覇である。しかし、体格も、才能もない少年が選んだのは、やればやるだけ強くなる寝技オンリーの柔道だった。監督は、少年の覚悟を見抜き、寝技に特化したメニューを組む。

やがて一年後、少年は寝技だけで中学生日本一になるが、どんなに勝っても決して笑わないのが評判になる。マスコミは手のひら返しで特集するが、少年は無視するし、知人は少年の人生がなくなるのではないか?と心配するが、大野のライバルだった笹野だけは目にかける。この試練が、いつか少年を武の道に導く。それは10年後になるかもしれないが、きっとなる、と。

やがてインターハイを優勝して、全日本で勝ち進む高校生になった少年は研究されて、寝技を避ける方法、寝技に持ち込む立ち技を返される方法を作られて失速する。しかし、それをもう克服して、やがてオリンピックに出る。

驚異的なパワーとスピードの前に、少年は何度も限界に陥る。その度に生前大野の言ったことが蘇り、少年は金を取る。少年の前に人生が広がっていた。

2021年7月27日妄想






最終更新日  2021年08月01日 04時07分36秒
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2021年07月30日
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46年前には、あの小さな家に6人家族が確かに毎日暮らしていた。ところが、今日、その6人のうち生きながらえているのは2人しかいない。実に一般的な現象であるし、一昔前ならば46年と言わずに、30年ほどでそうなっていたのが一般的だったかもしれない。

それが自分の身に降りかかってくると、やはり大きな感慨を持たざるを得ない。

具体的に書くと差し障りがあるのだが、
6人のうち、現代に遺伝子を子孫に残す仕事をしたのは、最近亡くなった1人だけであって、残った2人に我が家の遺伝子を遺す仕事はもうできない。という厳然たる事実がある。そうなると、6人家族は、結局(姪の)2人にしか還元されなかったという結果が残る。

人間の価値は、後世に遺伝子を遺すことである、という風に規定してまうことが出来たとしたら、もはや残った2人の生きている価値は無くなったと言っていいのかもしれない。

ところが、残ったこの人間は、そこまで思い詰めてはいない。
何故か?
人間は社会的動物である。
2人は遺伝子を遺すという仕事はしなかったが、約40年間、教育や流通や福祉の分野で、確実に「仕事」をこなしてきた。その仕事の価値は記録としてちゃんと残っており、回り回って、人間の遺伝子を後世に残すことになんらかの寄与を果たしたのではないか?と「この人間」は信じているようだ。何処までそれが正しいのかは、わからない。

また、それよりもっと怪しい「根拠」なのではあるが、そのうちの1人は約30年間、SNSの世界にずっと文章を書き続けている。そのほとんどは駄文なのかも知れないが、いくつかは、人間の物語ろうとするエネルギーを、少しは援けていたのではないか?と、1人は自らを慰めている可能性がある。

よって、1人は未だに自分に絶望せずに生きてる。






最終更新日  2021年07月30日 14時06分21秒
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2021年04月05日
カテゴリ:カテゴリ未分類


厄除けマンボウ、皆さんのために画像を貼っておきます(by 和歌山市立博物館)


疫病除けマンボウ?版画を再展示 「まん防」措置で和歌山
4/4(日) 18:12










最終更新日  2021年04月05日 11時04分27秒
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2021年03月26日
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少し前ではあるが、「文藝春秋3月号」の芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」の書評をした時!他のSNSにも書いていたら、「KUMA0504さんのイメージに合わない」とコメントを頂いた。その反応は予想していたので、嬉々としてお返事を書いた。もはやコメント欄などは誰も見にこない時だったので、もっと早く反応してほしかったとさえ思った。

それから1か月、ネタが無くなったので、ここにも転載する。ここの人は私がAKBの数人を推していたのはご存知だったと思う(えっ?知らなかった?)。重なるところはあるかもしれないが、わりとまとまっているので、転載する所存です。最近はもう推し活動はしなくなった。何故か、ということもここで初めて書く。



◯◯さんへのコメント

◯◯さん、よくぞコメントしてくれました。ありがとうございます♪

◯◯さんの教えてくれたサイトはよくわからなかったのですが、「推し活」という内容の情報を見ると、かなりアイドルへの依存状態が進んでいて、私のいう「推し」とはかなり隔たりがあるようです。

この記事に対して、「私とイメージが合わない」という感想を持つのは予想していました。ハッキリ言って「引く」人もいたのではないかと思います。でも、それに対していろいろ解説すると「言い訳」じみてくるし、私の文体に合わないので、ちょっと触れるぐらいで済ませていました。よって、ここで「言い訳」させてもらいます。

日本語は日々変化します。
「推し、燃ゆ」が芥川賞をとったことで、さらに「推し」という言葉は、病的にまでもアイドルに依存した状態という意味合いを持つようになるのではないか?と危惧します。本来の「推し」はそうではなかった、と思います。

少なくとも、2012年にYouTubeで見ていた時の「推し」は、軽く「私のファン宣言」みたいなものでした。オタクと違うのは、広くある分野のファンなのではなく、一人の人物のファンになる事です。「単にファンになる」とどう違うのか、ほとんど同じですが、唯一違うのは「その子の成長を責任持って応援する」という決意です。責任感が違うのです。

私の「推し」という言葉はもっと広い意味で使っています。

「推し」を初めて聞いた時、思い浮かべたのは、京都で舞妓、芸妓と移ってゆく過程で、2号さんとして囲うのではなく「旦那さんたち」が集団で「贔屓」にして「成長を見護る」習慣でした。現実にはホントに2号さんにする人もいたかもしれませんが、現代の舞妓のほとんどはそうではありません。AKBは、その日本の伝統(江戸の色街にもあった文化)を、現代の制度に移したものです。秋元康が発明した制度ではなく、秋元康が利用した制度なのです。

私は調べたことはありませんが、日本の芸能史を紐解けば、おそらく芸人はそうやって生き延びてきたのではないか?雪舟にせよ、光悦にせよ、そやって育てられてきたのではないか?「梁塵秘抄」で「今様」が平安時代の都の中で流行っていた時に、後白河法皇自身が「推し」を決めて、ずっと籠って歌を習っていたのは、現代とほとんど同じです。

私はそんなにお金を注ぎ込んではいませんが(握手会に行ってない段階で日本中の推している輩からは総スカンを食うかもしれません。けれどもそいつらに言いたい。須藤凛々花の結婚宣言をあそこでしようとした勇気を、いったいどれくらいのファンがきちんと理解してあげたというのか?)、彼女たちの発言やパフォーマンスを愛を持って集め、解釈してきたのには自負を持っています。あの時の発言の意味はこうだったのだと、書評や映画評で書き、誰も触れていないのを不思議に思ったことは多くあります。これって、私も「推し」ていると見ていいんじゃないですか?

私の推しは、最初は大島優子。一年で卒業発表、次に川栄李奈、ところが推しと決めた直後に「あの事件」が起きて直ぐに卒業発表、優子と同じ頃にずっと応援していたのは、松井珠理奈、彼女だけは10歳から今まで10数年間AKB、SKEを文字通り引っ張ってきた、正にエースであり、彼女の発言やドラマは欠かさず見てきて、絶対卒業するはずはないと思っていたのに、総選挙で一位をとった直後に総パッシングを受けて体調不良になり、卒業発表、そして須藤凛々花です。大島優子以外は、みんな不幸な形で卒業発表した。私が推したから?というところまで思ってしまうのが、「推し」ている者の運命・責任感なのです。

私の「推し」の意味が、これで少しはイメージが湧いたでしょうか?






最終更新日  2021年03月26日 11時43分30秒
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2021年01月06日
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昨日、県立図書館に福袋を貰いに行きました。開館15分後に着いたら、もう77袋あった福袋は数えるぐらいしかなくて人気のない社会科学系でも2つしか残っていなくて、会社図鑑よりもこっち「新社会人さんへ」を選ばざるを得ませんでした。4冊はそのまま借りるわけですが、図書館特製トートバックはプレゼントです。

たくさんのローカル局が取材に来ていてインタビューを受けました。(華がないので、採用されないでしょうが)
「福袋目当てで来たんですか?」
「そうです(ホントは予約本を借りるために来た)」
「コロナで年末年始は本を読まれましたか」
「そうですね。5冊ぐらいは読んだかな」
「1日一冊の割合ですか?」
「そうですね(実際には年末年始8日間で8冊読んだ)」
「福袋を手に取ってどう思いましたか?」
「未だ中身わからないのですが‥‥。図書館の人は本のプロだと思っています。どんな本を選んでくれたのか、そのセンスを楽しみたいと思います」

私も長い間、ミニコミ紙でインタビューする側にいるので、記事にするために必要な言葉は知っている。「具体性とキーワード」だと思っている。ちょっとサービスしてしまったのかもしれない。けれども、テレビの場合にはそれに「見た目」がつく。目が泳いでグニュグニュ言う男の話は採用し難いとは思う。






最終更新日  2021年01月06日 13時20分00秒
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2021年01月01日
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あけましておめでとうございます🌅
初日の出を撮り損ねたので、初日の入りをパチリ。
もはや、この歳になれば、なるようになると生きていくだけです。

お墓参りをして近所を散歩していたら、岡山にもこんなお地蔵さんがいました。他にも同様な群像お地蔵さん祠があったので、この地方の流行なのかもしれません。今日は、とりあえずここまで。







最終更新日  2021年01月01日 23時37分44秒
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2020年12月08日
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「岡本唐貴の誕生100年記念」展
倉敷市立美術館 12月20日まで。
倉敷市連島町西ノ浦出身の岡本唐貴が、画家を志して神戸へ、更に東京に移り住んだ。それを記念して、初期から晩年までの貴重な絵を多数展示、同時に同時代の資料を展示している。

思ったよりも本格的なものでした。
プロレタリア画家唐貴の周辺も丁寧に展示していてとても貴重です。

唐貴が二き展に入賞した「神戸灘風景」を初めて観た。明るく存在感のある、地に足がついた、素朴な絵だった。

その後、まるでブルジョワ女の海遊びにみえる「海と女」(ポスター参照)等、急速にプロレタリア運動に入ってゆき、ナップ等のプロレタリア雑誌の表紙をかく。

その頃、多喜二と知遇を得て、後年多喜二の肖像、多喜二の母親の肖像画も描いていて優しい。唐貴の家族(妻、娘、息子2人)のスケッチもあり、学生帽をかぶっている、前を向いてきかん気の一重の少年は白土三平だろう。

戦後、プロレタリア運動を始め、共産党にも入党し、「獄中にて」、「法と対決する労働者」、「地区の政治集会」を描いているが、これらは初めて見た。のちに共産党とは分かれるが、本気で党活動をやっていたとわかる。多くが岡本登氏寄贈とある。学芸員の方に話を聞くと、前回の回顧展(平成13年)の後に岡本登(白土三平)と連絡ができるようになり寄贈された、と聞いた。だとすると、ものすごい貴重な回顧展であるが、全然注目されていないのは何故なのか?もったいない。しかも、図録さえ作っていない。もったいない!

図録で見るのとは全然違う。ホンモノだけが見せるプロレタリア画家の迫力をみんなにも観て欲しい。






最終更新日  2020年12月08日 19時04分28秒
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2020年08月25日
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8月23日、岡山シティミュージアムにて「災害の記録」展があり、見てきた。お目当ては、漱石が被災した明治25年の水害で漱石の行跡が少しでも展示されていないか、確かめたかったのだが、それはなかった。

ただし、想像以上に豊富な資料があった。古文書が読めたら楽しいのだろうが、まぁ雰囲気だけでも楽しめた。

【全体の口上】


【安政の大地震】





【昭和21年南海トラフ地震の記録】



【水害の記録】




【明治25年の水害の記録】


【感染症の記録】









最終更新日  2020年08月25日 07時33分59秒
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