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韓国旅行記

2007年09月02日
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テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
22日目 9月19日(火)
昨晩の船は揺れた。釜山の港を出るまでは穏やかな海なのに、突然揺れだす。立っていられない位。大型フェリーでさえ、こうなのだから、台風がさってだいぶ時間が経ってでさえこうなのだから、昔の人の操船技術はそうとうなものだったのだろう。

外国人の目
日本に降り立つ。最初に食べたのは駅前のカレー。トッピングしなかったら安くついた。美味しい。昼食は鈍行で帰っていた電車が30分ほど止まったので、その間に駅をちょっと出て、スーパーで秋刀魚の蒲焼弁当とぬたの惣菜とビールを買う。駅弁よりもよっぽど旅らしい食事。日本は素材の味をそれぞれ活かし、ひとつの弁当にいろんな味が入っている。素晴らしい。日本に帰ってきた一日ぐらいはすっかり外国人の目になっている私です。
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疑問は疑問のままで
行きは約五時間の電車の旅だったが、帰りは約七時間もかかった。交通費は日本は韓国の2~4倍する。早さも高速で飛ばすので、韓国の方が二倍くらい早い。どうして韓国の交通費はこんなにも安くて便利なのか。高速料金はべらぼうに安い。この旅で一度バスが払っている高速利用金を盗み見た。私の払った額ぐらいしか払っていなかった。ひとり乗れば高速料金は払えるのだ。なぜ安く出来るのか。土地代が安いからか。工事費が安いからか。政府の援助があるからか。疑問は疑問のままで残しておこうと思う。
もうひとつ不思議なのは、街の中には異様なほど旅人宿、旅館、モーテル、ホテルが林立しており、客は数えるぐらいしか入っていない。経営が成り立っているのだろうか。モーテルなどは掃除はおそらく家族のみで行なっているのだろう。それでも土地や建物に対する税金はどうするのか。どうして駅の周りにあれほどの数の宿屋が建って成り立つのか。これも疑問のまま残しておく。
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鈍行の電車はのんびりしたものだ。私のように弁当を食べる人。たまたま同席した若いお嬢さんとおばあちゃんが四方山話をしている。おばあちゃんは女性が電車を降りたあとずーと眠っていた。

車窓から。
山々がこんもりしていて、なんだかやさしい。韓国は針葉樹が本当に多いのである。
日本って、背の高いビルが少ない。地震の国ならでは。
日本の家は美しい。二階が多いので、屋根を重ねていく構造。家と家はびっしりと隣り合う。庭付きの家はあるが、本当に猫の額だ。日本人は小さい庭を美しく育て上げる。

日本の空は、もうすっかり色が澄んで、秋空だ。丸っこい雲がぽっかり浮かんでいる。

5780円(下関→倉敷)300円(カレー)120円(コーヒー)810円(昼食)340円(バス)
旅の決算は以下の通り。

終わりは始まり。
これからちょっと今晩発つ旅の準備。






最終更新日  2007年09月02日 10時06分36秒
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2007年08月31日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
21日目 9月18日(月)

台風(テプン)過ぐ半島よりもさらに北
台風は去った。TVではさすがに台風の報道をトップでしている。(韓国のテレビは気象報道がわりとおざなりなのだ)13号台風といわずに「台風”サンサン”北上」というテロップ。
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朝飯はバリエーションを持とうとして「歩き方」に出ていた天安コムタンでお粥を食べる。しかし、値段のわりにはイマイチ。反響のあった昨日の蜆スープ定食の店構えも載せておきます。

9時過ぎに国際ターミナルに行くと、発券は10時過ぎだという。待つ。ともかくも券が買えてよかった。6時までフリー!昨日が嘘のような晴れだ!

学生運動はどこへ
釜山大学に行く。ここの博物館に行くためだ。展示物は少ないが、より学術的な展示内容だった。旧石器時代から三国時代までの遺物が展示されている。
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ついでに学内を散策する。バスの停留所がいたるところにある広い国立大学である。特異なのは学内に大きな川が流れていて、市民にも公園として開放されているということだ。韓国の公共物における自然の多さには感心する。意外に思ったのは、学生手作りの看板はおろか、チラシもひとつも存在しない、ということだ。一応ぐるっと回ったのだが、ひとつもなかった。70年代、80年代の民主化闘争は学生の活躍が大きかったはずだ。いくら国立だからといっても、この「綺麗」「静かさ」は異様であるとともに残念だ。学内ではスピーカーから学生の好みそうな音楽が流れている。大学で音楽を流すとは!!
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学生街を歩く
大学近くの学生街を歩いて嬉しいのは、食べ物が安いこと。2000~4000W代の食べ物が軒を連ねている。昼のランチで飯盒定食が1000W安くなって3000Wになるという看板があった。おかず部分には豚キムチ炒めと目玉焼き、ご飯がのっており、飯盒の中にはラーメンが入っていた。店の構えからして、この店の売りは「郷愁」らしい。写真を撮らせてくれなかったので、店構えを写します。
街を歩いてみて気がついたこと。書店が少ない。あと韓国全体でそうなのだが、電気屋が全くない。大きなスーパーでしか、家庭電器を売っているのを見たことがない。反対にいうと、日本はそれほどに電気屋と書店が多い国なのかもしれない。
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東莱温泉
歩いて温泉場まで行く。足湯が出来る無料の公園があるので、入ろうとすると怒られてしまった。どうやら先ずは足を洗う場所があるらしい。とうとう最後まで簡単な日常語も出来なかった。写真の溝みたいなところに温泉が流れていて、そこに足をなんと20人ほどつけていた。共同浴場に入る。二時間以上ゆっくりする。旅の疲れをこれで洗い流すことが出来ただろうか。

スーパーで少しだけお土産を買う。気がついたら乗船時間にギリギリ。

さあ、明日起きたなら日本だ!

6,000(朝おかゆ)1,300(地下鉄)1,000(コインロッカー)3,950(電池)85,000(釜山→下関)6,000(港料)14,800(DVD)3,000(飯盒ランチ)4,000(温泉入場料)1,000(肩たたき)1,100(地下鉄)2,000(おみやげ)11,130(おみやげ)1,400(おみやげ)2,000(タクシー)1,300(つまみ)450円(アサヒビール)






最終更新日  2007年09月01日 00時18分16秒
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2007年08月30日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
20日目 9月17日(日)
朝、モーテルの受付の老人と話をする。70代だろうか。実に流暢な日本語を話す。

美味しい朝飯
朝食は近くの店で蜆のスープの定食。釜山という都会なのに、思いもかけず、副菜は八皿も出てきて、ご飯も五穀米、蜆スープは中味だけが入っている大きな丼、そして非常に美味しいサバの味噌煮。こんな店にぶち当たると、旅をしてよかった、と思う。
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韓国の日本語学習は世界一
西面(ソミョン)に行って、語学学習用の韓国映画のDVDと教材を探す。この旅で韓国語はしっかりやろうと思った。(と、このときには思っていた。)映画の字幕にハングルを出して、反復練習するのは効果があるらしい。と、複数の人に聞いた。韓国は、日本と違い、観光案内所が充実している。この旅で私が至る所にバスで行けたのも、彼女たちが親切に教えてくれたからである。彼女たちの半数以上は(主要観光名所の八割以上は)日本語が堪能である。
「どうやって勉強したんですか」
「いや、へたです。二ヶ月間勉強しました。」
そういう答えを聞いて自己嫌悪に陥ったことがある。彼女たちは基本的なことを学んだあとは、日々実践しているから上手になるはずだ、と自分を慰める。韓国は日本語学習者が世界一多い国だそうだ。ソウルの教保文庫の外国語コーナーに行くと日本の韓国語コーナーの貧弱さが恥ずかしくなる。日本は大きな本屋でもハングルコーナーはひとつのスペースがあればいいほう。韓国では日本語コーナーに三つの棚がある。嫌韓、反日、勝手にやっておくれ、と私は常々思っているが、まず相手のことを知る努力では日本は確実に韓国に負けているだろう。日本はその努力のほとんどをアメリカに向けている。アメリカだけが世界ではない。

台風の中貝塚を見る
昼から影島区にある東三洞貝塚展示館に行く。釜山は新石器時代(日本の縄文時代)の遺跡がたくさんある。日本は縄文時代、国という意識はなかったから、頻繁に北九州と南韓半島と交流している。この貝塚で面白いのは、ほかの韓国の博物館で見かけることのなかった土偶が展示されているところだ。熊の土偶は日本でもよく見かける。小さくてかわいい。いまだかつて見たことのない土偶で、貝をくりぬいて顔の形にしたものがあった。---土偶は文字を持たない昔の人の精神の世界を垣間見ることの出来る貴重な遺物である。このような貝の土偶、ここ以外にも例があるのか、知りたいものだ。
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この展示館の周りは港町。晴れていれば、風光明美、面白い家もたくさんあるのだが、ちょうどこのときは台風が一番韓国に接近していたときであった。午前中とは一変、外は暴風雨になっていた。早々に街の方に帰った。

濡れ鼠異国の港ひとりぼち
苦労してやっと港に電話で連絡をとっても、全然要領を得ない。出来たら切符を取っておきたいと思い、中央駅から歩いて国際ターミナルに行ってみる。傘などは役に立たない。ずぶぬれになる。けれども、ターミナルに職員はいなかった。結局その日にチケットの予約は出来なかった。そのとき午後五時。外は暴風。ヌートリアのように濡れて座る。駅までのたった数百メートルのためにタクシーを使う。
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地下道のロッテリアでバーガーセットを頼む。少し風雨が止んだので、南浦の中華店でギョーザと焼き飯を食べる。本当は映画を見ようと思っていたが、やめる。やっとのことでモーテルにたどり着き、身体を暖めた。

40,000(宿泊代)5,500(蜆スープ定食)3,000(電話カード)1,100(地下鉄)17,600(DVD)25,000(本)5,800(ピザハット昼食)1,000(バス)3,000(資料館の本)1,000(バス)10,000(V-CD)1,800(タクシー)4,600(ロッテリアハンバーガーセット)8,000(ギョーザと焼き飯)






最終更新日  2007年09月30日 00時17分18秒
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2007年08月29日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
19日目 9月16日(土)

紫山公園
朝、ハスクに荷物を置いて悟桐島(オトンド)へ歩いていく。近くのザサン公園から麗水(ヨス)周りの島々や海を眺める。
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旅の途中で自分を見つめる
もう旅も終わろうとしている。本当はこの公園の芝生に寝転び、一日海を眺めてすごすのも悪くないのだが、この旅でそういうことができたのは、済州島の最終日、火山そばの秘密の花園で過ごした一時間のみだった。今日の場合は宿においてきた荷物が気になって仕方ない。そしてそうでないときなどは「せっかく来たのだから見たいところは全部見よう」とつい欲張ってしまう。-----結局これがオレの性(さが)なのだ。好奇心だけは旺盛で、見たり読んだりするのが大好きで、通り過ぎるだけでわかった気になってしまう。そして何も一つもものに出来ないでいる。ゆっくりとひとつのところに腰を落ち着けて一生をかけて一つのことをやり遂げることが出来ないのが、自分の性なのだ。----落ち着いた人生にあこがれるな。けれども決して分かったと思うな。----この旅でひとつ分かったことなのかもしれない。そんなことをこんな景色を見ながら思っていた。
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昼食は麗水駅近くのキムパブ店でナクチ(たこ)ビビンバにした。このチェーン店で初めて美味しいスープとキムチに会えた。

韓国を旅して気がついたことを二つ。
韓国では朝に細い道で出会ったときや、山の上でであったときに「アンニョンハセヨ」と挨拶しても、決して誰も返事を返してこない。日本では見知らぬ者通しでもとりあえず「おはようございます」と挨拶をするものだ。韓国の人が見知らぬものに不親切なわけではないということは、今まで散々書いてきた。
もうひとつ、若者の携帯は普及率は100%ぐらい。スライド式の携帯の普及率は95%ぐらい。おそらくこの2~3年でこの形が普及して来ている。スピードがあまりにも速い。

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釜山行きのバスに乗る。旅のお供のお菓子。高速の休憩所。日本とあまり変わらない。

げっ、台風で足止め
3時に釜山のバスターミナルに着く。中央駅まで地下鉄で行き、国際旅客ターミナルにとりあえず行って見る。釜山の地図を貰って明日の博多行きのチケットを買おうとすると、なんと台風が接近しているということで今日も明日も欠航。あさって以降は明日にならないと分からない。おやおやこんなにいい天気なのに。一挙に手もちの現金が少ないのが心細くなった。カード使用が必須になる。今までは宿代をケチっていたけど、カード使用が最優先になるので、旅人宿などは絶対に泊まれない。これから三日間は旅の疲れを癒すことに集中しようと決める。

人間らしい生活
モーテルは南浦とと中央駅の中間に位置するモーテルに決めた。実はサーマノン(4万W)をサムマノン(3万W)と聞き間違え、即決したのだが、入ってみると、広くて綺麗で、設備は整っていて、「なんか‥‥‥人間らしい生活ってこんなのかな‥‥‥」と、ふと思ったりした。

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夕食は近くの有名店でテジカルビを食べる。副菜が美味しい。やはりお金を使うっていいことだなと思う。焼酎を飲みながら、明日の計画などを練っていると、いつの間にか一時間以上粘っていた。ミアネ、アジェンマ。

夜、久しぶりにPCバンでブログ更新が出来る

3,000(悟桐島入場料)850(バス)4,000(ナクチビビンバ)850(バス)1,200(お菓子)600(コーヒー)17,600(麗水→釜山)1,300(地下鉄)40,000(宿代)5,000(テジクッパ)1,500(焼酎)






最終更新日  2007年08月29日 23時26分49秒
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2007年08月28日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
18日目 9月15日(土)

共生園まで朝の散歩
午前中は荷物をモーテルに置いて、周りを散歩した。木浦の海岸線を30分ほど行くと、日韓合作映画「愛の黙示録」で有名になった共生園がある。戦前、韓国人牧師と結婚した田内千鶴子が、朝鮮戦争で夫と死別しても孤児院を守ったところである。行ってみて驚く。まるで小さな村のようにさまざまな施設のある大きな孤児院(?)になっていた。うしろに儒達山をかかえ、前に穏やかな島が浮かぶ海。田内は案外幸せだったのではないか、とふと思う。
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木浦は日本風の家が多く残っていることで有名だ。確かに屋根の形は日本風だけれども、壁は韓国風が多い。木造も少ない。けれどもちょっとした角や路地にはびっくりする。程よい郷愁を誘うところが多いからだ。映画「ラブストーリー」でもいろいろな場所が使われていたらしいが、私も監督なら使いたいところがそこかしこにあった。
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儒達山に登る
儒達山に登る途中、車道でリスを見つけた。韓国の街中でリスを見つけるのはこれで二回目。それほどありふれた動物なのか。自然史博物館でさえ、標本が置いてなかった。

案外簡単に儒達山(ユタルサン)に登る。(きつかったけど)木浦の街並みや遠くの島々を一望に見る。
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海岸線を歩いて小さな店で電池を買ったとき、山の上の写真屋のおっちゃんと話したとき、山の上の説明ボランティアと話をしたとき、ある同じ質問があった。歳と仕事は聞かれなかった。韓国人は相手が目上の人かどうかで話す態度が変わるので、それはいの一番に聞かれると教えられていたのだが、今回の旅でそれを聞かれたのは1~2回。その代わりいつも「日本人」と確認すると、「日本のどこから来た?」と聞いてくるのである。約80%の人が聞いてくる。歳や仕事を聞かないのは、私との上下関係を確認する必要がないからだろう。「日本の岡山から来た。」それが彼らにはとても重要なことなのだろうか。確かに韓国の人にとっては本貫(出生地)は大切なことだ。けれども、単なる旅行者のことを知るのに大切なこととは私は思えない。後にフェリーで一緒になった韓国の人にその疑問をぶつけてみた。やはり気になる、とのこと。基本的に韓国の人は出生地でその人がどういう人物なのか測る癖がついているのだそうだ。

韓国のすしはサイテー!
昼飯に駅前で初めて日本料理を食べる。たいそうな店構えのすし屋である。にぎり12個が7000W。珍しく副菜は出てこない。うどんスープとコウコのみ。バカな味だった。回転寿司の方がまだましなものを出す。頼んですぐに出てきたので作り置きなのだろう、刺身の肉厚は薄く、鮮度は全くない、シャリが乾きかけている。港町なので少しは期待した私が馬鹿だった。バスを待つ間、コイ焼き(4個で1000W!!)のかわいい顔を見ながら自らを慰める。こちらは美味しかった。
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地球的視点で考えた
自然史博物館は思ったよりよかった。広い館内を使って、アンモナイト恐竜から身近な動物まで、思いっきり展示物を多くしている。映像も効果的に使っている。つい地球の過去と未来について考える。それはこんなことだ。---地球表面の高い高い山や深い深い海なんて、せいぜい地球という惑星の表面の皺に過ぎない。かつては巨大な恐竜たちがさまざまな能力を持ちながら、地表をのし歩いていた。彼らは詳しいことは判らないが、環境の変化に対応しきれず滅んでしまう。その後、地球に住めるところが多くなってきて、環境が良好になったときに、どうして恐竜が復活しなかったのだろう。なぜ地球はその主人公に哺乳類を選んだのだろう。何度も何度も同じ間違いをしたっていいじゃあないか。----とりあえず哺乳類は地球に満ち溢れる。彼らは環境変化に強い。しかもそこから出てきたホモサピエンスという種は環境を変える能力までもっていた。地球は次の種族は環境のせいで滅びることはないようだ、とひと心地する。ところが人類と言う奴は、火を持ち、クーラーを持ち、たった数十年間の間に地球の表面温度を上げるというようなことまでした。これほどの急は「想定外」だった。はたしてこの地球の新しい主人公は、過去の教訓を生かすために生まれてきたのだろうか‥‥‥地球は疑問に思う。
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今日のお宿は麗水
博物館を出ると、雨が本格的に降り出した。麗水(ヨス)行きのバスに乗る。チャンフン市街バスセンターではバスの運転手同士がお互い足蹴にしながらじゃれあっていた。周りの人たちはそれをニコニコしながら見ている。チング(友達)としての感情の表し方。それを受け入れる周りの人たち。日本とは遠くはなれたひとコマ。
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麗水につく。「歩き方」には全ての市内バスは繁華街に行くと書いていたが、心配でたまらない。停留場で中学生に「駅行きはどれ?」と聞く。「全てのバスはその近くに行くので歩いていけばいい」と言ったように思えた。そうは聞いても本当につくまで心配でたまらなかった。彼に見送られてバスに乗る。お互い心配そうである。御免なさい、ちゃんと駅前に着きました。ともかく宿を決めたい。路地裏には旅人宿みたいな雰囲気が漂っていたけど、看板には「ハスク」(下宿?やる宿?)と書いている。オバちゃんは「眠るだけなら一万Wだよ」と言う。まあいいや、ここに決める。きっちり売春宿でした。もう慣れたものである。
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疲れていたので、ご褒美として夕食は奮発した。海鮮ビビンバとビール。なんと宿代より高くついたが、カードで払えるからよしとする。今は少なくなってきた現金がなくなることの方が怖い。

850(バス)400(コーヒー)1000(アイスクリーム)700(儒達山入山料)2,400(電池)850(バス)7,000(すし)1,000(こい焼き)3,000(自然史博物館入場料)1,500(ジュース)4,100(タクシー)16,500(木浦→麗水)12,000(夕食)10,000(宿代) 






最終更新日  2007年08月29日 00時00分35秒
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2007年07月15日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
17日目 9月14日(木)
今日はいろいろと迷った末に午前船に乗るのではなく、もう一日済州島観光をすることにした。二日お世話になった民泊を出ると、アジェンマたちが魚(サバ?)を干す準備をしていた。

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コンククスは豆乳冷やしうどん
今日一日は済州島の自然を見るというのがテーマだ。市内まで行ってバスに乗る。もうお手の物だ。バスセンターで切符を買ったあと、30分時間があったので食堂で軽いものを食べる。「コンククスください。」「コンククス?しばらく待つわよ」「待つ?早い食事をしたいんだけど」「早く?うん、5分で出来るよ」「それならOK、お願いします。」もちろん5分は信用していない。でも10分になってもまだ間に合う。予想とおりになった。まあ、このくらいの会話なら出来るようになった(←威張ることではない)コンククスはもやしうどんかと思ったら、豆乳スープの冷やしうどんだった。なかなか美味しいスープで、さっぱりした味だった。

すぐそばに原生林
バスは郊外のサムクムブリという自然休暇村みたいなところに行く。40分ほどバスを走らせる。どんどんと原生林みたいなところを走り出す。雨が降り、晴れる。馬がたくさん、そして牛が少し放牧されている。済州島は自然が豊かだ。

突然「着いたよ」といって放りだされる。閑散な観光地と言った趣なのだが、サムグムブリの噴火口は直径650m、深さ100mもある。真ん丸い形をしてとても雄大だ。爆裂孔のみで溶岩が出なかったからこんな綺麗なかたちになったという。丸っきりの休火山。すぐそばまで行ける。そこから見える島の景色のパラノマも絶景。
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秘密の花園
周囲はいろんな花が群生。素晴らしい。あとで自分で撮った写真と見比べながら、売店で植物図鑑を借りて名前を調べる。あまり名前はわからなかった。一番の群生はツルボ(ムルッ)という紫色の花。白タンポポ(ソェソニムル)みたいな花。オミナエシも、ツユクサも、山紫も咲いていた。時々見たこともない蝶や鳥が飛ぶ。

私は一人歩いていって、外れの方に行く。観光客が誰も入ってこない10m四方の秘密の花園を発見する。そこだけ陽が入っている、ツルボの群生地である。30分ほどそこに寝転ぶ。山の天候だ。雲が矢の様に飛んでいき、陽が入り、曇り、冷たい風が吹く。やはりここにきてよかった、と思った。残念なのは、この花園を共有すべき隣人がいなかったことかな。
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火口山の頂上には、中国語の説明版と並んで日本語の説明版があった。済州島に来て感心したのは、ほとんどの博物館、観光地に、ハングル、英語と同時に日本語、中国語の説明がついていることだ。一方、ソウルには、日本人の観光に力を入れているわりには驚くほど日本語の説明文は少ない。済州島を見習ってほしい。

韓国のマクド
3時に済州市に着いたので、街ブラをする。市場を歩いた。紫芋を売っている処、ものすごいくせのある匂いを発するというエイも獲れたてのが売られている。マクドナルドでフライドポテト(M)と紅茶を買ってみる。ポテトは1200W。味も細さも変わらないが、トマトケチャップがつく。紅茶は1000Wと安いが、ティーバッグとお湯で出てくる。私はそれでもいいから日本で100円で採用してほしいと思う。(そののちこの冬、それが日本で売られていることに気がついた。)コーヒーは2000Wだった。
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5時までに余裕を持って旅客ターミナルに着くと、木浦(モッポ)いきは歩いて20分の国際ターミナルだという。ギリギリに行っていると大変なことになるところだった。カードで買うと、ここでも暗証番号、パスポート番号が要った。面倒なことだ。今度は一泊にはならない。片道21800W。やはりフェリー代は高いのだ。5時間の船旅だが、夜行フェリーと同じで大部屋に入る。船中では、オイチョカブをする男女、外国人のカップルは静かに読書、酒を飲む人いろいろ。ただし、この日、船は常に30度ぐらい揺れた。何とか私の身体はもった。
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アンニョンケセヨ、チェジュド
フェリーが港を出る。来るときには雨が降っていて良く見えなかったが、今度は済州島の全体像が良く見えてくる。済州市の東となりに少し突き出た半島があり、その下が港だ。そしてその奥に雲に隠れて見えない済州島の山頂がある。東に向かってところどころ小火山で出来た山々が続き、長い長い丘陵を作っている。
こうしてみると、小さい。けれども古代にあっては、朝鮮半島・日本列島・中国大陸の間にあって、その存在が良く知られた重要な島であった。
いまげんざい、基本的にはこの島は金持ちが休養に来るリゾートの島なのだろう。そういう楽しみ方はほとんどせずに、とりあえずこの島を離れる。

木浦では思わぬ綺麗な夜景が迎えてくれた。宿は選ばずに行き当たりばったりのモーテルに決める。けれども交渉したら3万Wのところ、一人だから2万5千Wにしてくれた。バスタブもある、綺麗ないい部屋だった。さすがモーテル。

ペッパン初体験
部屋に荷物を置いて夜食を食べに行く。もう10時を過ぎていた。モーテル前の食堂に白飯(ペッパン)があったので頼むと一人だけどなんと作ってくれた。やっと定食を食べれる。なんと副菜が10皿もついた。全羅道なのだ。この地域はこれが当たり前なのである。主なおかずは白魚と大根、トーフの煮物。副菜は舌が合わないのが幾つかあり、4皿はほとんど食べなかった。おばちゃんはなんでもないように残り物を片付ける。私が食べている間、アジェンマはテレビを見ていた。
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チングや!
これが実に韓国らしいバラエティ番組。ドラマでは脇役に良く出てくる役者がゲスト。(「秋の童話」で主人公の友達の男)ゲストが昔話をする。ゲストの小学校時代の友達が、10人ぐらいに混じって数人出てくる。写真を見ると、ゲストもだれもがみんな昔の面影はない。どうやら誰とも何十年も会っていないらしい。ゲストは「チングや!」といってそのうちの一人を選んで手を差し出す。緊張の一瞬。そしてにこっと笑って、昔の友達の表情に戻るのである。そのときゲストが間違えたのは、四人のうち一人だけだった。写真を見ると奇跡のように思える。当たらなかったら、ゲストの面目丸つぶれじゃあないか。「チング(友達)」をそれほどまでに大事にする韓国の一面がわかる番組。食堂のアジェンマは私の存在を全く忘れて、げらげら笑っていた。

1,000(コインロッカー) 850(バス) 4,000(コンククス) 3,600(サムグムブリ往復代) 3,000(観覧券) 12,000(お土産自分用の帽子) 10,000(昼食ビントック、マコッルリ、お好み焼き) 850(バス) 2,200(マクドナルド) 21,800(済州島→木浦) 25,000(モーテル) 5,000(白飯)








最終更新日  2007年07月15日 18時03分05秒
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2007年07月06日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
一年が過ぎてしまわないうちに早く韓国旅行記を書き終えなくちゃ。
16日目 9月13日(水)

済州島に三日滞在を決意
なんやかんやで、2日目も民泊する。言葉も分からないけど、気のいい宿のおじさんにそのことを伝えると、尻を叩いて尻をなでて、嬉しがる。その気があるのかしら。

バスステーションを探していると、タクシーから声をかけられた。バスターミナルまで2000Wで行くと言う。少し高いがそれくらいなら、とタクシーにすると、メーターは3500Wまでいった。「ナー2000Wマルヘッソ(あんた2千Wと言っただろ)」といっても知らん顔だ。タクシーは信用しないと心に誓う。

南方型支石墓と済州島の人情
本当は島西部の平和博物館(日本軍の地下壕があったところ)に行こうとしたのだが、バスが近くまで通っていない、とバスステーションの観光案内所のお姉さんは言う。断念する。その代わり東済州市の抗日記念館に行くことにした。その前に地図に載っている支石墓が近くなので行くことにする。観光案内所も全然知らなかったので、見当をつけていくと案の定迷ってしまった。なんらかの公の施設みたいなのに入って場所を聞く。そこはどうやら、市役所の支所みたいなところだった。なんだかほとんど日本語が出来ない、けれども日本語練習のために数週間日本に留学したというおばさんがやって来て、もうひとりの男の人と一緒に案内してくれた。行ってみると、おお、江華島の支石墓と比較するとよくわかるが、足部分が土に埋もれた南方型支石墓だ。一生懸命写真を撮っていると、役所の人は「こんなものどこがいいんだろ」と言う顔で私を見る。帰りの路で済州島型の小川を見せて、「美しいだろ」と自慢する。「美しいです。」(けれども日本人は決してこんな自慢の仕方はしないなあ、とも思う。韓国の方が素直で私は好きだ。)300wコーヒーを奢ってもらって少し話をしてカムサムニダを言って別れる。
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すばらしき三陽洞遺跡
まずは二年前にオープンしたばかりの三陽洞(サムヤントン)先史遺跡に行く。ここにも日本語が出来る詳しいボランティアガイドがいた。詳しい話を聞く。96年の住宅開発で発掘されたBC1~AD2Cにかけての3万坪236住居がある大遺跡。日本で言うと吉野ヶ里、韓国で言うと松菊里と同じ時代だ。それまでは農業をしていた遺跡はないから韓半島から来た人の集団なのだろう。環濠はない。済州島だけのの特徴なのだが、10~16軒で集団を作り、焚き火所を囲んでぐるりと住居が作られていると言う。住居の中には火を使った跡はないらしい。氏族で固まって集団を作っていたのではないか、とというのがガイドの説だ。何故ここが選ばれたか。無文土器を作る粘土が取れるからだろう、とガイド。亀棺墳墓は一ヶ所ある。支石墓は少しはなれたところに5ヵ所見つかっている。非常に面白いと思う。これからさらに発掘が続くと言う。注目していきたい。韓国では発掘見学会に何百人も集まることはないらしい。日本だとこれだけの発見なら何万人とやってくるだろう。
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済州島の抗日運動
つぎは97年に建てられた済州抗日記念館に行く。天安にある抗日記念館と違って拷問のジオラマはない。しかしここには1919年3.1独立運動に先立って1918年法正寺の坊さんが管理商人が海産物を独占したのに怒り、400人で官吏たちを襲った。韓国内では最初の大きな抗日運動らしい。その後、1919年朝天万歳運動、海女に対して入海料や独占価格を押し付けて反対運動を起こした1932年海女抗日運動に続く。ここにも日本語が出来るガイドがいたが、さすがに日本人の私が来るとびっくりしたようだ。しかし実際の独占価格は適正価格に対して大体どのくらいの比率だったかと聞くと、そもそもその資料がかない、というような事を言っていた。それでは日本人を納得させることは出来ないと思った。『官吏役人商人が日本軍人と結託して悪いことをした』『勇敢にも何人かが立ち上がった』それだけで17721坪、60億Wかけて建物を建ててしまうこの人たちの民族精神には頭が下がるばかりだ。

南の島の猟師町を歩く
抗日記念館そばの漁師町を歩いてみる。台風を避けるために各家には玄武岩の岩の塀が続き、家はソウルにあるような母屋と離れで構成される凹型である。海がきれいだ。下水設備が完備されているからなのか。人口が少ないからなのか。
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昼食は三陽洞遺跡のそばにある食堂で豚肉の焼肉料理を食べる。やっと一人でも食べれる焼肉料理にありついた。たくさん野菜を使って肉を巻く。韓国の焼肉料理は本当にヘルシーだ。

個人の民俗博物館にも寄ってみた。うーむ、学術的なものではないが、見た目の面白さだけはあった。

氷小豆に初挑戦
夕方、念願のハッピンス(氷かき)がなんとロッテリアにあった。通常2500Wがいまなら2000W。美味しく頂いた。なんとなく鹿児島のコグマアイスに似ているが、それよりも小豆とフルーツが多くて豪華だ。

夕食はハッピンスのせいでもう入らない。冷麺にする。麺は本格的ではない。不味かった。夕食なのに、初めて写真に撮ることを忘れていた。
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街中を歩いていると、「哲学館」と言うものがあってドキッとする。しかしよく見ると、占い館のようだ。このあたり5~6軒集中していた。韓国では占いは哲学なのだろうか。その近くの屋根にキリストの磔人形が乗っていた。写真ではわかりにくいが、赤く飛び出たところにさりげなく置かれているところが凄い。

PCバンに久しぶりに入る。ところが言語バーが出てこない。ローマ字だけでもコメントを、と思うと、なんとローマ字コメントは楽天は受け付けないことが判明。近況を『再出発日記』に伝えることは断念。いろんな日記を見て懐かしみ帰る。

15,000(宿泊代) 3,500(タクシー) 850(バス代) 700(三陽洞入場料) 7,000(豚焼肉) 850(バス代) 500(抗日記念館) 850(バス代) 2,000(民俗博物館) 850(バス代) 2,000(ハッピンス) 4,000(冷麺) 1,200(つまみ) 3,000(PCバン)







最終更新日  2007年07月06日 22時37分57秒
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2007年05月26日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
15日目 9月12日(火)

済州島に着く
フェリーは6時ごろおきると、すでに韓半島の島並は見えなかった。日本海に来ていた。雨が降っていた。今まで雨は小ぶりだったり、夜間に降ったりでたたられなかったが、済州島(チェジュド)ではずーと降るらしい。チェジュ市に着く。

観光案内所の紹介で朝早くから宿が決まる。1万5千WでTV、お湯シャワーつきのきれいな民宿である。設備としては大元旅館よりいい。

宿が早く決まったので、安心して洗濯ものをして乾かしていると、いつの間にか寝てしまい、気がつくと1時前だった。フェリーでよく寝たはずなんだけど、やはり疲れがたまっているのだろうか。

南の食べ物
昼飯にすぐ近くの大衆食堂で海鮮汁を頼む。副菜が8品目出てきた。南の田舎に来たんだな、と実感する。地元の人が汁をご飯に混ぜずに食べている。日本と同じだ。(韓国ではご飯と汁物が出てくると、たいていは汁にご飯を入れて混ぜて食べる。)
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チェジュ市には中央に川が流れていて、その川で1950年ごろ、中国人が船上生活をしていたらしい。その記念館があった。そのあと民俗自然史博物館まで歩いていく。川沿いに市場があり、沖縄に似た町並みを見る。火山の島の特徴と、森に囲まれ豊かな自然のあることを強調していた。民俗は韓半島の影響を色濃く残しながらも石抱き神事、海女民俗は日本に酷似している。面白い。

そのあと国立博物館に行く。石器時代は沖縄と同じく洞窟暮らしであり、土器の質も縄文と同じであるが(縄文土器ということではない)、日本列島の弥生土器の影響は無い。その頃は韓半島の影響が強い。と感じた。(上写真のの出土地域と下の「村が誕生した頃の土器」の写真を参照してください)
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国立博物館の近くにベトナム参戦で殉死した兵士を鎮魂する塔があった。(上の写真)わかったことは二つ。2002年建立と言うことは、現代でもこんな大きな鎮魂碑を作るだけの大きな力を持った遺族組織や支援団体が存在しているということ。韓国社会の中で、今でもベトナム戦争に対して肯定的な大きな勢力がある、ということだ。

海軍の町
バスを待っていると乗り過ごしてしまう。まだバスの乗り方がわからない。歩いて繁華街まで行く。焼肉屋で三人分以上じゃないと料理は出せれないよ、というので仕方なくユッケビビンバ6千Wを頼む。ユッケが甘い。副菜が渡り蟹とキムチ漬など。どれも美味しかった。もう副菜が美味しいとそこの料理すべてを許せるような感覚になってしまった。
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焼き肉屋で海軍の白い制服の男女が食べに来た。港にも軍艦が泊まっていた。博物館でも彼らがたくさんいた。まだ幼さが残る新米兵士たちなのだろう。研修で済州島のことを知ろうと博物館巡りをしているのかもしれない。

15,000(宿賃) 4,000(昼食) 1,100(自然史博物館) 3,000(タクシー) 1,000(国立博物館) 2,000(ジュース) 300(コーヒー) 13,000(本、土産) 6,000(ユッケビビンバ) 2,500(酒、つまみ)

訂正とお詫び
考古学のお仕事をしているといわれるshunshunさんよりご指摘があった。

三日目 8月31日(木)の記事で「支石墓は旧石器時代(日本で言うと縄文時代)の墓である」と書いてあるのは、「旧石器時代」→「青銅器時代」と訂正します。

8日目  9月5日(火)では
「櫛紋土器は、韓国新石器時代の土器です。日本の九州の縄文時代前期の曾畑式時は、韓国の櫛紋土器からの影響がみられる土器です。」と指摘を受けました。

2006年9月8日(金) 11日目では、国立博物館の写真で「日本の縄文土器」と説明している写真が韓国の土器の写真になっていました。貼りつけミスです。写真を入れ替えました。前の写真は韓国の櫛目紋土器だったのですが、一目見てわかるなんぞ、さすがプロだと思いました。

感心している場合ではないですね。重ね重ね、不正確な記事を書いてしまいまして、申し訳ありませんでした。shunshunさん、本当にありがとうございました。これからもそのようなことが多々あるかもしれません。そのときはお詫びして訂正するしかないです。私の記事はその程度のものなので、ないとは思いますが、何らかのレポートに流用するときはご一報くださいませ。(^_^;)


produced by 「13日の水曜日」碧猫さん






最終更新日  2007年05月26日 07時58分13秒
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2007年05月09日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
久しぶりに韓国旅行記を書いた。いったいいつになったら完結することやら。

二日続けて韓国旅行記を書いている中で「反日感情が厳しいところはどうも怖い」とか「反日教育もまだだったせいかもしれませんが、どこでも温かく接していただきました。」とかのコメントを頂いた。つまり『反日教育を受けた韓国の人と接するのは怖い』という想いのコメントである。これは別にそのコメントくれた方が特別なのではなく、一般的な日本人の多くが思っている感想だと思う。日本人は雨あられのようなマスコミの情報の雨に濡れて、一方的な見方をいつの間にかしてるのではないか。

想像力が求められているにも書いたし、5.3憲法集会の記事で高畑勲さんが「理性の力で想像力を働かせいろんな視点でものを見よう」と言ったとも書いた。私は韓国の人たちの日本に対する思いを少し想像してみようと思う。

昨日の記事で江華島は韓半島の玄関口に当たることから、古代から侵略と戦争に翻弄された島、ということを書いた。
朝鮮の歴史より
1018年、契丹の再侵入。姜邯賛の活躍により契丹軍を殲滅(亀州大捷)。
1232年、モンゴル帝国の侵略始まる。
1274年・1281年、元の2度の日本侵攻(元寇)への協力と出兵により甚大な被害をこうむる。
1592年-1598年、豊臣秀吉の2度の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役 - 韓国では「壬辰倭乱・丁酉再乱」と呼ぶ)で、全国土が戦乱の被害をうける。
1636年、清のホンタイジが朝鮮に親征(丙子胡乱)。朝鮮国王仁祖、南漢山城に篭城。
1866年、ジェネラル・シャーマン号事件。
1875年、江華島事件。日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件。
1876年、明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。
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写真は文禄・慶長の役 は有名なので省略し、元と丙子胡乱の侵略道を載せた。

安東で一緒になった金(キム)君が言っていた。「韓国人はいままで何度も何度も日本を含めて外敵の侵略を受けました。けれども、一度も外国を侵略したことはありません。たがら侵略されることには一段と敏感になるし、我々は正しいのだと誇りに思っているのです。」‥‥‥これがいうなれば、韓国人から説明される『反日教育』の内容だと私は思う。

相手は何度も何度もいじめにあった子供のようなものだ。この子供はほかの子供にもいじめられたし、日本という子供にもいじめられた。(日本にいじめられたのが一番徹底されていたし、一番最近だったという違いはある。)そういう子供が、大人になって日本にだけ時に感情的な言葉を投げつけたとして、大人たる日本は怒ったり、恐れたりするべきだろうか。彼は決していじめるほうには加担しなかった。(ベトナム戦争は彼の唯一の恥だ)彼は誇りある青年に育った。日本は彼の生きてきた人生に率直に心から謝り、素直に話をし、チング(友達)になることが出来るのではないか。

昨日の55歳の男を見よ。『コイズミ、ヤスクニ』と言ったとき、『日本よ、おまえはまだ馬鹿をやろうというのか』と言いたかったのではないか。全然怖い話ではない。つくづく会話力がないのが悔やまれる。

このようなことは確かに、いってみて初めて分かった事ではある。そんなこと知らないのだから仕方ない、とみんなは言うかもしれない。それは確かに正しい。でも、少し調べたら、そんなことは旅に出なくてもわかったことである。

私の言いたいのは『多様な視点を持とう』と言うことだ。その姿勢を持とう、と言うことだ。そのとき、『想像力』は大きな力を発揮するだろう。









最終更新日  2007年05月09日 22時53分17秒
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2007年05月06日
テーマ:韓国!(12629)
カテゴリ:韓国旅行記
14日目 9月11日(月)

朝6時半に四泊もしたソウルを発つ。新村(シンチョン)でバスターミナルを探して3人もの人に道を聞く。また当てどの無い旅が始まった。

侵略と戦争に翻弄された島、江華島
江華島(カンファド)に着くと、荷物を観光案内所に預けて、定例の江華歴史博物館に行く。地図の上では隣にあるのだが、歩いてみると3キロ。40分かかった。このままでは今日の予定は消化できない。困ってしまう。

江華島は韓半島の玄関口に当たることから、古代から侵略と戦争に翻弄された島だ。青銅器時代には有名な江華支石墓がある。高麗王朝時代には外的が進入するたびにここに遷都して王都としての役割を果たす。蒙古、拾丹(契丹?)、紅巾賊の侵略にあう。朝鮮王朝時代、丙子胡乱にあう。そしてフランス軍艦事件、米軍軍艦事件と続いて日本軍艦事件(江華島事件)となる。明治軍部はこの事件を足がかりとして、朝鮮半島の侵略を強めていった。
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歴史博物館のそばに砲台跡が残っており、そこから海岸線に向けてずっと鉄条網が続き、韓国軍の監視所も見える。未だにここは緊張の島なのだ。時々軍事ヘリが空を切っていく。

議論に応えれず、忸怩たる想い
昼食は地元の食堂に行く。隣の二人組が煮魚の美味しそうなものを食べていたので、あれと同じものがほしい、と食堂のおばちゃんに言ったらダメだ、という。どうやら一人では食べれないらしい。隣の人が「日本人か」とたずねてくる。「コイズミ、ヤスクニ」と言ってきた。大変申し訳ないのだけど、議論できる会話力は無いと判断した。日本的笑顔を返すとそのことはすぐに話さなくなり、この定食が「白飯(ペッパン)」だと言うことを教えてくれる。年を聞いてきた。俺たちは55歳と54歳だと言う。日に焼けて壮年のたくましい労働者に見えた。ズボンは軍のお下がりか迷彩服だった。年の多いほうが始終話をし、お金を二人分払って出て行った。私は昼食はソモリクッパブというのを食べた。牛のこりこりとした贓物が入っていた。何だったのかわからない。辞書にも載っていなかった。写真は55歳の彼とソモリクッパブ。。無断写真なので真っ黒です。すみません。
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江華支石墓、2000人の村の証拠
バスを乗り換え、世界遺産、江華支石墓に行く。観光案内所にラッキーにも日本人がいた。結婚してここに来て、今は見習いでここにいるという。隣の女の人は偉い先生なんだ、と言うので、彼女を通訳としてガイドを頼んだ。ここの支石墓は韓国最大のもので、50トン。北方支石墓の特色であるが背が非常に高い。かつて光州近くで支石墓を見たときはすぐそばに石の切り出し山があった。ここはどこから石を運んできたんですか、と聞いたら、場所は特定できないが近くの山だという。相当な労力が要ったでしょうね、というと、この石を運ぶのに必要なのはおそらく500人だっただろう。しかしそれは壮年男子の数であって、村の総人数は2000人くらいだったろう。それだけの人間を動かす巨大な王権がこの頃、青銅器時代、2500~3000年前に存在していたと言うことだ。
この支石墓の形に土をかぶせると慶州の古墳になるし、やがては日本の古墳にも繋がっていくのではないか、と質問したが、そんなことは考えたこともなかったと言う表情で「そうかもしれない」と答えたのみだった。
南で見た支石墓と比べると確かにここのは際立って大きい。しかし、なんとひとつだけしかないのだ。南のそれが群集していたことと比べると大きな違いだ。この平野に見える土地は当時は海辺だったらしい。驚いた。わずかな小山に聳え立つ巨大な王の墓。2000人にも及ぶ人が生活する村。昔の風景がふと見えた気がした。終わったあと街中に戻り散策。王の都となっただけあって、城郭の要たる立派な門が残っていた。
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フェリーで済州島へ
バスで仁川(インチョン)ターミナルに着く。タクシーで港に急ぐ。間違って港を間違える。タクシー代も倍近くついたし、時間も30分遅れる。運転手は謝りもしない。今回の旅で唯一と言っていいほど不快だったのはタクシー運転手の金に汚いところとこのマナーの悪さである。

フェリーにカードを使うと、暗証番号を押せという。びっくりした顔を見せると、引っ込めてくれた。どうでもいいのだろう。パスポート番号は必要だった。これで一挙に済州島(チェジュド)まで行けて、宿泊も出来て、5万35百Wなのだから安いと思う。

焼酎とつまみを買って夕食には備えていたのだが、好奇心で船の夕食も食べてみた。セルフサービス方式。ご飯と肉汁、キムチ、きゅうりのキムチ、貝の煮付け、いかと瓜の油いため、大根の煮付け、全部辛い料理だったが、海の大衆食らしくて美味しかった。
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船は関釜フェリーと一緒で三等の雑魚ね。快適である。財布とパスポートはズボンのポケットに入れて万が一にも盗まれる心配は無い。おばさんもいる男女同室である。10時には消灯になった。

1300(入場料) 5,700(4回バス代) 5,000(昼食) 12,000(タクシー) 53,500(フェリー代) 3,400(つまみ、酒) 5,000(フェリーの夕食)








最終更新日  2007年05月06日 09時09分30秒
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