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08読書(フィクション)

2008年12月03日
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師走の風のなか、三万人以上の首切り(厚生省調べ)の世を歩いていると、同じように感じる人が多いのか、薔薇豪城さんもあの人のことを書いている。
自意識
自意識が大きくなると、「あたかも炎症を起こしているかのように腫れあがっており、今や風に当たっても痛いという「自意識の痛風」に陥って」行くと言う。元厚労相幹部を殺してしまった小泉某もその類だと言うのである。

私のいうあの人とは小泉某のことではなく、ましてや小泉躁のことでもなく、同じく自意識過剰気味の知識人夏目漱石のことでもなく、やはりおおきく自意識過剰気味のところもあった石川啄木のことである。

このまえ、石川啄木の「一握の砂」を買った。初版本の体裁(四首見開き)で作り直した文庫オリジナルである。

一握の砂
この歌集に恋愛の典型を見る人もいるかもしれない。けれども、私は今回読んでみて、石川某は一歩間違えれば、小泉某や加藤某になったかもやと思った。もちろん、かれは自分の感情をみごとな三行詩にまとめる力がある。その前で止まることは出来ただろうと思う。そして結核症による全身衰弱で石川啄木はは26歳で死んでしまう。その点ではまさに格差と貧困の犠牲者でもあった。

次に紹介する詩を書き写しながら、現代に甦る青年を見た気がする。

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ

こみ合える電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ

浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心

いつも遇ふ電車の中の小男の
稜(かど)ある眼
このごろ気になる

鏡屋の前に来て
ふと驚きぬ
見すぼらしげに歩むものかも

こころよく
人を讃めてみたくなりにけり
利己の心に倦めるさびしさ

大いなる彼の身体が
憎かりき
その前にゆきて物を言ふ時

    「彼」とは東京朝日新聞主筆、池辺三山。会社の上司である。

気の変わる人に仕えて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな

つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし

一度でも我に頭下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

あまりある才を抱きて
妻のため
おもひわずらふ友をかなしむ

  たぶんこれは自分のことだろう。

打ち明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友と別れぬ

どんよりと
くもれる空を見ていしに
人を殺したくなりにけるかな

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

この次の休日(やすみ)に1日寝てみむと
思ひすごしぬ
三年(みとせ)このかた

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

なにかひとつ不思議を示し
人みなおどろくひまに
消えむと思ふ

わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く

  どうだろうか。なんか無差別殺傷事件を起こした者の遺した歌に見えないだろうか。






最終更新日  2008年12月04日 03時31分32秒
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2008年11月16日
「魔王」の発表が2004年の12月。小泉という時代の申し子が自民党に歴史的な大量得票を与えた一年前に、伊坂はこれを書いた。犬養という歯に衣をを着せぬ言動で急激に人気急上昇中の野党政治家について、主人公の安藤はこのように言う。「国民は犬養の思うがままに誘導される。説明もないのに、いいように解釈して、物分りがよく、いつの間にかとんでもないところに誘導される。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」「仕方ないよ。こんな状況なんだし」となんて思っているうちに、とんでもないことになる。」

今回の伊坂のテーマは「政治」である。
この文庫収録の安藤弟が主人公の続編「呼吸」では、犬養は首相になっていて、国民投票がテーマになる。


「魔王」伊坂幸太郎 講談社文庫

(「BOOK」データベースより)
会社員の安藤は弟の潤也と二人で暮らしていた。自分が念じれば、それを相手が必ず口に出すことに偶然気がついた安藤は、その能力を携えて、一人の男に近づいていった。五年後の潤也の姿を描いた「呼吸」とともに綴られる、何気ない日常生活に流されることの危うさ。新たなる小説の可能性を追求した物語。

主人公が冒頭のようなことを言っていたからといって、この小説は反ファシズムを訴えた作品だと判断すると、いつものように読者はどこかに置いてけぼりを食うだろう。だけど、単にゲームのように愉しめばいいのだ、と思っている読者がいたら、やはりそれも置いてけぼりを食う。

言い換えれば、この微妙な匙加減が、伊坂幸太郎という小説家が現代に受けている秘密なのだろうと思う。伊坂はなかなか本音を見せない。そしてとても頭がいい。そしてとても誠実である。一言で言えば、現代的に「やさしい」のである。

伊坂の立ち位置はどこか。
私はそれを見つけたような気がした。
主人公の兄弟の言葉ではなく、弟の奥さんのこの言葉がそうなのではないか。少し長いが、引用したい。

「ムッソリーニの話なんだけど」店を出て、会社まで歩いているところで、蜜代っちが言った。
「犬養?」
「ううん、今度は本物のムッソリーニ」彼女は笑う。「ムッソリーニは最後、恋人のクラレッタと一緒に銃殺されて、死体は広場に晒されたらしいんだよね」
「あらら」
「群衆がさ、その死体につばを吐いたり、叩いたりして。で、そのうちにね死体が逆さにつるされたんだって。そうするとクレラッタのスカートがめくれてね」
「あらら」
「群集はさ、大喜びだったんだってさ。いいぞ、下着が丸見えだ、とか興奮したんじゃないの。いつの時代もそういうノリなんだよ、男たちは。いや、女たちもそうだったんだろうね。ただ、そのときにね、一人ブーイングされながら梯子に昇って、スカートを戻して、自分のベルトで縛って、めくれないようにしてあげた人がいたんだって」
「あらら」私は言いながらも、そのときのその人の立つ状況を思い浮かべ、その度胸に圧倒された。「それはまた勇敢な」お前はその女の肩を持つのか、と罵倒され、暴力をふるわれても文句が言えない場面だったのではないか。
「まあ、実話かどうかわからないけど、なんだか偉いなあ、とは思うのよね」蜜代っちは大切なものに息を吹きかけるような口ぶりだった。「実は、わたしはいつも、せめてそういう人間にはなりたいな、と思っていたんだ」
「スカートを直す人間に、ってこと?」
「ほかの人が暴れたり、騒いだりするのはとめられないでしょ。そこまでの勇気はないよ。ただ、せめてさ、スカートがめくれているのくらいは直してあげられるような、まあ、それは無理でも、スカートを直してあげたい、と思うことぐらいはできる人間でいたいなって、思うんだよね」


この人気絶頂の時期に、敢えて、小泉人気に棹差すような小説を、しかしスカートを直すだけの小説を、しかし影響力ははあるからとても効果的な反ファシズムの小説を作る、それが伊坂幸太郎の立ち位置なのだ。この小説の50年後の世界、「モダンタイムズ」が上梓されたという。どういう小説なのだろう。興味はあるがやはり文庫になるまで待つんだろうな。







最終更新日  2008年11月16日 22時28分37秒
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2008年10月20日
いつからこんなに涙もろくなったのだろうか。人が死ぬ話の「その日のまえに」を読んだときには、死ぬ話だから当たり前だと思っていた。けれどもこの短編集では、ひとは一人しか死なない。けれども、やっぱり喫茶店や食堂でずいぶんとごまかすのに苦労した。私は家で本を読む習慣を持っていない。もう20数年間、食べる時間が読書の時間であり、ふとした待ち時間が読書の時間だった。だからどうしても人前で読んでしまう。小学生から、中学生にかけて、いじめや、誇りや、不安や、後悔、そしてぱっと世界が開けたときの感動、そんなことに触れて涙がでて止まらない。

きみの友だち新潮文庫 重松清
重松清は本当にずるい文章を書く。
ピュアな彼女や彼らたちが、試練に会う。
そして克服していく。
押し付けでない感動にやられてしまう。

私が子供の頃には「いじめ」という高度に洗練された社会的なパワハラはなかった。と私には思える。だから彼ら彼女たちが極度に「一人ぼっち」を恐れる心情をイマイチ理解しきれていないと思う。でも、「小さい者たち」が必死に頑張る姿にはやはり世代を超えて訴えるものがあるだろう。

これは、映画化されているという。この群像劇をどのように処理しているのか、何とか時間を見つけてみて観たい。






最終更新日  2008年10月20日 22時49分47秒
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2008年10月06日
本当は長い長い前ふりを書こうと思っていた。例によって、本の内容とは直接関係ないことで、私の経験のことを書こうと思っていた。
けれども、書こうとして書けなくなった。覚えていないということではない。もう2年半前になるけど、はっきりとあのときの会話や気持や風景は覚えていて、決して忘れない10分間ほどの時間だった。きっちり書けば軽く制限の5,000字を越える。書くことで、この本の本質も伝えることが出来るかもしれないし、私にも防備録になるし、父親が生きていた証にもなるかもしれない‥‥‥。父から病気のことを教えてもらったときのことである。

でも書けなくなった。不遜だと思った。馬鹿なことを考えていたと後悔した。

よってこの本のこの一節を書き写して、この本の紹介としたい。この本は、ガンで死んでいく人々のことを扱った連作短編集である。

その日のまえに
 精密検査の結果が出るまでの一週間で、最悪の事態の想像は、塗り絵を仕上げるようにあらかた済ませていた。毎晩、会社帰りに一人でカラオケボックスに入った。マイクがハウリングを起こすほどの大声で叫び、ソファーのクッションを壁に何度もぶつけ、タンバリンで頭をめちゃくちゃに叩いた。運命としか名づけられないものにありったけの罵詈雑言を浴びせたあと、子供のように泣きじゃくった夜もある。自ら望んだ告知も断ろうかと携帯電話を何度も開いたが、そのたびに、妻に重荷を背負わせるのはずるいだろうと思いなおした。自分が死んでしまうことよりも、父親を喪ってしまう子供たちの悲しみのほうが胸に迫る。子供たちの寝顔を見た後はトイレに入って涙ぐみ、朝になって「おはよう」の挨拶を交わしたあとは洗面所で顔を洗いながら、やはり涙ぐんだ。
 そんな一週間を過ごしたせいか、実際に告知を受けてみると、自分でも驚くほど感情は平坦だった。冷静に事態を理解して受け止めているというより、感情のどこに爪立てればいいのかわからない。「胸にぽっかりと穴が開く」と言うのは、ただ言葉だけのものではないのだと初めて知った。


例えば、「潮騒」の主人公の男はこのように反応した。ひとりひとりに不幸は違う色でやってくる。小説だからこそ書けることがある。重松清以上に私にそのことが表現できるはずもない。不遜だったというのはそのことだ。

「電車のかなでは決して読んではいけない小説」と言うことで、テレビで紹介されたらしい。その通りだと思う。それに付け足していう。イオンショッピングセンターのフードコーナーのような人前では決して読んではいけない本である。







最終更新日  2008年10月06日 23時28分49秒
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2008年10月01日
今日は世間一般では衣替えである。台風が近づいて来ているというのに、ビルの切れ目は雲ひとつない高い空。夏が去り、秋が来た。

少し長いけれども、夏の終わりに紹介しようと思っていた詩を書き写す。1950年18歳の少年の詩である。

ネロ   愛された小さな犬に

ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる

お前はたった二回ほど夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウィリアムスバーグの夏
オランの夏
そして僕は考える
人間はもう何回位の夏を知っているのだろうと

ネロ
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気付けてくれるようなこと 僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうすべきなのだろうと

ネロ
お前は死んだ
誰にも知られないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持までもが
今はっきりと僕の前によみがえる

しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ さらに新しい夏に期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために


1950年、不登校の息子に業を煮やした評論家の谷川徹三が「お前はどうする気なんだ、大学にも行かないで」と問い詰めた。息子はやむえず「僕はこういうものを書いています」と二冊のノートを差し出す。それを読んだ徹三は友人の三好達治に相談し、その年「文学界」という雑誌に息子の詩が六篇載る。そのうちの一編がこの詩であり、そのノートはやがて詩人谷川俊太郎の処女詩集になる。

二十億光年の孤独
ここにあるのは、みずみずしい感性を持った若者が人生の朱夏の入り口で畏れそして決意しているさまである。

そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうすべきなのだろうと

若者はそうして戦後の荒波の中に入っていき、58年が過ぎた。私なんかは夏が終わり、人生の白秋をむかえつつある現在、資本主義の矛盾が何度も何度も新しい段階を迎え改憲さえ叫ばれ、先が見えないこの世の中はなんなのだろう、何故なんだろう、どうしたらよいのだろう、と未だに彷徨している。

世の中に新しい谷川少年はいるだろうか。






最終更新日  2008年10月01日 23時28分48秒
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2008年09月10日

震度0横山秀夫 朝日文庫
横山秀夫は文庫本になるとかならず読むことにしている作家の一人。この朝日文庫に関して言えば、同じく読むことにしている宮部みゆきの「理由」が朝日文庫だった。「理由」は視点(語り手)をくるくると変えながら、事件の本質を抉り出し、同時にその過程で家族をめぐる日本の姿を抉り出した力作であった。この小説も(「理由」ほど登場人物は多くないが)N県警察本部の6人の主要幹部(本部長<46歳キャリア>警務部長<35歳キャリア>警備部長<51歳準キャリア>刑事部長<58歳ノンキャリア>生活安全部長<57歳ノンキャリア>交通部長<57歳ノンキャリア>)の視点でくるくる変えながら、事件の本当の姿に近づいていく。

(「BOOK」データベースより)
阪神大震災の前日、N県警警務課長・不破義仁が姿を消した。県警の内部事情に通じ、人望も厚い不破が、なぜいなくなったのか?本部長をはじめ、キャリア組、準キャリア組、叩き上げ、それぞれの県警幹部たちの思惑が複雑に交差する…。組織と個人の本質を鋭くえぐる本格警察サスペンス。

結局この本で言いたいのは、最後の方である人の言うこの言葉に尽きるだろう。
以下完全ネタバレです。犯人がわかってもOKという人だけ反転してください。

行方不明の不破の奥さんは言う。
「主人から色々聞かされていましたので、役所のことも分っているつもりでした。でも、ひとりも心配してくれないなんて‥‥‥。役所の人があまりにも身勝手に感じられて‥‥‥。同じ役所の人間がいなくなっているというのに、生きているか死んでいるかもわからないのに、手帳はどうした、机を開けろ、新聞記者に気づかれるな、役所のために嘘をつけって‥‥‥」

不祥事が起きたならば、将来がなくなるのが警察幹部である。だから彼らの行動は「保身」が最優先される。「命」が優先されない。泰山鳴動し、遠く離れた神戸では5000人以上の人が死につつあったそのときに、この警察官舎では鼠一匹ならぬつまらぬ男の欲がらみの意地だけが残るのである。


横山秀夫の小説は「男の意地」つまり「矜持」を美しく謳いあげる小説が多いが、この小説は見事に「汚く」描いている。その意味では、この6人の物語は、現代の霞ヶ関の5人の物語にかぶるだろう。

さて、明日の夜から深夜バスで日曜の夜まで千葉の方に出張です。もしかしたら、明日の夕方もう一本記事がかけるかもしれませんが、一応月曜まで記事はお休みです。空いている時間で、千葉の遺跡めぐりをする予定です。






最終更新日  2008年09月10日 22時54分43秒
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2008年08月19日

容疑者Xの献身東野圭吾 文春文庫
直木賞受賞作である。しかも今秋映画化。ついつい買って、一週間目。最後の半分はつい今さっきまで読んでいました。面白いことは面白い。けれども、東野圭吾の最高傑作ではない。結局は単なる謎解き小説に終わっている。私が湯川学「ガリレオ」シリーズよりも、『私が彼を殺した』『悪意』『眠りの森』などの加賀恭一郎シリーズが好きだということも影響している。

直木賞はやはり「白夜行」のときに上げるべきであった。ついでに言えば、萩原浩や北村薫にもさっさと上げるべきだ。

話がそれた。この小説は、こんな粗筋である。
花岡靖子は娘・美里とアパートでの二人暮らし。物語は靖子の元夫、富樫慎二が彼女の居所を突き止め、訪ねてきた事から始まる。どこに引っ越しても疫病神のように現れ、暴力を振るう富樫を靖子と美里は大喧嘩の末、殺してしまう。今後の成り行きを想像し呆然とする母子に救いの手を差し伸べたのは、隣人の天才数学者・石神だった。

最初に犯罪の首謀者が割れている。あとは探偵がどのように犯人を追い詰めるのか、と言う話だと思っていたら、やはりしっぺ返しをくう。意外性があるからこそ、最後まで本を置くことができないのではあるが、じつは最後はあまり意外性が無い。

これだと映画化されたとき、必ず原作より違う話になるはずである。そうでないと、原作を読んで映画を見た観客からブーイングが起こるだろう。そこで映画のラストについて推理してみる。

物語の鍵を握る石神哲哉には堤真一を配している。彼の演技の幅は広い。けれども一貫して朴訥な人物を演じているのでその路線で行くだろう。問題は北村一輝が柴咲コウの相棒刑事草薙俊平役になっていることである。原作では柴咲コウの役を草薙俊平がするのではあるが、草薙俊平は今回は独断でいろいろと動くので少し癖のある北村一輝を配したのだろう。となると、草薙俊平が暴走して石神を殺すことになるのだろうか。彼が一人で石神を追い詰め、石神は「計算通り」に自殺するのである。まあありふれた脚本ではある。

もうひとつの可能性は、石神は実は人間を愛したのではない。と言う結末なのであるが、これは十分「論理的」なのであるし、意外性はあるし、シュールなのだが、いかんせん、人間的ではないので脚本的にはイマイチである。

さて、結果はいかに。あと二ヵ月半後に分ります。この原作で、感動作は作れないと思うのであるが、果たして私を裏切ってくれるだろうか。







最終更新日  2008年08月20日 00時57分48秒
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2008年08月15日
今日で初盆が終わりました。こちらでは盆のことを「ぼに」と言います。こちらだけなのでしょうか。

去年年末から今年にかけて、父親の病床の前で読んでいた本のひとつはあさのあつこの本でした。基本的にあっという間に読める本が良かったのです。あっという間に三冊読みました。

   
「The manzai」の三巻目と四巻目。ボケの貴史とツッコミの歩―。中学生のにわか漫才コンビ「ロミジュリ」を中心に繰り広げられる、ちょっと切なくてかなり笑える青春ストーリーである。なかなか癒された。

二年前に「あさのあつこのデビュー作「ほたる館物語」」と言う記事を書いていて、じつは二巻目もひそかに読んでいたのだが、このとき三巻目が文庫版になっていて、読んでみた。

主人公の一子は、山のおばあさんが未だに息子の修平が出征するときに「生きて帰って欲しい」と一言言わなかったことを悔いていることを知る。一人暮らしのおばあさんは未だにそのことで毎日苦しんでいる。一子たちはそのことを学級新聞に書こうと決心するのだが‥‥‥。少年少女のために物語を書き続けてきたあさのは決して説教くさい物語は書かない。

今日届いた講談社からのMLであさのが最新文庫の宣伝で、このような文を書いていた。昨日「(戦争を引き起こす)芽は育ち始めているのかもしれない」と書いたが、あさのあつこも同じような問題意識を持っているような気がする。

『NO.6 #4』を書いていたころ、いや、このシリーズを書いている間中、わたしはずっと「希望」ということを考え続けていました。
  希望とは未来を信じること。
  今のこの世界で、わたしは本気で未来を信じながら、ものを書いているのだろうかと。今でも考えています。(このシリーズ、まだ続いているものですから)。
  考えても、考えても、どうにも答えがつかめません。
  絶望しているわけではないのです。こんな時代ですから、危機感は相応にもっているつもりなのですが(的確ではないかもしれませんが)、絶望しているわけでも、諦めているわけでもないのです。でも、真実の希望をどこまで
 手にしているかと問われれば、首を傾けるしかないのです。心許ない話なの
 ですが……。
  飢餓、戦争、破壊、貧困、殺人、絶望……。
  人の内側でも外側でも、変化はおこり、大きくうねり、わたしたちは急流に浮かぶ笹舟のように、いつ渦に巻き込まれてもおかしくないような日常を送っています。
 『NO.6 #1』を書き始めたころ、まだ微かでも瞬いていた希望の光は、もはや、わたしの視力では捉え難くなりました。
  わたしの視力が鈍ったのか、
  光が衰えたのか。
  あれ? またなにやら、愚痴っぽくなってきました。用心、用心。物語は愚痴やら言い訳をなにより忌み嫌います。同時に、未来を信じるための足掻きを促すのです。
  こんなものさと斜に構えたところからも、どうでもいいやと投げ捨てたところからも、物語は生育しません。僅かな光に目を細め、そろりと半歩、進みだす。その半歩からしか生まれないのです。
  自分の半歩を信じることが、未来を信じることとどこかで繋がるのかもしれません。
  この物語を読んでくれたあなたとともに、そろりと半歩、踏み出してみましょうか

  二〇〇八年 夏


さて、今日で柔道が終わった。男子は二個しかメダルが取れなかった。あとは全部初戦近くで敗退。それは、日本柔道が世界柔道に負けた、と言うことではない。心技体が必要な柔道なのに、特に心が無かったためである。それだけだ。(田村に関しては心ではなく、たいが無かった)ともかくいつものことだけど、これで私のオリンピックは終わり。明日からたった三日間だけど、今年初めてのぶらぶら旅に出かける。大阪辺りをうろつこうと思う。もしかしたら、メールで記事を書くかも。






最終更新日  2008年08月15日 23時42分34秒
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2008年08月11日

剣客商売(6)池波正太郎 新潮文庫
藤沢周平を久しぶりに読んだあとに、久しぶりに池波正太郎を読みたくなった。藤沢ほどではないけれども、池波も大好きな作家で、「仕掛け人・藤枝梅安」は最終巻まで、「鬼平犯科帳」は20巻ぐらいまで、そしてこの「剣客商売」シリーズは5巻まで読んでいた。まだテレビシリーズが始まる前である。

池波正太郎にはまた池波なりの味があって、男気があって好きなのだ。気持ちのいい保守主義を愉しむという面もある。

「剣客商売」は63才ながらまだ剣の腕前は人を寄せ付けない秋山小兵衛と朴訥の息子である剣豪秋山大治郎に、田沼意次やその娘の三冬が絡み、いろんな事件を解決していくというもの。田沼意次がまだ収賄政治家の象徴のようにみられていた時に、この作品ではいち早く経済手腕に優れた政治家として登場させている。小兵衛は世間の酸いも辛いもよくわかった御仁で、しかも若い女房を嫁にして全然ストイックではない。

この巻ではついに大治郎と三冬が結婚に至る。その祝いの席で田沼意次は小兵衛に囁く。結婚に至るきっかけになった事件について曰く、「今このときになって抜け荷が行なわれるとは、つくづく情けない。一日も早く国を開き、異国との交易を盛んにしなくては、いまに日本の天下は立ち行くことがかなわなくなる。そのときを夢見て、私も働いているのじゃが、なかなか思うようには行かぬ」田沼意次が開国論者だと描いて見せるのである。日本はそれから何10年もたったあとに開国に踏み切るわけだから、先を見通した政治家であった、といいたいのだろう。真偽はともかくとして、池波らしい政治家像である。

またあるとき小兵衛は嘆息して曰く「戦国の世が終わり、徳川将軍の下に天下泰平が何百年と続いているのは結構なことだが‥‥‥わしはな、かえって戦乱絶え間なかった頃の方が、人のいのちの重さ大切さがよくわかっていたようなきがするのじゃ。今は戦の恐ろしさは消え果た代わりに、天下泰平になれて、生死の意義を忘れた人それぞれが、恐ろしいことを平気でしてのけるようになった。」戦争を潜り抜けた池波が言うから説得力がある。

池波正太郎が自民党支持者であったのは、本人が何度も書いているから、明らかである。けれども池波は決して弱いものいじめは許さない。政治家の奢りは許さない。池波のような人ならば、十分に納得できる保守主義者である。池波は時々エッセイで、自民党の腐敗ぶりついては苦言を呈していた。どんな人がいうよりも、池波のような人がいえば自民党も堪えただろう。惜しい人を亡くした。もうずっと前だけど。






最終更新日  2008年08月11日 07時05分05秒
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2008年08月07日

時雨みち藤沢周平 新潮文庫
映画「山桜」を観て、藤沢周平フリークの私としては、読んだ覚えの無い話だったので、原作本を買ってみた。はたしてあと数冊残っているはずの未読本の一冊だった。久しぶりに藤沢周平の世界を堪能する。

全体的に「意外なラスト」集だといっていい。海外サスペンスがすきだった藤沢の面目躍如たる短編集である。

「山桜」に関して言えば、やはり原作が上だった。映画の田中麗奈はがんばってはいるのだか、例えばラストの処理など原作の方がはるかに印象に残る終わり方なのである。
映画の方が優れていると思ったのは、原作には無い嫁ぎ先の姑の人物造型である。磯村の姑を永島暎子が演じていて、いかにも憎たらしげでしかもプライドもある役。富司純子が演じる東山紀之の母親と好対照になっていた。

以下幾つかの短篇を選んで短評。

「帰還せず」
まるで「第三の男」みたいな展開。藤沢らしいのは、男が死んだあとに女の情が残るところ。

「飛べ、佐五郎」
KYな男の顛末。

「滴る汗」
秀作である。慎重の上にも慎重を重ねた公儀隠密に掛けられる初めての疑い。の可能性。彼は唯一の証拠をどのように処理するか‥‥‥。一人称で語る文体。男がどこで間違えたのか。それは客観的な読者であるわれわれは知っている。

「幼い声」
ちょっと意外なラスト。「新ちゃん、またね」といったその声だけが後々残るという仕組み。

「亭主の仲間」
映画「ノーカントリー」を思い出した。明確な根拠の無い、底なしの悪意と言うのはどこかに存在するのかもしれない。

「おさんが呼ぶ」
題名から察するに最後は失語症の「おさんが呼ぶ」のだろうと推測する。男に愛の告白をするのだろうか、しかしこの時代にはそぐわないと否定する。男が危機のときに思わず叫ぶのだろうか‥‥‥。というような最後の場面を想像しながら読んだ。ラストは意外にも‥‥‥。






最終更新日  2008年08月07日 07時44分21秒
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