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台湾2015

2017年02月05日
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カテゴリ:台湾2015

地下鉄大安駅から台北駅に戻る。駅構内に、故宮の品が一部展示されていた。行くことはできなかったので、こんなものを見て楽しむ。これは清の乾隆帝の粉彩幡桃天球瓶である。


絵付けに技術があるのだと思う。


これは大福字軸。インドや清、ベトナムや日本などの美術品の模様を、文字の中にそれぞれ借りているらしい。金持ちの道楽ですね。


すっかり雨が止んだ。でも傘はなんか気に入って持って帰ってしまった。いつか捨てよう、として午前中一緒に歩いて、なんか情が移ったのかもしれない。ものすごく邪魔だった。さて、チェックアウトして、桃園飛行場行きのバス乗り場に行く。前回は、台北駅の西側だったけど、念のためにホテルスタッフに確認すると、なんと今は駅の東側に移っているという。確認して、ホントに良かった。


相変わらず、ものすごい行列になっていた。


バスに乗って感心したのは、事故の時の脱出の仕方を中のテレビで説明していたこと。窓ガラスを割るための「車衝撃波装置」や、天井から脱出するための脱出口を備えているのは、日本でも見習って欲しい。


チケット口は、やはり大きな行列。しかし案外すぐに順番が来た。


あと一時間少しあったので、昼食をとる。予約できないので、飛行機の中で食べれないからだ(と思ったら今回は食べれた。もう!こんなのは事前に知らせて欲しい!予定が立たない!)。美味しくはないけと、腹に入れる。


タピオカ入りのパパイヤミルクがあったので、食後の珈琲代わりに飲む。


その他、定番のお土産お菓子などを買っていたら、少し出発の10分前になった。
少し急いでいたら、放送がかかった。CAが待っていた。
「ラストですか?」「そうです」「えっ⁉まだ10分もあるのに‼」


ところが、タイガーエアラインはバスで移動だったのだ。皆さんをだいぶ待たしたようだ。ごめんなさい。


バタバタして、慌ただしく空を跳ぶ。比較的明るく窓側の出発は初めてなので、バチバチと写真を撮る。台湾の街並み。


こんな感じ。


因みに、この席は二列目でした。一人旅の者はいつも真ん中あたりに座らせると、ここに来る時に書いてごめんなさい。台湾の山並みも、少しだけ雲の上から顔を覗かせている。


二時間と少しで日本に着いた。これは見にくいかもしれないが、高知湾である。


四国の山並み。


遂に岡山空港に近づく。


これは私だからわかる、日本第四位造山古墳である。我が郷土は、やはり優しい。小さい空港なので、全てがコンパクト。荷物も手荷物だけなので、税関も最初の頃にすっと通って、空港の無料駐車場に着いたのが、到着してから約30分後だった。ともかく遅延もなく、無事に着いてホッとした。日本はやはりひんやりと寒いけど、思ったよりも凍れるほどではなかった。旅の間中、歩いている時はいつも少し暑かったが、それは荷物を少なくするために冬用の服と、時にはジャンバー付きで歩いたためである。日本に帰って、そのまま外に出てもそれ程寒くなかった。後で聞くと、暖冬の正月だったらしい。今年は、正月の雰囲気は一切感じないまま、年を越した気がする。タイムワープした気分。

台湾の旅で、掴んだことは三つ。
(1)台湾の古代文化は、ある時期までは日本を凌駕している。
(2)台湾人の日本に対する好感は、国民党政府への反発だけではなくて、ちゃんと歴史がある。
(3)台湾の食への理解は、まだまだ道半ばである。

また、来たい。台湾元も1200ほど残しちゃったし。

傘70 朝食110 お土産570 バス125 昼食245 お土産578
計 1698元
歩数 32822歩(←凄いでしょ?朝の散歩でこれだけ歩いたようです)






最終更新日  2017年02月05日 22時41分18秒
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2017年02月04日
カテゴリ:台湾2015

中正区を永康街に向けて歩く。庶民の路地裏は、店が連なり、バイクや車がどんどん入ってくる。


保育園の玄関では「メリークリスマス」と「ハッピィ・ニュー・イヤー」が同時に飾られていた。


名前も知らない市場に突然入る。雨脚が強くなった。服や野菜や肉や魚が雑然と店を連ねる。地域の台所は、スーパーではなく、まだこのような市場が担っているのだろう。


実はそのあと、有名な永康街という夜市を通った。ところが、あとで見ると写真は一枚も撮ってなかった。あまりにも観光観光していて、興が削がれたのである。この地図の1番上が永康街。赤い点のところにこの地図があって、ここからは下に行くと、日本家屋を保存しているところがあるという。観光地化して居ないけど、地元の人が大事にしているのは、こういうところなのだ。


だから、路地もこんな楽しいペイントをする。近くに大きな図書館があるのである。


車が入っていこうとするところが、日式宿舎群である。


六軒保存している。


窓枠や意匠等に特徴があるらしい。


ちょっと手を入れただけで、材料含めてきちんと保存しているところに感心した。


しかも、人が住んでいる雰囲気がある。


雨が多く湿気が高い土地からか、基礎がかなり高いことに気がつく。


これはそこから向かいの大道を挟んだ現役のお店の木造家屋。昔の東京には、こんなタイプのお店はたくさんあったような気がする。


和平路の横断陸橋の上から撮影。台北でも、バイクと車の割合は、まだ7対3ぐらいではないか。あの狭い路地裏をみると、これ以上の車社会は無理なのではないか。


トイレを借りるために、大安森林公園に入る。そういえば、1番最初に台北を歩いた時も、何の拍子かこういう森林公園に迷い込んで、都会の中にこんな大きな森林公園があること、そしてリスが何匹もいたことに、大きく感動した覚えがある。あれはこの公園だったのだろうか。しかし、そういう大きな公園は、台北にも台南にもたくさんある。リスは今回出会わなかった。


その代わり、木にたくさんの鳥が止まっていた。


まるでスズメのような顔つきだった。


花も咲いている。


この公園から少し外れたところに、「歩き方」に「粥街」と書かれてあった。そろそろ朝食を食べて帰らないと、チェックアウト時間に間に合わない。人がたくさんいる店に入る。永和豆漿店。このメニューの右から三番目の豆漿を頼む。それと、この旅でまだ一回も食べていない小籠包を頼んだ。


小籠包は案外ボリュームがあった。さすが、80元もするだけはある。


豆漿は、1番右の10元安い豆漿を頼めば普通の豆乳になったということをこの時に気がつく。おぼろ豆腐みたいな汁になっていた。まあ、これはこれで初めて食したので、経験にはなった。豆乳よりも美味しくはない。

地下鉄大安駅から台北駅に戻る。






最終更新日  2017年02月04日 18時18分12秒
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2017年02月03日
カテゴリ:台湾2015
1月3日(火) 台湾6日目(雨のち雲)


最後の朝は雨だった(「七人の侍」の予告風に)。
6時半に外に出て、チェックアウトギリギリまで台北の街を、まったく当て所なく歩く。コンビニで急遽傘を買った。当て所はないけど、経験上「発見」があることは確信していた。ホテルを出て、駅の南側の道を東に向かって歩いてゆく。「青島東路」。


監察院。いかにも古そうな建物。


どうも「立ち退き反対運動」があるようだ。街と公園を壊して再開発するのではないか。感心したのは、右の文章。おそらく「市は商売の利益のために、市民の安全と健康を犠牲にしようとしている」と書いているように思える。どの時代、どの国でも、これは自治体と市民の関係の本質をついた言葉だ。


中正区の斎東街あたりをぶらぶら。ビルに囲まれてこんな木造家屋があった。幸福教室という文字に、この家の気概が見える。


廃屋になりそうな木造家屋があった。


しかし、よく見ると雨よけの屋根が作られている。


しかも、塀には再生計画の途中経過みたいなものが貼られてあった。もう少し歩くと判明するのだが、この辺りは日本人の役人が多く住んでいた高級住宅地だったようで、その関係で家屋を保存しようという動きが他の地域よりも多いようだ。


これは日本式の宿舎だったという。「大正及び昭和年間に築造」って、要はいつ建てたかよくわからないということ。


「斎東詩舎」という、修復家屋もあった。かつて有名な詩人が住んでいたらしい。




外からいくつか写真をとってみた。


この辺りが今でも高級住宅地なのは、こういうワインの瓶がたくさん並んでいる店を台湾で初めて観たことからもわかる。やれば出来るじゃないか。


これは1930年代築造。日本統治時代は、交通局の高級文官のお屋敷だったが、その後、李国鼎という有名な台湾政府の政治家が住んだ家だったらしい。開館時間ではないので、入れない。玄関の塀の上を花で飾るのは、金持ちの家のすることなのではないか。その証拠に隣の高級マンションも同じように塀に花があった。


そこから南側に歩いてゆく。少し高級住宅地から離れる。すると、こういう家が気取らずに残っている。


屋根をよく見ると、職人がきちんと仕事をしている。台風や地震があるので、ゆがんではいるが、風雪に耐えているのは、いい仕事をしているからに違いない。


その一方で、このように廃屋になって行く家もある。家は住む人が居なくなると、急速に崩れ始める。あれは不思議だ。どうしてなんだろう。


その廃屋のすぐ隣に公民館らしきものがあって、この辺りは「文化里」というらしく、様々な「公告」があった。


「寒冬送暖」というのは、お茶会なのだろうか。「農民暦・月暦」は地区民に無料で渡しているのだろうか。


桃園の角板山に遊び、小鳥の生態を見る会も企画している。


何かよくわからないけど、迎春準備の公告。


ここまでは、中流階級の家々だったが、ここからは更に庶民度が増して行く。金山南路と仁愛路の交差点。交差点の日本式の建物の店が廃屋になったあと、落書きで誤魔化している。






最終更新日  2017年02月03日 12時30分04秒
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2017年01月31日
カテゴリ:台湾2015

台北駅に着く。前回泊まった駅前のNYSロフトホテルに予約して置いて良かった。直ぐに迷わずチェックイン出来たからだ。ただし、予約は12月に入ってからだったので、同じホテルでも部屋のグレードは変わらないのに、値段が約600円上がっていた。つまり、10月から12月にかけて、約10%以上円安が進んだということなのだろう。

台北に戻って来て、就寝前までの3時間で何をするか。腹は決めていた。最後の晩餐ということで、おそらく台南でも台東でも無理だった、ワインをのみながらの食事、中級レストランでの食事を「初めて」体験する。というのに、挑戦したい。


台北から悠悠カードを使って地下鉄で中山国小駅に行く。そこから歩いて10分ぐらいの所の「欣葉」(「地球の歩き方」所載)というレストランに入った。レストランは二階だけど、玄関前と入った所の直ぐに受付がある本格風のレストランである。


こんな雰囲気の店である。「歩き方」所載の店なので、日本人がひっきりなしにやってくる。日本人は全部ひとつ所にまとめていた。


ともかく目的はワインである。期待通り、八本ぐらいのワインリストがあった。本数は日本ではまったく不足しているが、これが台湾の限界だと思うので、がっかりしない。しかも私はフルボトルなんて、量的にも値段的にも無理。普通あるグラスワインはなかった。その代わり、ハーフが1番安い値段であった。と言っても550元(約2000円)なのだが、覚悟の上なので迷わずそれを頼む。
イタリアワイン・CHIANTI(DOCG)である。1番安いと言っても、とりあえず特級酒だ。


先ずは欣葉名物という豚バラの柔らか煮。とっても柔らかで、美味しい。ただし、1人で食べるのにはさすがに重すぎた。ほんの少し残す。私としては不本意。


1人なので、大きな料理は頼めない。100-200の間で頼む。次は牡蠣とイカすり身とニラの湯葉巻き揚げ。一見狐寿司に見えたけど、全然違っていた。でも日本人好みかもしれない。ニラが優っているけど、橙色のタレが台湾流。ワインも、チリワインと同じようにミディアムボディではあるけど、香りがこちらの方が豊か。食べ物と合わすと、特に肉と合わすと、ふわっと香りが広がった。でも、正直ワインも料理も、庶民の名店にあるような目が飛びでるような「驚き」はなかった。それを期待するのは、この2ー3倍の格の店に行かなくてはならないのかもしれない。やはり台湾は屋台や小さな店めぐりの方が私にはあっているのかもしれない。


このままで終わらしたくないので、この店の味を確かめるために、日本の一般料理の麻婆豆腐とハマグリスープを頼んだ。ハマグリスープは品切れで、店員が牡蠣スープ美味しいよ、と勧めるのでそれにしてみた。麻婆豆腐は、辛いだけだった。深い味わいはなかった。小さく豆腐を切るのが台湾風なのかな。ニラと肉が控えめ。牡蠣スープは、生姜風味だった。昨日食べた牡蠣よりも少しだけ大ぶりの牡蠣だったが、日本のそれよりはかなり小さい。ワインとの相性はなかった。


最後にサービスとして、きな粉餅が出てきた。とても上品なあまみ。こういうのもできるんだ。日本人好み。


請求はこのようになっていた。小さな店と違うのは、「茶資」25元がついていたこと。実際に美味しいお茶がポットでついていたのだけど、日本ならば請求しないタイプのもの。まあチャージ料みたいなものだろう。これに更に10%の消費税がかかる。外税だったのね。全部で約5000円。予想内に収まった。ワインは100mlほど残った。残念だけど、持って帰るには荷物になるし、部屋飲みするには、食べすぎた。泣く泣くそのままにして帰る。


帰りはその場で決めたのだけど、歩いて帰ることにした。地下鉄駅の四駅分ほど。12時まてあと1時間半ほどある。充分帰れるだろう。写真は明るい道ばかりのように思えるが、これはデジタルカメラのマジック。真っ暗じゃないけど、かなり暗い。男1人、台湾だから出来ることである。ともかく路地裏路地裏を選んで帰る。


露店商のおばさんと身内とは思えないおじさんが顔を付き合わせて深刻そうに話していた。目の前に教会があったので牧師さんなのだろうか。それとも単に店主と客の関係なのか。


地域の廟もシャッターを閉じていた。でも灯火はある。


地域の至る所に廟はある。といよりか、雰囲気のある道を選んで歩くと、廟に突き当たるといった方が正確かもしれない。


11時前なのに、まだここでは台東でテイクアウトしたような惣菜屋が営業してあって、お客さんが何人も来ていた。


路地裏の角。車が曲がり安いように角をとった家。それは日本でも見つけたが、この交通標識はよくわからない。


台湾の路地裏は、家と家との間が、顔を突き合わすとように狭く作られていて、実はその通りに狭い部屋の玄関があって、人々がたくさん住んでいるようだ。若者が深夜、自分の部屋に戻ってゆく。


この福進商行という雑貨屋さんがまだ開いていて、その横に「三郎の髪←」という看板がある。それを覗く。


すると、このようになっていた。台南でも見つけたが、台湾人は、狭いところ狭いところを好む習性があるようだ。


駅の近くだからなのか、この通りは機械屋さん通りみたいだ。


シャッターの前に蜜柑の皮らしきものを吊るしていた。何かの煎じ薬なのか、それとも魔除けなのか。


路地裏を夜の体力つくりをしていた。


わかりにくいけど、24時間営業の花屋さんがあった。近くには病院も飲み屋街もない。何の需要なのか。でも1人若い女性が利用していた。


この日は1月2日だけど、まだクリスマスツリーを飾っていた。


進成国民中学校。古そうな建物。


路地裏に刀削麺の看板。こんなところにも店を出しても成立するのだろう。


やっと台北駅まで歩いて来た。12時前。一時間近く歩いたことになる。そしたら、駅前に映画シアターがあるのに気がついた。まだ台湾の映画館に入ったことがない。明日午前中に早くモーニングショーをしていたら、見ることができるかも。ダメもとで覗きにいく。


ほとんどハリウッド映画。一本が日本の「続・深夜食堂」で、二本が台湾映画である。


「52H2 I love you」という映画が今かかっているみたいだ。台湾映画は、小津安二郎の影響を受けて、日常映画がよく作られる。


いつも思うのだが、台湾にしても、韓国にしても、日本よりもハリウッドから来る速度が早い。三ヶ月は早い気がする。


この辺りは台湾映画、中国映画のようだ。どうもモーニングショーは時間がなかった。でも映画館を見ることができて良かった。


駅には山形のこんな旅宣伝ようの大きな看板があった。雪とサクランボ、ふたつが台湾の「あこがれ」なのだろう。12時過ぎにホテルに戻る。共用のシャワーを浴びて爆睡する。



ホテル5760円
朝飯と珈琲2杯 290 お土産140 台東→台北763 車中食事127 夕食1304

計 2624元プラス5760円

歩数 10739歩






最終更新日  2017年01月31日 12時10分04秒
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2017年01月30日
カテゴリ:台湾2015

出発。そしてやがてどうみても田んぼと思わしき棚田が続く。私はここで、この地方の棚田の堤がことごとく小さな川原石で出来ていることに気がつく。いったいどうやって整形しているのか、全然わからない。水はけはいいだろうけど崩れないのか。材料は周りにいくらでもある。石ころは重くないので、作るのは簡単かもしれない。崩れない秘密があるのか。なるほど、台東の鯉魚山の案内板の石ころは、ああいう補強の仕方がコンクリートよりも一般的だったのにすぎなったのだ、とガッテンする。


この地方は、背後の山がおそらく火山だったのだろう。そして山から急に平野になる土地になっている。その関係で、水が豊富でかつ、美味しいのに違いない。その関係で、美味しい米の産地になったのではないか。それが池上米と池上弁当という「ブランド」をつくったのだ。関山を通る。


ここの砂利は、それだけでコンクリートの材料や建築材料に使えそうだ。駅に専用貨物が止まっていた。


電車の中の広報誌にこんなのがあった。「おお!ベアー 微笑み観光列車」


台南で電車待ちをしていた時に通り過ぎたのを覚えている。




単なる思いつきではなくて、用意周到な台湾鉄道の宣伝キャラクターらしい。記事によると、台湾黒熊は、台湾の代表的な野生動物の一つ。6ヶ月の試用期間を経て、優秀な成績をとったので、2014年交通部観光局は「超級任務組」組長に任命。台湾の風景、美食、節慶、活動宣伝、並びに米日韓等の外国人が訪れた際にいろんな台湾体験を演出するのに、従事して来たらしい。外見だけではなく、中身もかなり凝っていたことが、この広報誌でわかった。




ちなみに「小辞典」として、こんな風にキャラクター設定もされていました。


台湾で最も美味しい弁当があるので有名な池上を過ぎる。ここで駅弁を売っているのではないかと期待したのだが、なかった。とってもがっくりとくる。


この辺りの堤は、やはり基礎は小石なのだけど、土を被せている。何故か、とか効果は、わからない。


この自強号のトイレを見る。前回のと比べてかなりシンプル。しかも鉄製ではない。


トイレの横に「充電コーナー」があった。台北駅にもあったが、日本でも気を使って欲しい。


約5時間かけて、9時前(少し遅れた)に台北駅に着く。この時に最後の「失敗」。車内に私が二年間ほぼ毎日着用していた黒いキャップの帽子を置き忘れてきたことに、下りてすぐに気が付く。でも引き返せば、そのまま電車は出発して次の駅まで私を持ってゆく可能性が高かった。ほんの三秒考えあきらめた。愛用のあの帽子が、遠く台湾の地の台湾鉄道の忘れ物倉庫の奥にほんのしばらく残っていると思うだけでも、旅の思い出になると慰める。






最終更新日  2017年01月30日 12時20分04秒
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2017年01月29日
カテゴリ:台湾2015

台東駅。ここで私は、この旅1番の失敗をした。時は10時。一時間半も待つけど、11時20分の台北行きの電車に乗ろうとしたら、もう売り切れているというのである。その次の電車も売り切れている。
「15時50分のならばある」という。5時間50分も待つ!あり得ない。
「ノーシートOKなんですけど‥」台南から台東までならば、みんなそんな形で乗っていたじゃないか
しかしダメだという。「不買駅票。晩一点、再来、買」
バカなことを言いなさんな。こんなに困っているのは、今日中に着かないといけないからじゃないか。明日もう一度来い、なんてどういう考えをしたらそうなるのか!
しかし、悩んでいるとさらにこう書く。
「晩一点再来、買看看、現在没有」
チケット売り場のお姉さんは、この外国人がこんなに困っていても冷たく見下ろすだけ、というのはわかった。これで着くのは、9時前になるという。あれもしようと思っていた計画がなくなる。でも仕方ない。せめて最悪の事態だという顔をして承諾した。
「15.50 OK」


割りと売り切れは多い。こういうことがあるのは知っていた。何しろ数時間に一本しか急行がないのだ。だから、台南行も、台東行も、前日に買ったのだ。しかし、あまりにもここまでスムーズに行ったので、「何も前日に買わなくても大丈夫なのではないか」と思ったのが間違いだった。昨日は博物館行がわからなくてイライラしていたのもあった。もしかしたら、私の事前調査が間違っていて、本数はもっとあるのではないかと思っていたのもあった。メロディホテルがまさかのWi-Fi不可なのもあった(ネットで予約する方法もあるのを調べてはいた)。ともかく失敗だった。


本来ならば、失敗も楽しんで、駅の周りを散歩するというのが、私の旅スタイルではある。ところが、台東駅周りは特殊な所で、近年旧市内からこちらに再開発しようとして急行駅を作ったのはいいものの、全然再開発されなかった所なのである。だから、歩いても何の面白みもない。ちょっと歩いてわかるけど、駅前にここまで食堂もホテルもない基幹駅も珍しいと思う。あるのは唯一レンタルカー屋さんだけなのである。これはどっかのコーヒーを提供している所を見つけて、時間を潰すしかないと思った。


考えれるのは、なんと駅前に一つしかない大きなホテル。ここに喫茶が無ければ諦めなくてはならない。


玄関にチラシがあった。良かった。しかも、食事も取れるようだ。日本語が出来るスタッフがいて、事情を説明して五時間以上ここに居座ってもいいと許可ももらった。やはり周りには昨日行った卑南文化公園以外には何も見るべきものはないようだ。


前のチラシの左側の原味風ナンチャラというのを頼んだ。原住民族風ランチとでもいうべきもの。ここの民族は卑南(プユマ)族なので、彼らの伝統食なのだろう。以下は昨日買った「順益台湾原住民博物館ガイドブック」より転載。
人口は約11000人あまり。男子集会所「バラカン」での厳しい訓練制度を有する。主に台東縦谷南方の平原に暮らしています。人口の多くは台東県に集中しており、
中でも台東市に住む人が最も高く、次がプユマ郷となっています。近隣のアミ族、ブヌン族、漢民族の影響を受けてはいますが、独特の文化を保ち続けています。17世紀、南王部落のプユマ人が朱一貫の残党の平定に功があったとし、清朝から「プユマ大王」に封せられました。プユマ族が強大な武力を持っているのは、男子集会所「バラカン」で厳しい訓練制度が実施されていることによるものです。プユマ族の文化の特色としては、男子集会所での厳しい訓練、精緻な刺繍工芸、レイ(花輪)を日常的につけていること、盛んな巫術などがあげられます。重要な祭典としては「猿祭」「大狩祭」「連合年祭」など一連の行事を含む「年祭」があります。(以上引用)
つまり、卑南遺跡の中心民族は彼らである、ということがまず間違いないとわかる。清朝時に中国と密接な交流があったならば、漢時代に民間との密接な交流があったとしてもまったくおかしくはないだろう。ガイドブックによると、南島語族として台湾からフィリピン、イースター島、アフリカのマダガスカル島、ニュージーランドまで広く分布していて、台湾民族はその最古民族らしい。顔は台湾の原住民族はみんな同じ顔に見える。いわゆるフィリピン人の顔である。


これが頼んだ定食。
それぞれの料理の台湾読みの名前をホテルスタッフに聞いてみた。サツマイモのふかしは、地瓜。味は日本のそれよりも濃い。もしかしたらこれがタロイモというのだろうか。支那竹は名前を聞くの忘れたが、なんと生姜風味だった。枝豆は毛豆という。黒胡椒で炒めているのが独特だ。豚肉の炒めものは、鹸猪肉。肉はスモークされているように思った。


そしてこれは小米粽(小米のチマキ)という。これが最も有名な伝統食なのだろうと思えた。チマキを何か紫蘇のような薄い葉でくるんで、それをさらに南風色たっぷりの大きな葉でくるんでいる。考え方は柿寿司である。


びっくりしたのは、小米というのが実は米ではなかったことだ。アワかキビではないかと思う。中には味付け挽肉が入っていた。米が少しべちゃべちゃし過ぎる気はしたけど、全体的に美味しかった。


このホテルはこの地域では一流ホテルだと思う。でもトイレの機器をTOTOに発注しているのは、わかるけどあの「人がいない場合でも水が流れることがあります」説明を訳文もつけずにそのままつけるのは、如何なものか。利用するのは、ほとんど台湾人でしょう。流石に五時間以上いたので、私は三時間でも四時間でも滅多にしないのだけど、コーヒーのお代わりを頼みました。この間に旅日記を書いていたのだけど、日記はやはり当日の勢いで書くもので、全然進まなかった(今この時点の日記も帰国後に書いている)。最後の3日間は夜日記を書く間もなく疲れて寝たし、車中の日記は途中で気分が悪くなったりしてつづかなかったのです。それはともかく、電車の待合室ではなく、ここで時間を潰せたのは、リフレッシュ出来ていい所もあった。


台東駅に戻る。ホントはここで池上弁当が買えると思っていた。ここまで来て池上弁当がないのはウソでしょ?なかった。仕方ないので、コンビニでおにぎりを買って、よく見たら改札前に鉄道弁当売っていたので、それも買った。


電車が来た。昨日のよりも少しグレードが高い。


車中風景。あのチケット売り場のお姉さんの言うとおりだった。この北回帰線は、一人も予約以外の客はいなかった。後で思うのだけど、それならば余計に本数を増やすべきだ。そんなに採算が取れないのか?

台湾風おにぎり。43元。美味しいけど、高い。


台鉄弁当60元。昨日余ったワインをラッパ飲み。カッシーロ・del・ディアブロ。180cぐらいなので、すぐ空になった。


やはり、台湾料理にチリワインは合うと思う。煮汁がご飯に染みていなくて、弁当にはやはり不満が残った。あゝまた一度池上弁当食べに来たい。


さあ、出発だ。しばらく畑はトウモロコシ畑などが続く。






最終更新日  2017年01月29日 12時00分05秒
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2017年01月28日
カテゴリ:台湾2015
1月2日(月) 台湾5日目(晴)


朝、ホテルの朝食も台南玉高ホテルよりは良かった。


でもその後の食事を考えて、軽く済ます。味もあまり特徴はなかった。サバがまるきり日本と同じでびっくり。


ただ、この卵焼きだけは提供の仕方が、トレーにピッシリだったのが珍しい。


朝のウオークに出る。やはり日本的な家屋は、塀で囲って見えないようにしている。注目されるからなのだろうか。


鯉魚山へ向かう。山の前では市場が立っていた。野菜はだいたい安いと思う。


この写真は、案内板の後ろの補強の仕方が見たことないものだったので、撮った。コンクリートで固めればいいのに何故?(後で、そのわけは大体わかった)


一つ目の展望台。空を爆音。空軍が仕切りに訓練をしている。


さらに上に展望台があって、そこでやっとわかった。郊外に空軍訓練場があるのだ。写真に見えるのは一部だけで、一機が見事なタッチアンドゴーをしていた。


遂に捉えた。F1戦闘機かと思ったら違っていて、哨戒機みたいな形をしていた。詳しい方、教えて!


二個編隊の場合もあれば一個編隊の場合もある。


さて、ここからは台東市内が一望。古い街だと聞いたが、せい然と道が出来ている。古い家屋もあまり見えない。延長して散歩する必要もなさそうだ。


遠く緑島も良く見えた。


降りると、日本統治時代に、神社があったところに
出た。鯉魚山なので、街灯も鯉になっている、


正面から見ると、確かに鳥居があって上にはお社がのる神社形式になっている。


しかし今あるのは、忠烈祠である。柱の文字が、しかし英霊の字がある。


今日はお休みなのだろう、中学生が遊びのように階段をうさぎ跳びしていた。若いって素晴らしい。


ここで見た花のいろいろ。


昨日の夜の祭は、このようなわりと長期にわたる冬まつりみたいだ。あんまり寒くはないのだが、台湾の人たちにとっては冬という意識があり、そして「雪」は憧れなのだろう。


もう帰ろう。ホテルを辞して9時30分のバスに乗る。20分ほどで台東駅に着いた。

ここで私は、この旅1番の失敗をした。






最終更新日  2017年01月28日 11時38分39秒
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2017年01月26日
カテゴリ:台湾2015

国立台湾史前文化博物館の中庭には、こんなモニュメントがあった。


ちょっと順番が違うが、ここから一挙に旧石器時代に戻る。


一昨日に行って考古資料館で見ることかなわなかった鳥山頭遺跡(BC800-)の遺物があった。日常の煮物容器である。


この頃、縄文が流行っていたらしい。日本の縄文の模様とは違うが、時期的には日本と重なる。これも要研究なのではないか。


大きく扱っていた。鳥山頭遺跡の黒陶。


こんな風に土器を作っていたらしい。


さて、階が変わって、民族展示や地球の歴史展示に移る。あまり興味ないのでなおざり。


地下にこんな実物展示があった。どうも岩棺だったらしい。


台湾の古代観が一変する、新しく素晴らしい博物館だった。wikiの台湾、古代を検索するとわかるが、おそらく日本の研究者には、この台湾古代史は正式には紹介されていないと思う。戦前は確かに日本人研究者が台湾考古学を指導した。しかし、明らかに全く違った台湾古代史が始まっていると感じた。台北の国立台湾博物館にも、こういう視点で展示されていなかった気がするので、もしかしたらここの展示は、台湾全土の認識にさえなっていないのかもしれない。


博物館の人がなんと台東市内まで送ってくれるという。まるでパパイヤ鈴木みたい人でしたが、とっても有難かった。これで今日のイヤなことは全部チャラになった気がした。ホテルは台東市内真ん中あたりのメロディホテル。フロントが三人とも若い女性で、値段が約半額だったので台南の玉高ホテルより古いホテルを想像していたが、あれよりはるかに良かった。


室内も、Wi-Fiが使えないことだけが不満で後は満足。あ、後はカードが使えなかったところ。台東はカードが使えないところが多い。


夜の台東に繰り出す。鯉魚山の前ではこんな祭りをしていて、非常に多くの出店があった。


提灯はどう見ても地元の子供が書いたものだ。つまり地域挙げてのお祭りなのである。


いろいろ迷って、光瀬さんお勧めの客来吃薬の店で牡蠣と大腸の線麺と黒糖桂園緑豆算の各小を頼む。


ここでわかった。昨日のサバビーのお粥の中にあったのは、立派な牡蠣だったのだ。


これが緑豆。上にあるのはきな粉。食事とデザートを一緒に食べるのもどうかとは思ったけど、同じことをしている人は案外多かった。


夜店を冷やかす。パイナップルが一個30元(約120円)。


天后宮前にこんな日式家屋があった。


天后宮である。媽祖さんを祀っているらしい。


とっても派手。


1番目当てのワインが飲めるお店は、日曜日で休みだった。二番目にお目当てのこの店に入る。


タウナギ丼を頼む。流石に名店はことごとく、臭みがない。新鮮なモノを使っているのだ。まるで、小さな鰻のような歯ごたえ。酢豚のような味付け。美味しかった。


このまま帰ろうとしたら、隣に酒屋があった。ワインハーフがあるか、と聞いたら奥さんが張り切って日本語を話して来た。勉強したのかな?それでちょっと高いけど、チリワインを買ってしまった。チリワインを買ったら、つまみも買わなくちゃいけない。行列が出来ている屋台に並ぶ。鳥頭という屋台。この惣菜をたらいに自由に選んで、渡したら、全部をブツブツに切ってもう一度揚げて売ってくれるシステム。少しだけで悪かったけど、100元ほど買った。


ホテルに帰って部屋飲み。果物は途中で買った一袋30元のやつ。これがとんでもなく食べれなかった。甘くも酸っぱくもなく、種だらけ。そして鳥頭の惣菜の肉もまずかった。油だらけ。食べれるのは、うずら卵と練り物だけ。


でも、この味付けはとってもこのチリワイン(カッシーラ・ディアブロ・カベルネ・ソーヴィニヨン)に合うということがわかった。以前飲んだ台湾ワインは甘すぎたが、ホントはこれ位のミディアムボディの方がいいと思う。台湾は肉文化なのだから、もっとワインを飲むべきである。ということで、この日はすぐに死ぬように寝た。

朝食100 昼食120元 タクシー 1000 博物館110 ホテル1080 夕食70 夕食90 ワイン280 夜食130 博物館土産(珈琲カップセット、Tシャツ、お茶、図録二冊)2020

計 5000

歩数 28786歩






最終更新日  2017年01月26日 12時00分08秒
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2017年01月25日
カテゴリ:台湾2015


分館の資料を観た後、卑南公園。ここでも30分で約束。


この広い広場がそのまま遺跡だった。この景色こそ見たかった。


後ろに険しい山を控え、小高い丘が広がるこの景色は、古代遺跡に特有の景色だろう。


住居の復元。(追記)と、最後まで思っていたが、後でパンフを見返すと、「現代の」卑南族青年会所とあった。


流石、亜熱帯地域。竹だけで住居をつくるとは!


その組み合わせ方は、独特だ。


しかも高い。雨が多い地域の知恵か(しかし後で考えると台風はどうしたのだろう)。


これは遺跡ではない。地域のお祭り用の設置なのだろう。原住民に関係しているような。


広場に祭りの空間をつくる。そこに導く羨道をつくる。それは世界共通なのだろうか。


中国風俗に特徴的なブランコである。やはり子供だけでなく、恋人たちも好んで乗る。


周りに果物畑が広がっていた。後で、台東名物「釈迦」という果物だと知る。



そこから20分ほどタクシーで行く。ぐずぐす言っていたけど、ここで1000元(4000円)も払って彼とはおさらばする。念願の国立台湾史前文化博物館である。



地下一階がまるまる古代史コーナーになっている。これまでの古代史不足感を十分なくす出来栄えだった。卑南文化では、貝を加工してスプーンを作っていた。こういうのは、初めて見た。大きな貝が豊富に取れるこの地域独特のモノだろう(日本では、装飾品しかない)。




魚の骨を利用して、こんな装飾品も作っていた。かつて、沖縄県立博物館で見たジュゴンの骨を利用した細かい装飾を思い出す。


中国との大きな交流があったことを証明しているらしい。潮の流れにそえば、筏でもくることが出来るらしい。


驚くのは、こんな玉耳飾りが出土していることだ。日本には、こんな立派なモノはおそらくない。右は一切ない。


石棺の埋葬作業のジオラマ。びっくりするのは、足下に他の人の頭骨があること。骸骨なので、殉葬ではないと思うのだが。


これは石梯らしい。しかし、梯子(はしご)として利用したのか、養殖豚の餌入りとして利用したのか、説が分かれているらしい。


卑南遺跡の石器。武器やいろいろ。形が日本とは相当違う。そういう意味では、直接はこの人たちは日本には来ていないと思う。


土器のいろいろ。基本的に中国の文化の影響を多分に受けていると思う。


抜歯風俗があった。


石棺はこんなにも立派だ。一般的なモノとは思えない。


驚くのは、この「人獣型玉飾り」である。


十分に説明書を見ていないが、非常に独特であり、中国の輸入品であることは確かだろうが、どこの産出なのか。何となく三星遺跡の遺物に似ている。


この玉管も日本では産出しない非常に立派なモノだ。


この瑠璃の腕輪も唸った。

遺物がともかく素晴らしい。時代は弥生時代前期-中期なのである。


これは長光遺跡の岩棺の複製。実物ははるかに大きいみたい。


東海岸には巨石文化が栄えたらしい。これは人の形なのか、どうかはよくわからなかった。


石牌橋遺跡(BC1500-AC)出土、肩のある単石。


長光遺跡(BC1000年-)出土、双角杯。


長光遺跡出土、「陶偶」。これはサルか?サルなのか!


卑南遺跡出土、「有槽石棒」。このギザギザを何に使ったんだ!どうして日本では作られなかったんだ!


卑南遺跡出土、石刀や石鎌刀。四角なのは日本では見かけない。この曲線の刀も日本にはない。


巴○(Patu)。佳里遺跡出土。複製品。これも用途はなんだったのか。


花岡山遺跡出土。蛙形玉飾り。これも非常に独特だ。中国の三星遺跡の影響のような気がする。


蓋寮遺跡(BC1000-)出土。石子尖器。やはり日本では、見たことない。


これもびっくり。瑠璃腕輪。十三行遺跡出土。二つも展示されてあった。これと全く同じ形、大きさで、色だけは青と緑で違うモノが、伊丹の弥生晩期つまり少し早いだけの遺跡から見つかっている。日本では、四例しかない貴重なモノである。形が全く同じということは同じ中国の同じ地域で作られたのか。だとすると、日本のそれは中国との交流があったのか。これは少し質が悪い気がするが、日本のあれは最高級品だったのか。その辺りの研究はどうなってるのか。


これは鉄器時代を多分先駆けた遺物だったと思う。これから鉄器時代の遺物を見る。


十三行遺物。この特異な形は、中国の影響ではないか。しかも青銅刀の柄である。


鳶松文化。特殊な鳥の頭をした陶製品があるらしい。


亀山文化。紋飾が特徴的らしい。


静浦文化。阿美族と密接な関係があるらしい。


ここまで来ると、古代も終わる。黄金の胸飾りである。白桑安遺跡出土。






最終更新日  2017年01月25日 13時52分46秒
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2017年01月24日
カテゴリ:台湾2015

台東行き自強号の中。席はとっていたのだが、他の人は次々と隣に座ってくる。ノーシトでも空いていれば座ってもいいという決まりだそうだ。


高雄の駅は台湾二番目の都市とは思えないほと、普通の駅だった。


その周りの衛生都市の方が、モダンな感じがした。


大きな河。

屏東駅。この駅が1番モダンだった。


広がるパパイヤ畑。


ここで、車内売りの弁当がやって来た。迷わず買う。


大きな豚の排骨(スペアリブ)と、豚の練り物、何かの揚げ物、支那竹、煮卵、野菜付け合わせ等々である。うまかったが、前回食べた素食弁当みたいなびっくりするような味ではなくて、普通の味だった。肉の汁がご飯に染みていないと、私はヤダ。


お茶も一緒に頼んだのだが、日本語に油断した。砂糖入のお茶だった。


車内トイレに行く。こんな所でお水が飲めるようになっている?


お手洗い。手を詰める人がたくさんいるみたいだ。


自強号(特急)のトイレは、なかなか知られていないと思うので公開。当然拭いた紙は流してはいけない。


びっくりしたのはお手洗いがモダンだったこと。しかも自動で水が出てきた。


養殖池が延々と続く。肉料理と同じ規模で魚料理の店が多いのが、こういう仕組みだったのだろう。


海が見えた。台湾の東側に移ったのだ。


大武の駅。


海沿いに走る。コバルトブルーの海。やっと今は沖縄よりも南にいるのだと、実感。


しばらく畑ばかりだったけど、海沿いに街が見えてきた。茉莉や知本などを過ぎる。やっと台東についた。


ここで、今回二番目の大きなトラブルに会う。台東駅で卑南文化公園に向かい、それを急いで見た後に、今回旅の最大のお目当て国立台湾史前文化博物館に向かうというのが計画だった。駅前に案内板はなくて、わかりにくい地図があっただけ。よって迷ってしまって時間を気にした私は1番避けたかったタクシーにそのコースを行ってもらうことにした。乗る時にしっかり筆談で決めたはずなのに、タクシーはいいように解釈して、言葉がわからないので交番ですったもんだ、結局私のいいように行くと、最初約束した500元では済まなくて、四時間行ってくるのにかかるので、2000元(8000円)必要だという。台東駅に戻る必要はなくて、行くだけで2時間(実際は1時間半で着いた)1000元で折り合いをつけた。このすったもんだで、一時間以上無駄にしたのである。時間を返せと言いたい。それでもぼられた気がする。この後姿がそのタクシーの運ちゃんである。こういうのがあるので、私はタクシーは極力使わずに、バスか電車を使うようにしているのである。バスは時には待つのに一時間近く待ったり、結局歩くことになったりするのだけど。


そんなこんなで、先ずは史前文化博物館の分館に行く。よくわからない運ちゃんは、ここでも10分以上行ったり来たり無駄にした。てっきり正月なので閉館しているのかと思いきや大丈夫だという。わけのわからない男だ。行ってみるとびっくり。実際の遺跡が先ずは見学できるようになっている。


卑南遺跡は、BC1500年からBC300ぐらいにかけての遺跡である。その意味では、弥生時代に重なる(縄文時代後期から弥生時代中期)。前回の旅では、台湾の古代史は貧者で、しかも地理的条件から日本にも大分劣っていると感じていたが、そうではなかった。日本のように、土器の編年が出来ていないので、どの遺物がどの年代かはよくわからないのだが(今気がついたのだが、それこそ博物館職員に確かめるべきだった)、ともかくこの竪穴式石棺は、集団であるところは中期弥生時代だが、石棺であることで前期古墳時代の質になるだろう。


いったい埋葬者はどういう人々だったのか。今書いていて、どんどん疑問が広がる。この時30分で出るとタクシーに約束しているので、何とかしようという発想さえ生まれなかった。


この図で、やっと台湾の古代年代史がわかった気がした。


こうやって見ると、鉄器時代は西暦と同時に始まる。ほぼ日本と同じだ。しかし、日本のその後の文化発展と、台湾のそれとを分けた要因は何だったのか?と、今また、疑問が出てきた。


遺物展示は、其れなりに充実していた。


卑南遺跡は、一時期は日本の弥生時代を凌駕していたと思う。


戦前の鳥居博士が見つけた、卑南遺跡最大の月形石柱も展示されていた。


さて、この分館の下に卑南遺跡が広がる。






最終更新日  2017年01月24日 14時24分55秒
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