医療費あるいは「マネー資本主義」
一昨日の入院騒ぎには後日談がある。退院のあとに病院から電話があったのだか、行き違いで繋がったのが昨日朝。病院の事務の人「昨日は朝早くてご会計が間に合わなかったので、電話でお伝えした上であとで清算していただければと思います。費用は22,300円でした」一秒絶句する。「それは一泊の費用で、私が払う分ですか。ずいぶんと高いんですね。」(1日入院の費用が74,000円ですって!?私はなんとなく、ホテルの一泊分1万くらいだろうと思っていた。なにしろその前段階、自宅の簡易検査が3千円くらいの出費で済んでいたのだ。)「なにしろ、検査が含まれて今すらね」(それはそうなのだろうけど、それならせめて1日入院を勧めたときに入院費用はこれくらいかかります、と言って欲しかった。検査入院なのだから、命にかかわることじゃなし、もしかしたら断っていたかもしれないじゃないか。そもそも、あんたたち医者というのは、入院しますかとか、手術しますかとか、執拗に本人の意思は確かめるくせに絶対カネの話はしない‥‥‥というような不満の声はおくびにも出さす)「分りました。今度のときに払います」という私でした。貧乏生活の私にとっては、こういう思いもかけない出費は本当に痛い。しかも今月は個人のノートパソコン(5万円相当)を逡巡しながら買ったばかりだ。医療費の出費というのは、いつも基本的には普通の商品とは違う。買う前に値段を知らされることはほとんどない。これは全く異常な購買活動と言っていい。これが医療費1割負担の時代だったならば、7400円で済んでいたのである。2割負担になり、3割負担になったときに、私は東京で20万集会に参加して反対はしていたのだが、それ以降のときも私は窓口で500円~3000円くらいしか払っていなくて、医療費が特別高いと思ったことはなく、今回は本当にびっくりした。しかし、それはたまたま私が健康だからからであって、ラッキーだったのだ。1日入院くらいでこんなに医療費が要るのならば、ちょっと多く治療をすればすぐに月8万くらいの医療費が要る日は来るということである。私の財政では、それは我慢できない程度ではないけれども、しかしいろんなことに犠牲を強いる事態になるということだろう。リストラをされて日々の生活費に事欠くような人ならば、だんだんと生活できないことが十分にありえるのではないだろうか。私が今回初めて知ったのは、医療費というものはお金がかかる、しかも自分の生活程度に関係なく、突然降りかかるということである。日本の場合はまだ途中でブレーキがかかる仕組みがある。しかし日本が何かとお手本としているアメリカは違う。私が思い出していたのは、昨日録画で見たNHKスペ「マネー資本主義」、堤美果「貧困大陸アメリカ」である。「貧困大陸アメリカ」では、普通の中産階級が破産宣告をした経緯をこのように話していた。「原因は医療費です。2005年の初めに急性虫垂炎で入院して手術を受けました。たった1日入院しただけなのに、郵送されてきた請求書は12000ドル(132万円)。会社の保険ではとてもカバーし切れなくて、クレジットカードで払っていくうちに、妻と出産と重なってあっという間に借金が膨れ上がったんです」アメリカの普通の市民でさえ、一回の手術ですぐに破産してしまうという現実がアメリカにはある。これで行くと、日本の皆保険は高い保険と3割負担といえどもまだ良いということになる。日本には高額医療減免制度もある。以前のように戻すことは難しいにしても、これ以上悪くならないようにがんばることはまだ可能かもしれない。少なくとも、これ以上の医療費の負担率を上げることや、保険業界の医療行為への介入は絶対防がないといけない。「マネー資本主義」では、サブプライムローンなどの不良債権をまるで福袋と同じように他の債権と混ぜて売り出す「金で金を買う」仕組みを描いていた。危険性をいう経営者も居たが、ほとんどの経営者はそんなことはお買い無しに自分の給料を無制限に引き上げていたのである。(トレーダーの家はまるで中世のお城の広さである)かつてマルクスは資本主義の本質を「わが亡き後に洪水よきたれ」と言ったが、まさにその通りの性質を見せたわけだ。アメリカのウオール街の破綻はおそらく、ウオール街だけの責任ではなく、すべてを自己責任でおカネをまわしてきたアメリカ自身の責任もあるのだろう。突然の「高額」医療に、日本の将来を少し憂いた日になった私です(^_^;)